お伝えしたいことは「運命は改善できる」ということです。
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07/16
雲ひとつない青空

さきほどは、スカイプありがとうございました。

スカイプを切ってから、あ! と思い出すことがいろいろ出てきて、お伝えしたら良かったなぁ~と思いました。

以前、先生に、
「原因もわからないのに漠然とした不安がある」
ことについて、
「不安があるのは、完全を識っているからであり、不安が出てきた時には、不安にフォーカスするのではなく、完全である方を意識すればいいのだ。」
というようなことを言われたことがありました。

その時は、頭では理解できても、実際にどうしていいものか、わかりませんでした。
それが少し前にフッと腑に落ちた時がありました。
瞑想をしていた時にわかったのですが、自分の中心に無地のキャンパスのような自分の存在(Being)があり、キャンパスの上に、日常いろんな感情や思いが浮き出てきますよね。
私の場合、それが不快なものが多かったのですが、要は、その不快な感覚を捕まえては、不安だ、恐れだ、と思考していました。
でも、意識を無地のキャンパスの方にフォーカスし続けていると、私が不安だ、恐れだ、と思い込んでいたものは、出ては消えるただの体の感覚でしかありませんでした。

感覚に記憶から名前をつけて、判断して、意識をそっちに持っていくと、それは快にも不快にもなり、一喜一憂の世界になりますが、意識をBeingの存在から離さずにいると、何が起きてもそこはただある静か、です。

私はパニック障害になった時に、西田幾多郎さんの詩、
「我が心 深き底あり 喜も憂の波も届かじと思う」
に、救われる思いをしました。

それから、ずっと深き底というのを知りたいと思ってきましたが、先生がおっしゃる完全というのも、この自分の中に存在してるキャンパスのような、ここのことなのでしょうか?


養成講座3期生の頃、先生がお昼を食べながら、
「言葉というのは話した時点で、もう嘘になる。」
というようなこともおっしゃっていました。
その時も、もちろん私は「???」だったのですが、湧いてくる感覚に、名前をつけて、判断して、思考するということは、もうすでに意識は無地のキャンパスから離れなければできないことですが、ここが真実であれば、そこを離れたことは全て嘘だというのは、そういうことだったのかな? と思いました。

最近、先生がおっしゃったことが、少し、
“あ! あれはもしかして、これか?”
というようなことが出てきて正解かどうかはわかりませんが、面白いです。

この、感情と自分を切り離して、観ることができたのは、私にとって、とても嬉しいことです。(とは言っても、たいていは感情にフォーカスして、今までとそう変わらないのですが。)

もしかしたら、これを掴む為に、私はあんなにも自分を抑制しないといけない環境に置いて、パニック障害にまでなったのではないか? と、ちょっと都合良く考えています。

以前、先生がメーリングリストで、
「雲ひとつない青空を見たようだ」
と書いてくださったのを嬉しく思いましたが、正直、私としては、そんなピーカン照りな感じというより、雲は多いし曇ってるしで、違うけどな、という印象でした。

雲とは出ては消えていく掴みどころのない感情や感覚だとして、青空とは自分自身(存在そのもの)だと思うのですが、あれは「存在に気付いた」という意味で書いてくださったのだとやっとわかりました。


モリリンさんのブログは、こちらからどうぞ

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コメント

透明で光あふれるいのちの息吹
もりりんさん こんにちは

養成講座の春の集合講座は録画で拝見したのですが、そのときに澤谷先生がもりりんさんの『雲ひとつない青空』を朗読されたとき、もりりんさんの感じられたことと、わたしの感じていたことがあんまり似ていて驚きました。

『雲ひとつない青空』のお原稿を拝読したいと思っていたので、こうして拝読でき本当にうれしく思います。わたしももりりんさんのように純粋な素直な表現ができたらいいなと思いました。

感情にフォーカスしてしまって心身ともに苦しくてたまらなくなってしまったり、周囲を悲しませてしまったりすることが多々あり反省するのですが、今は感情を思う存分感じられることも有難いしあわせだなぁと思ったりもしています。


拝読していて、わたしの想いに確信がもてました。

澤谷先生のもとで学んでいる人は皆、しあわせな人生を実現されていくに違いない……
しあわせな人生を生きている人の家族も、周囲の人も皆、しあわせな人生を実現されていくに違いない……
そして、すべての存在がしあわせに向かって歩み続けているに違いない……
そう思えて涙があふれました。

『雲ひとつない青空』に、もりりんさんに、ありがとうございます。


もりりんさんのおしあわせをお祈りしています。

ありがとうございます
NAO [URL] 2014/07/16(水) 10:54 [編集]

NAOさんへ
NAOさん、こんばんは。

コメントをいただきありがとうございます。
NAOさんからのコメントを読んで、共感してくださり、また素直で純粋と言ってもらえて、嬉しいです。(*^^*)

何年か前に書いた文章で、深き底を見つけたように思った時は、嬉しくて浮かれました。ですが、日常に戻ると感情に飲まれたり、意識が外に外に向かったり。深き底なんてすっ飛んで、見失っては相変わらず大波小波でした。あの文章を書いた後にも、瞑想もできなくなるぐらい考えが止まらない時期もありました。青空どころか雲しかない!みたいな。。^^;

今感じるのは、深き底を知りたい意欲は私の深い劣等感と孤独感からだったなと思います。自分のことばっかりで生きていたから、気がつけば孤独になっていました。

だからこれからは、私の周りに縁あっていてくれる人に、出会う人に、もっと心を重ねていきたいと思ってます。(養成講座でも学んでおきながら…、底の探求ばっかりで、気づくのが遅いんですが。。^^;)

深き底へのフォーカス力も鍛えながら。。

NAOさんの周りの方へ向ける想いって、素敵だなって思ってました。
ありがとうございました。
もりりん [URL] 2014/07/17(木) 01:18 [編集]

次に進む時
「雲がある」と見たり、感じたりするのは
本当は何もないところであるという前提があるからであり
雲があると感じた時点で、
「本当の自分は雲ひとつない青空だ」ということが
鮮やかに証明されているのですね。

頭でわかるのと腑に落ちるのとでは、大変な違いがありますが
それを腑に落とされたみずみずしい喜びが
記事の中からにじみ出て、あふれているように感じます。
素晴らしいですね。

西田幾太郎さんの詩に心救われる思いをされたということは
モリリンさんは最初から「深き底」の存在
つまり、「雲ひとつない青空」の存在を知っておられたということになります。

誰もが、本当は知っているのですね。
知っているから、求めさせられる。
それは、その方の中にある命が、真に生きたい、表れ出たいと
深く願っているからこそのことなのでしょう。
そして人は、その、自分のほんとうのいのちに出会って
本当の自分を生き始めるまで、ずっとずっと、求めさせられるように
できているのではないでしょうか。

わたしもようやく、雲ひとつない青空や、「深き底」の
揺らがない平安を生きることができるようになってきました。
この自分でこれから、何をしていくか。
何を、作っていくかが問われている。
次に進む時が来ているのを感じます。

モリリンさんのご人生も、新しい展開を見せておられますね。
刻一刻と移り変わり、とどまることを知らない命のみずみずしい満ち溢れを見せて頂いているようで、心打たれます。
これからのますますのおしあわせと、素晴らしいご活躍を
心からお祈りしております。
桜 美穂 [URL] 2014/07/17(木) 11:43 [編集]

「雲ひとつない青空を見たようだ」

先生がこのお言葉を発したおこころと、そう先生が感じられたモリリンさんのおこころとの、マッチング?響きあいに感動しています。どんな一瞬だったのでしょうか。

beingと感情の関係が、モリリンさんの表現してくださったことで、ようやく、わかったという感じです。

真摯にご自身と向き合われているモリリンさんが、とても素敵だなあと感じました。

人生はいろんなことが起きて苦しむわけですが、だからいいのかもしれないと、モリリンさんの御文章を拝読し、感じました。美しいと感じてしまいました。愛おしいと感じてしまいました。

自分に置き換えると、そう思えないところが、残念ですが・・・。

苦しみから、気づきへと変化していく、その人ご自身のあり方、生き方が、美しく感じるのかもしれません。まるで、さなぎから蝶へと脱皮していく、神聖で清らかで神秘的で、誰も近寄れない眩いオーラがあるような・・・。妄想壁が出てきてしまいました、すみません。

そういうものを感じてしまいました。でももしかしたら、先生もそういうものを見て、感じておられたのかなと、ちょっと、思ってしまいました。違うといわれそうですが(笑)。

何が言いたいかというと、モリリンさんの御文章を拝読できて、モリリンさんのおこころに触れて、感動して、嬉しくて、しあわせで嬉しいということなんです。

私にも私なりの成長のプロセスがあるのだと思います。それでいいんだなと、思える自分が嬉しい。ちょっと、躁状態なのかもしれないけれど、これも自分なんだなと、思える自分が嬉しいのです。

モリリンさんのこの御文章にずっと出逢いたかった。出逢えて、とっても嬉しい。嬉しいのです。ありがとうございます。

モリリンさんとの出逢いに感謝しています。これからも同じ養成講座生として、どうかよろしくお願いいたします。ありがとうございました。
エンジェル [URL] 2014/07/18(金) 00:40 [編集]

桜 美穂さん
コメントありがとうございます。
返事が遅くなってしまってごめんなさい。

桜さんがおっしゃるように、雲に気づいて認識していることで、自分は雲ではないことが、既に証明されているのでしょうね。
現れては消えていく形はあっても実在しないものと、それに気づいている形のない実在とどちらに意識を向けているのか。
そうやって出てくる雲を味わいながらも、それに囚われない勇気ある自分でありたいと思っています。

私の場合、雲に囚われて前に進むことを諦めたていた時、人生は味気なく、退屈で、苦痛なものでしかありませんでした。雲があってもなくても、自分の喜びに向かって歩く勇気をいつも持っていたいなぁ〜と思います。

桜さんも、新たな視界が開けてワクワクされているのですね!^^
私はまだ、いろいろと模索中なところがありますが、桜さんに続いて自分の喜びを広げていけたら嬉しいです。

ありがとうございました。
もりりん [URL] 2014/07/20(日) 18:33 [編集]

エンジェルさん
コメントありがとうございます。
返事が大変遅くなってごめんなさい。

エンジェルさんのコメントを読んでいて、何度もプッ!と笑ってしまいました。^^ エンジェルさん、ホントに面白いですね!!

でもコメントから、エンジェルさんの感動が伝わってきて、私も嬉しく思いました。
美しいと思っていただいて、愛おしいと思っていただいて、ありがとうございます。私に向けてくれたその想いを、どうぞご自身にも向けてあげてください。私はエンジェルさんの、そのカラッとした明るさが、とっても魅力的だと思ってます。

苦しみがあっていいのかもしれないと書かれていましたが、私も逆の言い方をすれば、出てくる雲を味わうことが人生なのかな、と思っています。私たちはみんな、そこを通って蝶になりたいと願っているかわいいさなぎ達なのではないでしょうか。
もりりん [URL] 2014/07/20(日) 19:01 [編集]

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