お伝えしたいことは「運命は改善できる」ということです。
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08/20
一即多・多即一
澤谷 鑛


 ある養成講座生と早朝にチャトで意見交換しました。みなさんの感想を求めたいと思います。

 澤谷先生、おはようございます。Bさんの文章を拝読しました。拝読して思うのは、やはり彼の表現の仕方は好きじゃないと思いました。これは相性という問題でしょうか? なんだか違うような気がするのですが……早朝からすみません。今からなんでも日記を書きます(*^_^*)

澤谷 「ミラーイメージの法則」というのがスポーツ心理学にあります。対戦する相手を好きじゃないと思うのは、正々堂々としていなくて、みずからの中に、罪悪感や劣等感があるというものです。批評とは畢竟己を語ることなのですね。私は、彼の表現はおもしろいと思います。一即多。多即一。で表現という一も十人十色で多なのですね。
Aさんの心の中に何があるのでしょうか?

 *ミラーイメージの法則について

人生は、あなたがつくりあげていきます。
幸運なことも、問題となることも、すべてあなたが引き寄せている、ともいえるのです。
スポーツ心理学に「ミラーイメージの法則」というのがあります。ひと言でいえば、
「相手に向けて発した気は、自分に返ってくる」
ということで、指導者の心得として用いられます。
たとえば、対戦相手のミスを願ってゲームをするのは、スポーツマンシップから外れるマイナス感情であり、マイナスの気を発すると、自分の能力も低下するというものです。
あるいは自分のチームの選手がミスをしたときに、“あの野郎、しょうがねぇな”とマスナスの気を発すると、自分のチームのポテンシャルは落ちてきます。
だから、野球の試合などで仲間がミスをすると、
「ドンマイ、ドンマイ」
と励ますのは、選手はそこまでは意識をしていないのでしょうが、「ミラーイメージの法則」にかなったことなのです。


 そうですよね……批評とは己を語っているんですよね。今の私は正直にいうとCさんの文章もDさんの文章もEさんの言葉も素直に入ってきません。Bさんの言葉は先生がおっしゃるようには到底思えないところにいます。
何がうごめいているのでしょうか……

澤谷 今日のフェイスブックに掲載した「あなたに代わるあなたはいない」の言葉は、貴女には容認できないでしょうね。ということは、自分の思いとイコールのものだけ容認するというたんなる自我執着の心なのでしょうか? まさかね(笑)。

 *今日のフェイスブックの「あなたに代わるあなたはいない」

人と人の争いは、言葉の行き違いから起こってくるものだ。人は自分の思っていることをそのまま言葉にあらわしているかというと、そうでもなく、愛していながら憎らしそうな言葉を使ったり、すばらしいと感心していながら叱ったりすることがあると言います。

すると人は、言葉使いの一番悪いところにひっかかって、私を誤解し、憎んでいると思い、心の中で反抗心を燃え立たせます。だから言葉を惜しんではならない。相手に充分に気持ちが通じないような中途半端な言葉は使わないことですね。

心の奥底にある愛の思いを誤解させないように、やさしい親切な行き届いた言葉使いが大切です。手紙でもメールでも、興奮したり悪意を持って書かないことです。気持ちは文字と文字の間ににじみでるものです。どんなに綺麗な言葉を並べても、相手を不快にします。直接話すときには、言い方を考えるべきで、語調や言葉の使い方を考えることです。

争いはごく些細なことから起こってきます。横柄ではだめだし、おべっかでも嬉しくないですよね。心から愛と敬意のにじみ出た親愛の言葉、つまり祈りの気持ちが大切です。会話は生きた祈りなのでしょう。昨日お会いした人には、特に感じました。そのように心を伝えたいと思いました。


 そうですね。自分の思いとイコールのものだけ容認するという自我執着心にまみれた小さい人間なんだと思います。

澤谷 という自分が小さい人間だとわかるということは、その小さな、不完全な自分を見ている自分がいるわけで、その不完全な自分を見ている自分が、不完全ならば、不完全が不完全を見て不完全とは思えず、それで当たり前だから、そのままにしているでしょう。ですから、不完全という欠けたものが見えるのは、見ている側に完全があるから不完全が見えるのですね。だから、小さい人間なんだで終わるのではなく、その先、その向こうに歩みだすべきでしょう。そこにみずからの生き方があり、人生そのものを味わい、みずからと対面することになるのでしょう。
貴女は、Fさんによく似ているのかも……。Gさんとは、また全く違うのもおもしろい! Fさんと話し合ったり、メールのやり取りをしてみたら如何ですか?

 先生がFさんに一即多、多即一のお話しをされる度にまだまだ深く意味を理解出来ていないながらも自分のことのように受け止めてました。ずいぶん前から自分には男性性が強くあるように感じてます。柔らかいこころにはまだまだなれそうにありませんね。修行、修行。

澤谷 そのような行動は、みずからを冷暖自知に導くのではないでしょうか? そのときは、自我執着の心は消えているでしょう。
修行は苦行ではないですからね。のびのびといきいきと楽しく自然体で行うものです。

 はい、ありがとうございます。ピンチはチャンスですよね。もがいて、もがいて光を探します(*^_^*)

澤谷 いえいえ、もがかず自然体で(笑)。


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コメント

皆の心の奥にある問題に気づかせてくれるもの
澤谷先生 こんにちは

一人の養成講座生の悩みをこうして、ご文章にしていただくことで、養成講座生の一人一人がそれぞれに、この悩みに向き合うことができたのだと思います。

それぞれの感じたこと、思ったことを表現し、お互いが多角的に一つの物事を観て、それぞれに気づきを得ることができる場があることに感謝しました。


目の前に起こる現実も、どう感じて、どう悩むのかも、十人十色です。
でも、心の奥にある問題が現実をあらわしだしていて、悩みが生まれるというのは、人間に共通の一面でもあると思います。

そして、その悩みに心がとらわれて苦しんでしまうことが多いのが人間なのだとも思います。
でも、そこにとらわれてしまうと同じような現実を繰り返してしまったり堂々巡りになりがちなので、「目の前の現実や悩みは心の奥にある問題をデトックスするためにあらわれてきているのだ」という視座に立つことが大事なときもあるのだろうと思います。

今回の課題をそうとらえてみたとき、一人の養成講座生の悩みは、十人十色の中の一つのあらわれだけれども、皆の心の奥にある問題に気づかせてくれるものでもあるのではないだろうか? という気がしました。

今回の課題に取り組むことで、心の中に「うごめいている」ものに気づいていき、デトックスができ、心の変化ができました。
感謝しております。ありがとうございます。

ありがとうございました。
NAO [URL] 2014/08/20(水) 09:56 [編集]

思惟の体験を思考で現わした
NAOさん。

「一即多・多即一」は、「一」についても、「多」についても、「一即多」についても、「多即一」についても、それぞれに原理というか原点から確認しないと理解がえられないのでしょう。しかし、理解は思考の世界であり、出会いは思惟の世界なのでしょう。

そのいみで、NAOさんは、理解したというよりも、出会ったのですね。その体験を、すなわち思惟の体験を思考で現わしたということですね。

正鵠を得ていると思います。
澤谷 鑛 [URL] 2014/08/20(水) 11:40 [編集]

こんにちは。

私には難しい言葉が幾つかあり調べてみましたがいまいち理解できませんでした。

それでも、相手がどうのではなく全ては自分なんだって改めて感じました。

私が感じる事ですがAさん=私の様に感じてしまいました(^_^)
もがくことも有るかもしれないけども自然体でやっていきたと思いました!! ありがとうございます!!
高見沢 美加 [URL] 2014/08/20(水) 14:13 [編集]

気づき
高見沢 美加さん。

すべては自分なんだと改めて感じたと言われていますが、そのような気づきは、みずからと出会われたものなのですね。
だから、最初に、
「難しい言葉が幾つかあり調べてみましたがいまいち理解できませんでした」
と書かれていますが、知識や理論で理解ができなくても、すべては自分なんだと改めて気づかれたのは、みずからの存在に出会われたのでしょう。
だから、
「もがくことも有るかもしれないけども自然体でやっていきたと思いました」
と括られたのですね。
澤谷 鑛 [URL] 2014/08/20(水) 14:26 [編集]

「一即多。多即一。」

私も、はっきりわかっていないのですが、「ひとりはみんなのために。みんなはひとりのために。」と、おなじことでしょうか?

ずっと昔、「ひとりはみんなのために。みんなはひとりのために。」を学ぶために、釜石?のラグビーチームのドキュメント?を見せていただいたような気がします。ミラーイメージの法則を拝読し、思い出しました。

あるスポーツの監督が本当に強いチームというのは、「気を遣えるチーム」だとおっしゃっていたそうです。例えば試合中、控えの選手も気を抜くことなく、全員で試合を作り出しているか、例えば、練習中、使った道具がほったらかしになていないかなど、あらゆる点で気がはりめぐらされているチームだそうです。

ということは、仲間が何を思い、何を感じ、何に悩み、何を苦しんでいるのか、そのことに細心の注意を払い、自分のこととしてわかろうとし、大切なものをともに大切にして、ともに伸びていくこと、共通の目的に向かって、ともに前に進んでいくということでしょうか。

そして、仲間とともに伸びていくために、今、自分ができることはなんだろうか、と考え、行動していくことでしょうか。

そう考えたとき、ああ、自分は自分のことだけで、全体のことは考えていなかったと気づきました。

養成講座でいえば、養成講座の理念?目的?方針?を理解し、それにそって、生きようとしていただろうか?全く?ではないにしろ、頭になかったというのが正直なところです(汗)。

でも、自分が一生懸命にするということも、全体からみれば、これもみんなのためになっていることでもあるのですよね。

すみません。慣れない頭をつかうと、頭がごちゃごちゃして、またまたわけがわからなくなってきました。ピントもずれずれかな?

先生がこのテーマをあげられたということは、やっぱり大事なことなんですよね。これからは、ちょっと、意識してみます。冷暖自知ですね。レイダンジチ。ありがとうございました。
エンジェル [URL] 2014/08/20(水) 18:49 [編集]

澤谷さん、コメントを読みました!
う~ん やっぱり難しい。でもなんとなくわかる感じです(^_^.)
澤谷さんのコメントは嬉しく感じました! ありがとうございます!!
高見沢 美加 [URL] 2014/08/20(水) 19:59 [編集]

「思惟」と「思考」の相違する世界
エンジェルさん。

「慣れない頭をつかうと、頭がごちゃごちゃして、またまたわけがわからなくなってきました。ピントもずれずれかな? 」

と書かれていますが、みずから表現されているものに対する違和感といっていいと思うのですが、おそらく、ほんものにであわれたものをそのまま表現する状況になく、意識化するとか、言葉化するとか、論理化するときに出くわした違和感なのだと思います。

まったくその違和感を感じなかったのは、「姉の50回忌」ですね。
そのことに関しては、先日、スカイプでお話して納得されたようですね。説得を試みたわけではありませんが(笑)。

ここに「思惟」と「思考」の相違する世界があるのですね。


澤谷 鑛 [URL] 2014/08/21(木) 14:22 [編集]

高見沢 美加さん。

思惟では、「なんとなくわかる感じです(^_^.) 」で、思考では、「う~ん やっぱり難しい」のですね。よくわかります。
澤谷 鑛 [URL] 2014/08/21(木) 14:26 [編集]

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