お伝えしたいことは「運命は改善できる」ということです。
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10/09
もうひとつの「もうひとつの物語」 ~いのちの絆の物語~
山下由希菜

澤谷先生
お元気ですか?

昨日(10/8)は、「絆の法則」に中絶に関する記事が出ていましたね。
私も、同じ経験を持つものとして、何か書いて差し上げたかったのですが、コメントを直接入れるには、まだ少しハードルがあり、こうして澤谷先生に、メールを書いています。

「やっぱり私とんでもないことをしてしまったんだ。小さな命を自らの意志で絶ってしまったんだという自責の思い」
「その子の存在を受け入れることが出来ずにいた昔の思い」
「もうこんな苦しい思いは忘れてしまいたいというなんとも身勝手な思い」
「そんな苦しい感情を感じた後に、初めて感じる温かく優しい感情」
「私を成長させるために、自分のところにやってきてくれたんだ、なんて愛しいんだろう。名前をつけてきちんと存在を認めて、ずっと忘れずにいたい。私の所に来てくれたことに感謝したい」

その、吉安さんの、どの思いにも、深く共感できました。

改めて、私も、もう少し書いてみようと思います。
私の中に新しい命が宿ったあの頃、私は、夢を持って就職した新しい職場で、立っているのさえ、やっとの苦しく、けれど、一生懸命な毎日を送っていました。
何故、その仕事を選んだのか。自分で自分の命を、尊く思うことができなかったからですね。
「この子たちのためになら、自分という存在も、何か価値を見出せるかもしれない」
そう思って必死になっていた頃でした。

「当時、本当に浅はかで、妊娠するなんて夢にも思っていませんでした。そして、その事実を受け入れることができずにいました」
「大切な命より私にはまだやりたいことがある。本当に身勝手でした。そんな私の中には、彼と一緒になり、産んで育てるという選択肢は、残念ながらありませんでした」

この気持ちも、とてもよくわかります。
澤谷先生。同じだったのですね。私は、中絶してその仕事を頑張ろうとしました。けれど……。その私が、宿った子どもを生んで、その子を我が手に抱きとめていたならば……。我が子は、確実に、私にメッセージを伝えてくれたのでしょう。

「あなたは、価値ある存在なのですよ」

自分の命のすべてで、それを伝えてくれようとしたのでしょう。それを伝えようとして、私のところに来てくれたのでしょう。今やっと、そのメッセージの全てを、受け取ることができているのかもしれませんね。
ひとつ、わからないことがあります。中絶された子どもすら、喜んでいるということ……。これがどうしても。
そういうことが、もしあるとするならば、その子どもの悲しみを、感じつくした後に、その子の本当に伝えたかったメッセージを受け取れた時なのでしょうか。その子の存在を、なかったことにしている間は、やはり、子どもは浮かばれないままなんじゃないだろうか……。

私は、今年の3月頃から、中絶した我が子に少しずつ向き合う機会をいただき、ようやく、子どもの命に真正面から向き合うようになっているのかもしれませんね。
私は、子どもに愛されていた。愛されていたのに、その愛を、受け取ることができなかった。あの頃の私を、一番、どうにかしてやりたかったのは、子どもだったのかもしれませんね。子どもという存在を、愛おしく感じました。

「親には、絶対話せないと思いました。本当に堅い考えの家でしたし、特に母は、心配したり、相談にのったりしてくれるどころか、軽蔑される、がっかりさせる。そんな恐怖でいっぱいで話すことはできませんでした」

本当に、これもよくわかります。私の両親も、そういうタイプでした。
結果的には、当時つきあっていた彼の勇気もあり、打ち明けることができましたが、私の場合は、その両親から、「今は生まないほうがいい」と言われ、自分の意思でというよりも、両親の意見に従うように、中絶してしまった……。そんな経緯があります。私は、両親を押し切ってまで、宿った命を守る強さは、残念ながらなかったのですね。

『いのちの絆の物語』の中の「不倫での中絶」の章でも感じたことでしたが、私の場合は幸い、どういう形であれ、まわりが妊娠した私にきちんと向き合ってくれたことで、自責の念がいくぶん軽かったのだろうと思いました。けれど……。そこを、ひとりで決断しなければならず、たったひとりで病院にいき、たったひとりで、それを抱え込むことは、あまりにも辛いと感じました。

「手術は、本当にあっという間で、殺風景な所で目が覚め、もういなくなってしまったんだよな……という思いと命を絶ってしまった罪悪感で、なんともいえない気持ちで部屋を出てきたことを今でもはっきり覚えています」

そうですね。そこに至るまでの苦しみに比べ、命を断つのは、ほんとに呆気ないことを、私も今でも覚えています。



手術後、無理しないように安静にして下さいと言われたので、布団で横になりました。
すると押さえていた感情が爆発し、悲しみ、苦しみ、悔しさ、罪悪感、怒りなどが溢れてきました。私がこんなにもがき苦しんでいるのに、彼は知らん顔で、ひどすぎる、無責任、心も体も傷つくのは、女の方じゃないか……。男なんか大嫌い。
しかし、怒ったり、叫んだりしたところで、事態は変わらない。すると急に虚しさと寂しさにおそわれました。ひどい無力感でした。こんなに苦しいならもう終わりにしたい。忘れてしまいたい……
次第に感情を麻痺させ何も感じられないようになっていきました。
つらくつらくてたまらないけれど、誰かに頼ってしまうと自分が自分でいられなくなるような気がして、友人にさえももう平気だよというような顔をして、日々過ごしていきました。
1ヶ月くらいたち、なんとか心が落ちつき始めた頃、突然彼から連絡がありました。
そこで、今までの思いをぶつけ、きっぱりと別れていれば、良かったのですが、なぜだか会いたいという思いもあり、会ってしまいました。
私をいたわってくれるような優しい言葉を期待していたのかもしれません。
しかし、実際は、手術に一緒にきてくれなかったことを謝るわけでもなく、つらかったねといたわってくれるわけでもなく、ずっと忙しかったと言い訳をされ、何もなかったように体を求められました。
さすがに、私はこんなに傷ついたから無理だと、それは拒否しましたが、そんな愛のないひどい仕打ちをされても、なお、はっきりと自分の気持ちを伝えられず、別れることが出来ないことが嫌でたまりませんでした。
誠意もなく、大切にされず、もうすっかり愛も冷めていて、付き合っていても喜びも成長も感じられないのに、そんな関係をそれから二年も続けてしまいました。
改めて振り返ってみると、なんて自分のことを大切にしてないんだろうと、悲しくなってしまいました。



ここは、妹の姿に、そっくりそのまま重なります。
妹は、マザー・テレサに傾倒していたこともあり、その苦しみからインドまで行きました。妹は、そこでの時間と出会いに救われ、我が子の命を、イエス様とマリア様に委ね、晴れやかな顔をして帰ってきました。妹は、その後、幸せな結婚をし幸せな人生を送っています。



命を宿してから、時間はたっていても、その間忘れることなく、供養に出向いて下さったあなたの思いは必ず、伝わっていますよ。

小さい子どもさんにとって、ご両親のどちらかでも忘れないでいてくれたことだけでも、大きな喜びなんですよ。

もう大丈夫です。安心して、あの世へ行かれましたよ。
これからも、あなたのことをしっかり守ってくれているこの子の存在を忘れないでいてあげて下さい。



吉安さんのこの文章に、私も救われる思いがしました。

澤谷先生の返信を読みながら、思ったことでした。
私も含めてなのですが、若くしての妊娠というのは、周囲に理解されないかもしれない怖れを、つねに含んでいるが故に、深い傷を残すのでしょうね。
若くして宿った命に向き合うということ……。
生むという選択をするのも、生まない選択をするのも、大変な勇気と決断を伴うことですね。どちらの選択をするにしても、そこに至る過程を、赤ちゃんのためにも、お母さんのためにも、もっともっと、大事にされることを願うばかりです。

ありがとうございました。


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コメント

わたしたちは、尊い存在なのです
山下さんは、
【「あなたは、価値ある存在なのですよ」
自分の命のすべてで、それを伝えてくれようとしたのでしょう】
と感じられて、ご自分の命を尊く思うことができたのですね。

赤ちゃんたちはみな命懸けで、いのちのメッセージをつたえようとしてくれている……尊い存在なのだと思います。人間は皆そうやってこの世に生まれてくるのだろう……だから、わたしたちは誰もがみな、いのちのメッセージを受け取り合っている尊い存在なのだと思います。

ときに「深い傷を残す」ほどの苦しい体験をすることでしか、気づきを得ることができなくて、解消することのできない深い悪業というものがある気がします。
でも、心に負った深い傷も、悪業も、もともとは無いものだから消すことができる。わたしたちの本質は、永遠に傷つかず濁らないまっさらさらのいのちだから、悪業を消すことができているのだと思います。

悪魔に魂を売って、ヘドロのようにドロドロに濁っているのがわたしなのだと感じて、暗い苦しい人生を忌々しく思っていました。でも、濁っていたのはわたしの心であって、ほんとうのわたしは永遠に濁らない純水だと知ったとき、本当に救われていきました。
心をデトックスすれば、「わたしは、尊い存在なのです」と素直に認めることができるようになるのですね。

わたしも、相手も、苦しい体験をしながら心のデトックスをして生きている人生の仲間なのだ……だから、お互いの存在を尊重したい……と思えたら、みんなそれぞれに味わい深い個性ゆたかな人間なのだと感じられてきました。

わたしたちの本質は、永遠に濁らない純粋な水だからこそ、人生の中でお互いのいろんな味のお茶を満喫できる。それぞれが愛おしい人生を生きている仲間なのだと思います。

わたしを今此処に存在させてくださっている、すべてのご縁に感謝しています。
ありがとうございます。

ありがとうございます。
NAO [URL] 2014/10/09(木) 11:52 [編集]

昨日、今日と同じテーマのご文章を拝読し、当時を再現してしまっています。私は今が、デトックスなんですね。

私と同じように、同じ体験をなさった方々が、このご文章を拝読し、今まさに、デトックスをされておられるのかもしれません。

過去を封じ込めるのでもなく、誰を責めるのでもなく、その時の自分の持ちうる選択肢において、最高最善の選択をした結果なのだと。

そして、こんな私を選んで、私に宿ってくれた二つのいのち。なぜか、じゃれあっているふたりを感じられることが、不思議です。
応援してもらっているのかな。

命をかけてでも私を選び、メッセージを伝えてくれているのでしょうか。

「生きているだけでいいんだよ。」「今、生きていることが尊いこと。」「今あるいのちに感謝すること。」

息子からも同じメッセージをもっらっている。今世での私の大きな学びなのかもしれない。

くよくよなんてしてられない。そんな気持ちが湧いてきました。
私にはふたり分のいのちを託されているんですものね。
強い味方がふたりもついていてくれる。そんな気がしてきました。

そのことに気づいて欲しかったんだね。だから今、このご文章に出会えたんだな。デトックスが必要だったんだね。ありがとう。感謝します。自分をすべてを赦します。

山下さんの願いが叶い、すべてがメッセージ、学びであると気づき、今ある命を大切に、多くの方々が、今あるしあわせに感謝して生きていかれることを私も願っています。

私もそのように生きていくのです。もう、その道を歩み出していると思うのです。きっと、みんな。そうなんだ。大丈夫。ありがとうございました。
エンジェル [URL] 2014/10/10(金) 00:03 [編集]

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