お伝えしたいことは「運命は改善できる」ということです。
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08/03
蜘蛛の糸
桜 美穂(養成講座2期・3期・4期・5期・6期)

芥川龍之介の「蜘蛛の糸」というお話があります。
お釈迦様が極楽をお散歩されていて、ふと蓮の池の底をご覧になると、地獄の有り様と、沈みかけている罪人、カンダタの姿が見えた。
お釈迦様は蜘蛛の糸を垂らされ、カンダタは喜んでそれにすがり登り始めます。
しかし、途中で、自分の後からぞろぞろと罪人たちが登ってくることに気付いたカンダタが、
「これは俺の糸だ! 降りろ!」
と叫んだ途端に糸はぷっつりと切れて、まっさかさまに落ちてしまう。
「それをご覧になられていたお釈迦様は、ため息をつかれて、そして何事もなかったように、また極楽を散歩された」
と、物語は終わっています。

わからなかったのです。
どうしてお釈迦様は、「何事もなかったように」また散歩に戻られたのか。

どうしてお釈迦様は、そこでカンダタをお見捨てになられたのか。
どうして、ご自身で血の池に飛び込まれなかったのか。
どうして、蜘蛛の糸などというか細いものではなく、太いロープをお投げにならなかったのか。

でも今は、もしわたしがお釈迦様の立場なら、やっぱり同じように、また、何事もなかったように散歩に戻るだろうと、心から思えるようになりました。

それは、見捨てることでもなく、情けをかけないことでもない。
カンダタを信じ抜き、喜び抜いているからできることなのです。

エゴから喚き散らしているカンダタを、自動的にエスカレーターに乗せるように、極楽に連れてくることなど、何の解決にもなりません。
そんなもの、救いでも何でもない。

失敗したカンダタを憐れむ思いなどみじんもありません。
どうして、憐れまければならないのかがわからない。
蜘蛛の糸は切れて良かった。
ロープではなく、蜘蛛の糸でなければならなかったのです。

「カンダタさん、いい経験したね。ちゃんと学んでくるんだよ」
と今ならば、微笑んで言うことができる。
カンダタさんを信じ喜ぶ思いが、抑えても抑えきれない勢いで湧き上がり、噴き出してくるのです。

そしてそれはきっと、わたしがわたし自身を本当に信じられるようになり、本当に、喜べるようになったということなのでしょう。
何を、今まで、不安がっていたのでしょうか。

今日も明日も明後日もずっと、自分を信じぬき、愛しぬき、喜び尽くして生きていこうと思うのです。

あなたのおしあわせを、心からお祈りしております。^^


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コメント

蜘蛛の糸
桜 美穂さん
お久しぶりです。[蜘蛛の糸]を読ませて頂きました。
話の内容があまりにも割愛し過ぎだと思います。
この文章では作者の真意が全く伝わりません。
貴女が[わからなかったのです]という3つの疑問はいつ頃、抱いたのですか?
[でも今は-----心から思えるようになりました]と書いてありますが、私には貴女が理解したとは到底思えません。
[カンダタを信じ抜き、喜び抜いているからできることなのです]って、一体何を言いたいのですか?私も芥川龍之介の[蜘蛛の糸]を読み返しました。改めて美穂さんに反論したくなりました。解釈が全く違うと。
お釈迦様が極楽の蓮池のふちをぶらぶら歩きをしている時にふと下の容子(ようす)を御覧になった。そこは地獄で 、他の罪人と一緒にカンダタという放火、殺人を犯した男が蠢いている姿が眼に止まりました。この極悪非道な男でもたった一つ善い事をした覚えがあります。それはこの男が歩いている時に、小さな蜘蛛が這っているのを見て、いつもなら踏み殺していたのに、[いや、これも小さな命。無闇に取っては可哀想だ]と助けてやったことです。
何でもお見通しのお釈迦様はこの事を思い出しました。
それなら、この男を地獄から救い出してやろうと。
傍(そば)の蓮の葉にいた蜘蛛の銀の糸を遥か下の地獄の底にお下しなさいました。
何気なく空を見上げていたカンダタは銀の糸を見つけて、大喜びで両手でつかみ、たぐり上りました。
地獄と極楽は何万里の距離がある。一休みして下を見てビックリ。何と何百、何千の罪人が続いていたのです。
ただでも細い糸。思わず、[この糸は俺のだ!降りろ!]その瞬間、無情にもカンダタのつかんでいたすぐ上の部分からプツンと糸は切れたのです。
折角、慈悲の心が掴んだ千載一遇のチャンスを自らの無慈悲の心が糸を切らせたのです。この細い糸が、例えワイヤロープであろうと何であろうと、同じ結果です。お釈迦様の何気ない慈悲の心をカンダタは踏みにじったのです。お釈迦様が
悲しみの顔で立ち去ったのはやはり[縁なき衆生は度しがたし]の思いが表情に表われたのだと思います。
美穂さん 辛辣な文章になった事、ご容赦ください。
マサ(養成講座 6期、7期生)
マサ [URL] 2014/08/03(日) 09:31 [編集]

ほんもののしあわせ
桜さん こんにちは

芥川先生の「蜘蛛の糸」というお話は、ほんとうに奥が深いお話ですね。
一生、深い学びを得られるようにおもいます。

【エゴから喚き散らしているカンダタを、自動的にエスカレーターに乗せるように、極楽に連れてくることなど、何の解決にもなりません。
そんなもの、救いでも何でもない。】
というのは、ほんとうですね。。。

どんな悪人であろうとも、心を入れ替えることができたなら、地獄の底から出ることができる、そして、生まれ変わったように、まっさらさらのいのちを喜びながら人生を生きていくことができるのですね。

心を入れ替えるには、みずからがみずからの人生のなかで冷暖自知して学び、悟らなければならないのでしょう。

自我に執着する心を超えて、無条件にそそがれている愛を悟ることができたとき、慈悲の心をあらわしだすことができ、みんなで一緒に救われてしあわせになろうよ! と思えて行動できるようになり、人間としてのほんもののしあわせを感じることができるのだろうと思いました。
わたしたち人間は、ほんもののしあわせを感じることのできる尊いすばらしい存在なのですね。

【「カンダタさん、いい経験したね。ちゃんと学んでくるんだよ」
と今ならば、微笑んで言うことができる。
カンダタさんを信じ喜ぶ思いが、抑えても抑えきれない勢いで湧き上がり、噴き出してくるのです。】
桜さんの大きな喜びが、大きな波のようにつたわってきました。

自身と家族や周りの人やクライアントさん、ひいてはすべての人のどんな現実も、まっさらさらのいのちが無限に進化向上している展開だとみつめ、安心して見守ることができることもまた、人間が人生の中で体験できる大きな喜びの一つなのだろうと感じさせていただきました。

ありがとうございます☆.。.:*・
NAO [URL] 2014/08/03(日) 11:37 [編集]

いつも、ありがとうございます。

よくわからないなりに、私も考えてみました。

どうしてお釈迦様は、「何事もなかったように」また散歩に戻られたのか?

ご自分ができる最大限のことをこころみて、その結果が、蜘蛛の糸がきれてしまった。それが今の現実(カンダタのこころ?の状態)であると認識したからではないのか?

私が1年半前に、初めて、澤谷先生のカウンセリングを受けたときも、このお話をされました。セミナーでも、時々、お話されます。

よくわからんなあで、今日まできてしまったのですが、思い起こすと、「あなたが、自分でやらなきゃどうしようもないんだよ。誰もかわって、できないんだよ。」と言われたような気がします。

占いや霊能者といわれるところにも、よく行っていたのですが、ある日、「もう悪い霊のしわざじゃない。あなたの問題。逃げていてはダメ。」といわれたことがあります。それも、聞き流してしまっていたんですが・・・。

ということは、本人が本気で救われることを望み、行動を起こさない限り、まわりがどんなに手をつくしても、結局は、救われない、欲しい結果は手にいれられないということではないかと、今、感じています。

いつでも、救いの手はさしのべられている(もしくは、欲すれば、方法はいくらでも見つかる)。受け取る側が、本気で、欲しているか、行動するかどうかの問題だと思いました。

マサさんの書いておられる、「縁なき衆生は度しがたし」ということでしょうか。違うかな?

しかし、桜さんがおっしゃっていることは、そんなカンダタであるが、きっと本人が本気で成長しようとおもい、救われる日が必ずくると信じ切っておられるということですよね。
そう思えるのは、桜さんがご自身のことを信じられるようになったからなんですよね。

相手のこと(可能性)を信じ切れるかどうかということは、即ち、自分自身(の可能性)を信じ切れているかどうかの問題ということなんですね。

今一度、自分のあり方、生き方ー自分はいったいどうしたいのかを、真剣に考えようと思います。(こんなんでいいんかな?)
(でも、カンダタが救われる状態であったならば、どのような状況になっていたんだろう?ヒジョーに気になりますが・・・)

長々とわけがわからんことを書いて、ごめんなさい。ありがとうございました。
エンジェル [URL] 2014/08/03(日) 20:17 [編集]

マサさん
マサさん こんにちは。桜です。
「蜘蛛の糸」のお話の筋を補足してくださり、ありがとうございます。

「縁なき衆生は度しがたし」という言葉を調べてみたら
慈悲深い仏でも仏縁のない人は救えない。転じて、人の忠告を聞き入れない者 は救いようがない。
という意味だ、とありました。
芥川さんは、救いようがないから、諦めて捨て置こう、と結論づけたかったのですか?
それとも、別のことを言われたかったのですか?

わたしは不勉強なので、そのことについては知りません。
しかしどちらにしても、わたしは
芥川さんの説かんとされたところを解説するために記事を書いたのではありませんし
芥川さんと同意見になることが正しいとも思わないので、そこには興味を感じません。

どのように解釈し、そこから何をつかむかは読者に委ねられていることであり
その解釈によってその人が自分の人生を変えられたかどうかという
その事実こそが読書において大切なことであり
そこにこそ命があるのだと思います。
命を伴わない解釈と議論に意味があるとは、わたしはあまり思わないので
今回は不勉強なままに、ただ思ったところを率直に書きました。

このようにマサさんがある種の情熱をもってコメントされるのは
わたしの記事の解釈が間違っていると指摘したかったということ以上に、何か
ご自身のご人生やお命に響く、マサさんにしかお出来にならない
読み込み方をされたからなのでしょう。
わたしにとっては、芥川さんの解釈がどうかということよりも
そちらの事のほうがはるかに興味深く
マサさんのお命の表れとして、はるかにかけがえなく素晴らしいものと感じます。
マサさんのご人生やお命がほとばしるようなそのご熱意をこそ
わたしはむしろ、ぜひ伺ってみたいと思います。
桜 美穂 [URL] 2014/08/03(日) 21:51 [編集]

善の心
カンダタの立場になって考えたら、カンダタのような行動をしないとは言えないなあと若き日……思いました。

長崎県で凶悪な事件が起こりました。殺人をした女子高生の心の中は闇だらけでしょうか? いえ、カンダタのように小さな生き物を助けるようなそんな『善の心』は、あったはず……

周りの深い愛しか、そのような子どもを助けられません。
学歴や地位より大切なもの……
みんなで考えたいです!
田中 絵里 [URL] 2014/08/03(日) 22:12 [編集]

明るい未来を想いながら
良いお話を聞かせていただきました(*^。^*)

ちなみに私の教室の授業の一環で詩の暗唱がありますが、生徒がよく選ぶものにこの「蜘蛛の糸」があります。

5~6歳の子供になぜがこの蜘蛛の糸は覚えやすいようです。
言葉が美しく私も大好きです。

これからはまた違った視点で今までよりも明るい未来を想いながら、聞くことができそうです。
中村 弘美 [URL] 2014/08/03(日) 22:16 [編集]

NAOさん
NAOさん こんにちは。コメント下さりありがとうございます。

お話の中では役割が必要ですから「悪人」「罪人」という言葉が使われるものですが
実際には「悪人」も「罪人」もいないのですね。

どんな悪人も、心の奥底に濁らない澄んだ心を持っており
それを思い出すことが出来さえすれば、いつでも
NAOさんが仰るとおり、「生まれ変わったように
まっさらさらのいのちを喜びながら、人生を生きていくことができる」のですね。

「心を入れ替えるには、みずからがみずからの人生のなかで冷暖自知して学び、
悟らなければならないのでしょう。 」とお書きくださった中の
「みずからの人生のなかで」というお一言が心に響きました。
おっしゃるとおり、人は己の人生の中でこそ学べるのであり
己の人生の中でしか、学ぶことはできません。
その重みとありがたさがずっしりと、またほのぼのと迫り、感謝の思いが湧き上がりました。

わたしたちの人生においても、蜘蛛の糸が垂れてくる瞬間が
何度でもあると思うのです。
そのたびに、エゴの苦しみに負けて何度も血の池地獄に落下してしまう。
カンダタさんのストーリーを他人ごととして聞ける人など、
ひとりもいないのではないでしょうか。

もしわたしがカンダタであったなら、悲しい顔をして
お釈迦さまに去られてしまうことに耐えられないと思います。
「何もなかったような顔をして」お釈迦さまが
自分を忘れて行ってしまわれる絶望を思うと
地獄という場所の恐ろしさが骨の髄まで染みてきて、身震いします。

しかし、この恐ろしいほどの絶望を知らなければ
どうして人は、自分の命を救おうと、真剣になれるでしょうか。
まことに、命は死と隣り合わせになってこそ輝くのでしょう。
死の中からこそ、最も新しい命が立ち上がるのでしょう。

カウンセリングを始めたばかりの時のこと
最もひどい状態のクライアントさんの中にこそ
最もまばゆい、直視できない光が輝いていることを感じて
声にも言葉にもならないほどに圧倒されたことを思い出しました。
人の命のなんという素晴らしさいでしょう。
「明ける前の闇が最も暗い」
「陰極まれば陽になる」
など、様々な言葉で同じことが言われてきていますが
最も暗い中にこそ、最も強い光がある。
ならば、どうしてそれを喜ばずにいられるでしょうか。

まだ実際にお会いしたことのないNAOさんと、この大きな喜びを
共に分かち合えたことを、嬉しく思います。
この喜びの中、共に同じ時代を生きさせて頂ける奇跡が
嬉しくてならないのです。

ありがとうございます。
桜 美穂 [URL] 2014/08/03(日) 22:26 [編集]

新しい発見
蜘蛛の糸。最初に読んだ時はそんなに深い意味もわからず、ただ単に引き込まれて一気に読みました♪

何が……? 何年か置いて、また読みました。一緒にしてはいけないと思いますが……。芥川龍之介も昔話もサスペンスもアニメも何回読んでも~その度に新しい発見があります(笑)。
村上 正枝 [URL] 2014/08/03(日) 22:38 [編集]

エンジェルさん
エンジェルさん こんにちは。コメント下さりありがとうございます。

エンジェルさんが「よくわからないなりに」と言われながら、
わたしの記事をきっかけにご自身のご体験やご人生を思い返され、
答えを得ようと考え直されておられる、その真摯なご姿勢に感銘を受けました。

なんとか理解しよう、なんとかより良く生きようとされるエンジェルさんの
誠実なご姿勢は、それだけで本当に貴いものであり
多くの方に、励ましを与えるものだと思うのです。

そして、エンジェルさんは、
わたしが書きたかったいちばん大切なところをちゃんと受け取ってくださいました。
自分の心が変わるだけで、見える世界は180度変わるのです。
心がすべてを展開するのならば、
見える世界を180度変えて自らがしあわせになり、周囲もしあわせになっていくこと
それ以上に大切なことなど、あるでしょうか。

すべての方に、この感動を伝えたい。
すべての方に、明日とは言わず今、この瞬間に、
ご自身を信じ抜かれて、ご自分の人生をも180度インスタントに好転させられる奇跡を
ご自身で体験して欲しいと願ってやみません。

エンジェルさん、またゆっくりお話しましょう。
おしあわせを、心からお祈りしています。
桜 美穂 [URL] 2014/08/03(日) 22:58 [編集]

田中 絵里さん 
田中 絵里さん こんにちは。コメント下さりありがとうございます。
お言葉のひとつひとつが、深く心にしみました。
わたしも、まったく同感です。

人生の、存在の本質、真実を、田中さんは深く求める心を持っておられるのですね。
長崎のショッキングな事件、その余波を思うと胸が痛みます。
しかし、そのことで多くの人が衝撃の中
人生の意味を改めて問い直され、考えておられるのだとしたら、
失われた命も、まだ報われるのではないかと思います。

貴い貴い命です。今度の事件を無駄にしてはならない。
わたしも、できることをしていかねばと、改めて強く思わされました。
ありがとうございました。
桜 美穂 [URL] 2014/08/03(日) 23:11 [編集]

追伸
桜さん こんばんは

皆様のコメントを拝読していて、昼間に差し上げたコメントの中で、うまく表現できていなかった箇所を訂正させていただきました。↓

自我に執着する心を超えて、無条件にそそがれている愛を悟ることができたとき、慈悲の心をあらわしだすことができ、みんなで一緒に救われてしあわせになろうよ! と思えるようになり、自然と行動できるようになり、人間としてのほんもののしあわせを感じることができるのだろうと思いました。

このしあわせは無限大、天井なしなのだろうと思えます。

最近になって、あらためて桜さんとのご縁に感謝しております。
ありがとうございます。
NAO [URL] 2014/08/03(日) 23:19 [編集]

中村 弘美さん
中村 弘美さん こんにちは。コメントくださりありがとうございます。
中村さんは、小学校の先生をなさっておられるのでしょうか。
大人のわたしには暗いと感じられるこのお話も
生命力あふれるお子さん方にはまた違ったように感じられて好まれるのでしょうか。
興味深いお話をお聞かせ下さり、ありがとうございます。

お子さん方のみずみずしい感性と日々触れ合っておられるであろう中村さんの
ますますのご活躍を、心からお祈りしております。
桜 美穂 [URL] 2014/08/03(日) 23:23 [編集]

村上 正枝さん
村上 正枝さん こんにちは。コメントくださり、ありがとうございます。

今回の記事は、著者である芥川さんのご真意に近いのかどうかは
わたしにはわかりませんし、的外れかもしれません。

しかし、村上さんが書かれているとおり、わたしにとってはまさしく
新しい発見であり、このような発見に至れたご縁に心から感謝しています。

村上さんも再読の喜び、新しい再発見の喜びを味わいながら
読書を楽しんでおられるのですね。

本日、この記事を通してご縁をいただけたことを、心から嬉しく思います。
ありがとうございました。
桜 美穂 [URL] 2014/08/03(日) 23:32 [編集]

NAOさん 再びのコメントありがとうございます。
NAOさん 再びのコメントありがとうございます。
ウィンドウを2つ並べて開いて、どこが違うのかを確認させていただきました(笑)
先のコメントでは、「 と思えて行動できるようになり」と書かれていたところを
後のコメントでは、「 と思えるようになり、自然と行動できるようになり、」と
書き直されたのですね。

思い出されて違和感を覚えられて、言葉を精査されて書き直されたのでしょう。
一言一句、間違いなくご自身の思いやお気づきを表し出せるものにしようと
精魂を傾けるように一文字一文字に至るまで、思いを込め、選ばれて
ご文章を書いておられるのでしょう。

それほどまでに言葉というものを大切に扱われておられるのは
それだけ、ご自分にごまかしや偽りを許しておられないこと、
しっかりとご自身と対峙しておられること、
誠実に生きておられることの、何よりの証拠であるのだと思います。
そのご姿勢に、人としての最高の美しさと清々しさを感じる思いが致しました。
こうしてコメントをやりとりさせて頂けることを、本当に嬉しく思います。

人といただける御縁の意味というのは、きっと
時間と共にお互いが進化していく過程や結果において
どんどんと生き物のように変化していくものなのでしょうね。
その、どの過程も無駄ではなく、お互いの変化、進化にとって
意味深くない絆やご縁など、きっとひとつも無いのでしょうね。
そう思うと、どの御縁も、日々あらためて違う感謝を捧げ続けていくべきものなのかもしれないと
思われてきます。

何一つ、固定した形のままとどまるものなど無い。
すべては流れ動き、姿を変え続けている。
けれど、どんなに流転しても変わることなく貴い命であるのですね。
なんと人生は、極彩色の打ち上げ花火のように、万華鏡のように
息を呑むほど多彩であり美しく、そして素晴らしいものかとあらためて思わされます。

貴い御縁に、心から感謝しつつ。
桜 美穂 [URL] 2014/08/03(日) 23:50 [編集]

追伸
桜さん おはようございます

何度も、お返事いただきまして、ありがとうございます。

実は、昨夜は元のコメントも修正してしまったのです。
でも、せっかく桜さんにお読み頂き、コメントのお返事を頂いていたのに申し訳なかった…と思いお知らせいたしました。
それなのに、わたしの説明不足で誤解させてしまい申し訳ありませんでした!

確か、元のコメントには

自我に執着する心を超えて、愛を悟ることができたとき、慈悲の心をあらわしだすことができ、人間としてのほんもののしあわせを感じることができるのだろうと思いました。

と書いていましたが、

桜さんの『蜘蛛の糸』のご文章をふまえてコメントをするとなると、

「無条件にそそがれている愛」がいつもあって手を差し伸べられていたことに気づくことと
「みんなで一緒に救われてしあわせになろうよ! と思えるようになり、自然と行動できるようになる」ことが

カンダタさんやわたしの体験を踏まえてみても、人生の中の学びと気づきと心の変化の過程で、すごく大事なことだと思ったので加筆いたしました。


文章やコメントを書いていて、送信した後で間違いや不足に気づくことばかりです。
あわてて送信せずに、もっと落ち着いて書くことが大事なのでしょうね^^; 
日々修行であります。


ほんとうに、人生の「どの過程も無駄ではなく、お互いの変化、進化にとって
意味深くない絆やご縁など、きっとひとつも無いのでしょうね。」
日に日に、日に日に、心の奥深くに、身体に、腑に落ちています。
ご縁の一つ一つに、唯々感謝せずにはいられません。

桜さんとのご縁に感謝しております。
ありがとうございます。

ありがとうございました。
NAO [URL] 2014/08/04(月) 06:38 [編集]

蜘蛛の糸
桜 美穂さん
これ迄殆どコメントを書かなかった私ですが、今回は猛烈に書きたくなったのは、小さい頃から好きだった[蜘蛛の糸]がテーマだったからかも知れません。その頃に思った事と今も一貫して同じ読後感を持っています。考えて見れば、人は十人十色。色々な捉え方をするものですね。ついムキになってしまいました(笑)。観点が違うのですね。それにしても例え話ですが、私の方で柔道の技を綺麗に掛けたつもりが、思っても見なかった返し技が貴女から来たみたいです。まさか私の生き方の方に話が行くとは予想外でした。
又、論を戦わせましょう。
マサ [URL] 2014/08/04(月) 14:11 [編集]

NAOさん
NAOさん 重ねてのコメントを頂き感謝いたします。

「無条件にそそがれている愛」がいつもあって手を差し伸べられていたことに気づくことと
「みんなで一緒に救われてしあわせになろうよ! と思えるようになり、自然と行動できるようになる」

と、お書き下さいました。
その、「自然に」ということが本当に素敵だなと感じます。
そうしようと頑張るのでもなく
そうするべきだと自らに強いるのでもなく
そうできない自分や他人を責めるのでもない。
「自然に行動できるようになる」とは、まるで花が開くような姿であり
それは人としてこれ以上ない美しさかもしれないと、嬉しく拝見致しました。

「自我に執着する心を超えて、愛を悟ることができたとき」とは、仰るとおり
「人間としてのほんもののしあわせを感じることができる」時。
その時こそ人は、自分が、沢山の人から注がれている無条件の愛に生かされていたこと、
今も生かされていることに気付くのでしょう。

そしてまた、囚われたままの心で、条件付きのまま自分に注がれる愛の中にも
歪んだ表れ方しかできない愛の中にも
愛とは正反対な態度や言葉、思いをぶつけられることの中にすらも
目には見えない本物の愛の純粋な輝きの存在を敏感に、確かに感じ取り
相手の弱さを許せるようになり
慈悲深く対せるようになるのかもしれません。

その時にこそ、人本来の、無条件に愛したいという深い願いが
堰を切って流れだすのであり
それこそが、人にとって最高の本当のしあわせな状態ではないか…
その深みに、たどり着きたいと願っているのです。

NAOさんのお一言お一言に、たくさん学ばせていただきました。
ありがとうございました。
桜 美穂 [URL] 2014/08/04(月) 22:29 [編集]

マサさん
マサさん

重ねてのコメントをありがとうございます。

どうしてムキにならずにいられなかったのか、
どうして、そしていったい何に、そこまで引っかかられたのか、
そこのところにこそマサさんのご真実がお在りであるのではないでしょうか。
確かに解釈は十人十色ですが、そんな結論でこの議論を終わらせられるのではなく
ご自身の本当の思いをこそ、冷暖自知されるべきであり
それをこそ、書かれるべきではないのでしょうか。
それを置き去りにして戦わせるただの「論」に、何の価値があるでしょうか。

上から目線で偉そうに言うのではなく、わたしも同じだったからこそわかるのです。
わたしが六期の初め頃にメーリングリストで
河合政実さんのご文章を何回かにわけて投稿したことがありましたが
その時わたしは、澤谷先生から意味のないことをするなとお叱りを受けました。
さくらみるくさんのお母さんへの、お姉さんへの思い、
つまり、自分が扱うべき本当の問題について、書くべきではないかと言われました。
覚えておられるでしょうか。

あの頃からわたしは、論に逃げて自分の本当の問題から目を背けはじめていたのです。
養成講座を続けられなくなった状態も、そのあたりから始まっていたのでしょう。
今となっては何もかもがよくわかりますから、もう逃げません。

ただ一度きりの人生なのです。
論で生きるのでは、あまりにももったいない。
広い世界にたったひとりしかおられない、かけがえのないご自身の
かけがえのないお命をほとばしらせて生きられてこそ、人生なのではないでしょうか。
それこそが、自身に誠実に生きるということではないのでしょうか。

養成講座二年目になられるマサさんが、かつてのわたしのように論に陥られることなく
わたしの失敗から最大限に教訓を引き出され、
ご自身の真実と向き合われ、ご自身のお命を見つけていかれること
そのお命をこそほとばしらせて行かれること
ただそれだけを心から願い、お祈りしています。

ありがとうございました。
桜 美穂 [URL] 2014/08/04(月) 22:53 [編集]

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