お伝えしたいことは「運命は改善できる」ということです。
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08/01
あつい夏にあつい温泉
澤谷 鑛

 3年前の8月3日のことだった。
「今日、水道の工事があって、9:30から水が使えないのよ」
 との家内の言葉に、
「そうか、トイレもそれまでに行っておかなくちゃ」
 と私が言うと、
「こんな夏の暑い日には、熱い温泉に行かない? 一休。熱い岩盤浴にも浴したいのよ」
「温泉か、一休ね。いいね。山の中だね。じゃ、ちょっと仕事のくぎりがついたら行こう」
 結局、11時過ぎに家を出ることになった。

 家内の運転で宇治のにぎやかな市内から宇治田原という静かな山の中に入って行った。
 途中、「かつぜん」という店があり、1,050円の日替わりランチを食べた。初めて入った店だ。カツと串カツと茶碗むし、ポテトサラダにキャベツ、味噌汁にご飯、それに珈琲か紅茶かアイスクリームは、61歳と59歳の夫婦(当時)には、どちらも量が多かった。だが、冷たいそうめんやひやむぎやそばやうどんの食べたくなる季節に、老夫婦(でもないか、初老?)二人がカツを食べている、と思うと二人の健康に感謝したくなった。私たち夫婦は、老人だと自分たちを二人を思っていないのだろう。
 家内はアイスクリーム、私はアイスコーヒーを最後にいただき、店を後にした。

 上方温泉・一休は、宇治田原にあるものとばかり思っていたが、城陽市の中芦原というところにあった。静かな山の中にあるのは確かだ。広い駐車場には、たくさんの車が駐まっていた。
 なだらかで大きな石畳の石段を登る途中に、和風のレストランが見えた。20人を越えた人たちがいたが、ほとんどがお年寄りと子供たちだった。子供たちは夏休みだろうが、今日は平日である。
 受付を通り、お風呂の入口までいくと岩盤浴の受付があった。家内は、
「1時間ほどで出ますから……」
 と言って、受付を始め、私はそのまま男風呂の暖簾をくぐった。5人ほどの人が風呂上がりで風にあたりながら着替えていた。のんびりした感じがいい。私は、裸になり、タオルを持って、ガラス戸を開けた。そんなに熱い感じはしない。身体を流す湯を大きな瓶から手桶に汲み、流した。そのまま、サウナ風呂に向かった。
 流石にサウナは、熱かった。誰もいなかった。正面の一番上の三段目に座った。5分も経たないうちに身体中が汗びっしょりになった。だが、気持ちがいい。それから数分我慢したが、気持ちのいい分、熱いのだ。サウナを出ようとすると、一人老人が入って来られるのと行き違った。
サウナを出ると、私はすぐに身体と頭を洗った。洗い終わると、露天風呂に行った。冬に来たときは、大きなガラス戸で内と外が仕切ってあったが、取り払われている。松や梅が見える。やまぼうしもある。笹も植えてある。
 一人が入れる大きな瓶に浸かった。肌がつるつるになる。温泉なのだ。蝉しぐれがこの場の静けさを教えてくれているようだ。蜻蛉が飛んでいる。知っているシオカラトンボやオニヤンマではない。なんという蜻蛉なのだろう。寝そべられる椅子に何人かの人があちこちの木蔭で横になっている。お湯からあがり、木蔭の椅子に腰をかけた。熱い風のはずなのに涼しく感じる。時間が止まったような感じがする。

 以前、『絆の法則』(学研パブリッシング)を出版したとき、表紙に「本来の幸せに気づく“心のデトックス”」と書かれ、帯に「当たり前に生活できることが、こんなにも幸せなんだ……」と書かれたのを思い出した。帯の裏側には、「“心のデトックス”が、幸せにむすびつく」とあり、「マイナスの想念感情を洗い流し、さらに相手の立場に立って考えることで、感謝の心を取り戻し、自分の望みどおりの人生を実現できます。このプロセスこそ、“ほどいた絆”をむすび直し、さまざまな人生の問題が解決へと導かれるのです」と書かれている。
 当たり前の生活こそ、しあわせなんだ、と思いながら、この普通の何もない当たり前があるからこそ、是非とも伝えたいという思いが燃えさかるのだ、と感じた。

 人の声がしなかった中に子供の声が響いた。おじいちゃんと孫のようだ。小学生らしき男の子は、よく喋る。おじいさんらしき人は、微笑みを湛えて嬉しそうだ。
“もうすぐ孫たちも来るなあ”
 とふたりの孫の顔が思い浮かんだ。
 露天風呂は、瓶以外に、三つの風呂があり、遠赤外線のサウナのドームもあった。すべてに浴したが、木蔭の椅子で休む方が時間的には長かった。屋内には、身体を洗う場所と二つ風呂と壁をお湯が伝う足湯がる。足湯は浸かったが、屋内の風呂には入らなかった。
 ほとんどの時間、露天風呂の方で過ごした。

 1時間15分経って、風呂からあがった。家内は、まだロビーにいなかった。私は、腰をかけて、テレビを観るとはなしに観ていた。老夫婦が缶ジュースを飲みながらのんびりとしている。
 1時間半経って、家内は出て来た。
「岩盤浴は90分だったのよ。でも少し早めに切り上げてきた」
「飲み物はいいの?」
「岩盤浴にはペットボトルの水が一本ついているの。飲んだからいい」
「じゃ、帰ろうか?」
 帰りの車の中で、
「コーちゃんとミーちゃんが来たいといったら連れて来ようよ」
 と私は言った。


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コメント

心も身体もツルツルに♪
澤谷先生 こんにちは

あつい夏にあつい温泉を満喫されたのですね。
夏の山の中の温泉が大好きで、毎年出かけたことを思い出しました。自然を満喫すると、心も身体もツルツルにリフレッシュしてくれる気がしました。

リフレッシュできたときに、【当たり前の生活こそ、しあわせなんだ】ということが再確認され、【この普通の何もない当たり前があるからこそ、是非とも伝えたい】という情熱が更に増していくのかなぁと思いました。

先生が【この普通の何もない当たり前があるからこそ、是非とも伝えたいという思い】を燃やされ、お伝え続けてくださったから、わたしたちも「当たり前のしあわせに気づくことの大切さを伝えたい」という情熱を持つことができました。
人に伝えたいという情熱を持つことができるのは、尊く有難いしあわせだと思います。感謝しております。

今朝は、悪人正機などについての書を書いておりました。そのときに見ていました書道家の作品に、蜻蛉の句がありました。これは秋の句のようなのですが。

  とどまればあたりにふゆる蜻蛉かな  中村汀女


情熱に突き動かされて行動していると、いつの間にか家族や自分の心身のケアを怠りがちになり、【普通の何もない当たり前】の中にあるしあわせを見過ごしていってしまうことがある気がしています。
これでは本末転倒なのですが、わたしには、この辺のバランス調整が苦手なところがあるのです。

今日の先生のご文章を拝読し、家族や自分の日々の健康に感謝したり、蝉しぐれや自然の中に溶け込んで【時間が止まったような感じ】を体験したり、いのちをかんじたりすることが、本当に大切だなと思いました。

息子と蛙や蝉の声を楽しんでいます。今年の8月は、あつさにめげずに夏を満喫できそうな気がしています。ありがとうございます。

ありがとうございました。
NAO [URL] 2014/08/01(金) 10:17 [編集]

大自然のリズム
NAOさん。

当たり前……自然体……最近、大事に感じています。小事に感じることも小事ではなく大事なのですね。でも小事にこだわり過ぎると大事もみえてこないのでしょう。

それにしても、大自然のリズムを感じることは、ほんものをみる視座・視点を確立するように思いますね。

一昨日の飛騨高山に行く間の景色や澄んだ空気、先週の火曜日に行ったびわ湖のハスの群生など、まっさらさらのいのちを感じますね。(今日のフェイスブックにも書きました)

息子さんと、この夏を満喫してください。
澤谷 鑛 [URL] 2014/08/01(金) 10:52 [編集]

つい最近、セミナーで泊まったホテルに温泉がありました。露天風呂もあって、朝風呂だと、まわりの景色や、波の音など聞こえて、本当にのんびりできて、気持ちがよかったです。

温泉といえば、大抵、おばあちゃん、お母さん、孫たちの3世代でお風呂に入ってこられてて、仲のいい家族なんだなあ、これがふつうの家族の姿なのかなあって、いつも眺めています。

澤谷先生と奥様のお話を伺っていても、夫婦っていいなあと感じます。

先生が、「コーちゃんとミーちゃんが来たいといったら連れて来ようよ」って、おっしゃったのは、お風呂でおじいさんとお孫さんのお姿をごらんになったからですよね。

人によって、なにがふつうで、なにが当たり前かって、違うのかもしれないけれど、人と人とのかかわりの中に、そして、目に見えない多くの人やもの、ことに支えられて、今の当たり前の、ふつうの生活があるってことが、凄い奇跡でしあわせなんだろうなって感じます。

ついつい忘れてしまいがちになるけれど。気づかなかったりするけれど。

ある本に、「朝の質問」が載っていました。その中に、

1、今、私は何を感謝しているか。
2、今、私の生活において素晴らしいことは何か。
3、誰が私を愛し、私を大切に思ってくれるか。
4、私は誰を愛し、誰を大切に思っているのか。

というのがありました。毎朝、自分に問いかけようと思います。
いつも感謝しながら生きていこうと思います。

ありがとうございました。
エンジェル [URL] 2014/08/01(金) 17:07 [編集]

当たり前の凄味が奇蹟と表現された
エンジェルさん。

「人によって、なにがふつうで、なにが当たり前かって、違うのかもしれないけれど、人と人とのかかわりの中に、そして、目に見えない多くの人やもの、ことに支えられて、今の当たり前の、ふつうの生活があるってことが、凄い奇跡でしあわせなんだろうなって感じます」

というところ、そうですね。確かに、十人十色ですからね。人によって感じ方が違います。しかし、人と人とのかかわり、そして目にみえない多くの人やものや事に支えられて生きているのも確かですね。その当たり前を奇蹟というのですから、当たり前の凄味が奇蹟と表現されたのでしょう。

エンジェルさんの思考や思惟がよくわかります。

愛と感謝を毎朝問いかけながら生きていく。すばらしいことですね。
澤谷 鑛 [URL] 2014/08/01(金) 17:28 [編集]

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