お伝えしたいことは「運命は改善できる」ということです。
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今此処
桜 美穂(養成講座2期・3期・4期・5期・6期)

昨日は、京都の友人と天王寺の都ホテルで食事をし、語り合いました。
とても楽しい時間でした。
話をしながら、改めて自分の心に確認できたことがありました。
「良い」「悪い」など、無いのだ、ということです。

以前、ディーパック・チョプラの『富と成功をもたらす7つの法則』(たいへんな名著でした)を読んだ時
その中で、「判断しない」ということが言われていました。
1日半時間でもいいから、判断しないことを心がけ
判断しない時間を1時間、1日、そして一週間と、だんだん延ばしていきましょう、とありました。

判断せずに、どうやって生活するのだろうと思いました。
お風呂を先にするか、ご飯を先にするか。
今日のご飯は肉にするか魚にするか

人生は、判断の連続です。
何も選ばずに生きていくことなどできない。
それとも、迷わずに直感で選べ、ということなのだろうか、などと悩みました。

今は、わかるように思います。
「判断」と「選択」とは違うのです。

過去の様々な記憶から生じる、「良い」「悪い」という思い込み、前提を黙らせて、
ありのままに相手や対象、状況を見ることを心がける、
過去の体験を参考にしても、それに乗っ取られて操られてしまわないように
いつも心は自由に動けるように保ちながら
その状態で決断、選択をする。
チョプラ氏は、それを勧めていたのではないでしょうか。

「判断」とは「判じて断つ」と書きますが
どちらが正しいか間違っているかと「判じる」のではなく
どちらもありなんだと認めた上で「選択」する。
そして、「断つ」のではない。
むしろ「包み込む」ことが大事なのではないのでしょうか。

そうでなければ、自分の命も周囲の命も生きてこない。
あれが悪い、こっちが正しいと裁き、断ち切ることをすればするほど
すべてが大きな調和の内に成り立っているこの大自然のリズムから
どこまでも離れて、エゴの世界に入っていってしまう。
エゴの殻の中に閉じこもり、つながりを失ってしまうのではないでしょうか。

その時その時、どうすることが最も適切だろう? と自問しながら
その時々にふさわしい答えを選んでいく。
それは、その時を本当に生きていなければ、できないことです。

「あの時はこうだった」と、ただ過去の記憶によって選ぶのでは
体は今ここにいても、心はいったい、いつのどこを生きているのだろう?
という話になりますね。

命は、今ここにしか流れない。
今ここで、ある質問に対してイエスと答えたとしても
別の人に対してはノーと答えるべきであったり
同じ人に対してであっても、次の日には
同じ質問にノーと答えるべきである。
そんなことが、命の次元ではたやすく起こりえます。
こちらの意見がぶれてそうなってしまうなら、それは失敗に過ぎませんが
こちらがぶれることのない芯を持っていても
いや、持っているからこそ
イエスとノーが容易く同居することがあるのが命の世界なのですね。

これは「正しい」これは「間違っている」と固定化してしまうことが
いつも間違っているとか、意味がないと言うつもりはありません。
ただ、形骸化してしまえば失われてしまう本当の命を
そのイキイキとした流れを、見失わずに生きていきたいと思うのです。

「どうすることが適切なのだろう?」という問いに対する
今、この瞬間にしか存在しない最善最適の選択を
命の火花を散らせるように、生き生きと選んでいく。
この一瞬に永遠を凝縮させるようにして、生きていく。
今、こうして文章を書いている、今この時からそれを始めていく。

この、わくわくさせられる「今だけ」という瞬間のスリルを
全身全霊で楽しんで、生きていこうと思うのです。

あなたの今日が、素晴らしい一日になりますように。


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コメント

‘‘今、この瞬間にしか存在しない最善最適の選択’’
桜さん こんにちは

すてきな気づきを明快にシェアしてくださって、ありがとうございます! 体験したことをあらたな視座から客観的に感じられてうれしくなりました。拝読でき感謝しています。

ちょうど先日、‘‘どちらもありなんだと認めた上で「選択」する’’という体験をする機会がありました。
でも、どちらを選んでも、どうしても納得がいかずに、散々迷いました。友人が話を聞いてくれて、「相手に甘えては駄目だ」と幼少の頃から思い込んできた固定観念を手放すことができたとき、ほんとうのわたしが望んでいる選択をすることができました。
人間は一瞬一瞬に進化していることを実感できました。

これまでわたしを守り続けてくれた固定観念たちをどんどん手放すときが来た気がします。‘‘ぶれることのない芯’’があれば、固定観念の鎧を着ている必要はないのだなと思います。

自我に執着して不安や恐怖を感じている心を一つ一つ超えながら、まっさらさらのいのちをのびのびといきいきと生きてゆこう~と思います。

桜さんのますますのおしあわせをお祈りしています。
ありがとうございます。
NAO [URL] 2014/10/17(金) 10:22 [編集]

<とらわれない>

私にとって、今一番、惹かれる言葉です。

「そのとらわれないということにさえ、とらわれない」

なんだか、どんどん枠が外れて、どんどん大きく広がっていくようで、胸がわくわくして、嬉しくなってきます。大空に無限に伸びて広がっていく感じで、はあ~って大きく伸びをして、とっても気持ちがいい!って感じ。

そういう状態で、今此処を生きるといいのかな?

やるべきことは、楽しくやる。やりたいことも楽しくやる。やってみたいことは、やってみる。どうなんだろう?できてるかな?

今、目の前にあることを、とにかく、ひとつひとつ、こつこつとやっていくことができたら、おのずと次が見えてくるのかな。

とりあえず、今やるべきことを、今、やる。それができるように、取り組んでいます。少しづつでもできてくると、ちょっと、嬉しい。楽しい。そういうことかな?

だから、今、ちょっと、嬉しくて、楽しいのです。ありがとうございました。
エンジェル [URL] 2014/10/17(金) 15:15 [編集]

NAOさんへ
コメントありがとうございます。

本当に、人は一瞬一瞬進化するのですね。

それを実感できる人生を生きられることほど、素晴らしいこと
しあわせなことは、無いのかもしれません。

それこそが、本当に自分らしく人らしく在るということなのでしょう。
人は、本来それほどまでに自由で限りない存在なのですね。

「‘‘ぶれることのない芯’’があれば、固定観念の鎧を着ている必要はないのだなと思います。 」
と、書かれていたお言葉が心に残りました。

NAOさんにとって、ぶれることのない芯とは、何なのでしょう。^^
桜 美穂 [URL] 2014/10/18(土) 13:23 [編集]

エンジェルさんへ
コメントありがとうございます。

「そのとらわれないということにさえ、とらわれない」

そこなんですね。
とらわれるまいとすればするほど、逆にとらわれていく。
過去、わたしもそこに悩み苦しみました。
とらわれないということに、とらわれてはだめなのですね。

とらわれてしまうことにとらわれまいとすればするほど
ますますがんじがらめになって、抜けることができなかった。
どうすればいいか、全然わかりませんでした。

今は、わかるように思います。
それこそ、エンジェルさんが書かれているように、枠を外してどこまでも広がっていく感じをわくわくのびのび楽しむ、ということ。
とらわれるまいとするどんな努力よりも、それこそが
苦も無くとらわれから、人を解放してくれる。

エンジェルさんは、その極意を生きておられるように見えます。
素晴らしいですね。

さっき、友人のフロウライトさんのミクシィ日記で書かれていたことについて転載のお許しが出ました。

とてもシンプルです。
難しい理屈をこねまわすよりも、あふれる喜びを生きる方が
ずっと真実に近い。
結局は、ここに人生の真実があるのではと、最近思うのです。



僕たちは、
喜ぶために生まれて来たんだから、
幸せを味わうために生まれて来たんだから、
そして、それを分かち合い、
何倍にも、増幅させて、
更なる幸せを味わうために、
生まれて来たんだからね。

僕の幸せと、貴方の幸せを、
mixして、
全く新しい幸せを生み出していく!
それが僕たちのミッションなんだ!
桜 美穂 [URL] 2014/10/18(土) 13:34 [編集]

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