お伝えしたいことは「運命は改善できる」ということです。
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11/08
初めてのカウンセリング〈後編〉

今考えると、なぜああいうことになったのか、よくわからない。
よくわからないというのじゃない。もう、あの場であの人たちの中で自分の問題を解決することをやめただけであり、場を離れてすべてを自分の責任として引き受け、別の場所で生きていくことを決めたから文章化する必要もなくなっただけである。

起きたトラブルがそれぞれが冷暖自知する問題であり、相手との関係をどうこうしようとか、誤解に対する謝罪や仲裁を求めること自体がナンセンスなことであり、それに拘り続ける自分が愚かなこともわかっているし、かといって、謝罪や仲裁なくして納得できない自分も曲げることはできないのだから、こうする以外なかった訳であり、もうそれで納得しているのだからいいのである。

喫茶店で私の向かいに座るダークスーツの澤谷先生は、お話を続ける。

私と先生の間の空席の椅子に、確か私は、先生へのお土産の辛子明太子を紙袋に入れて置いていた。
先生は、その紙袋の紐をギュッと握って、私がある観念をこうしてギュッと掴んでいるんだという。それを放すことが、自我というカプセルの中に入っている自分を抜け出すことなんだという。
「あ~、そうかもしれませんね! あはは!」
と私は笑って聴いていたのだろうか。

「幸せな筈の貴女が、なぜカウンセリングを受けに来ないといけなかったのですか?」

「先生のところでなぜ、大きなトラブルを起こし、場を飛び出さないといけなかったのですか?」

「貴女は誰に何をわかってもらいたかったのですか? 誰に何をわかってもらえなかったことがそんなにも悲しかったのですか?」

「貴女は、そのわかってもらいたかった人に、どういう自分でいたかったのですか??」

今朝は十数年のつきあいになる50代の先輩女性の友人と電話で話をしていた。その友人と娘さんの関係が、私と母の関係によく似ているのである。

「母は、話の核心のところになると耳が聞こえなくなるんだ」
という話を、私は笑って友人にしていた。友人は言った。
「お母さんは、本当は自分のこういうところが娘をこういうふうにさせたことをわかっているのだけれど、それを認めてしまうと自分の生きてきた50年近くののものが、崩れてしまうんじゃないかと不安なんでしょう。だから、そこには触れないで、孫に洋服を買ってあげたり、娘の近況を心配してみたりすることで自分の愛情を伝えたいと思っているし、自分の気持ちもわかって欲しいと思っているんでしょう」
結局は、“母の気持ちを私がわかってないということなんだな”と思う。

それと同じで、トラブルになった彼女も同じような不安から、謝ることができないでいること。まだ向き合えない部分を多く残しているのも仕方がないことなのである。

先生が言う。
「無視できるくらいにゆるしたらいい」
“馬鹿言わないで欲しい。私はそんなに器用じゃない”
けど思う。
“許せない、許せない、って叫ぶ人は、本当は許したいと泣いているようなものなんだ”
その奥底にある素直な心を顕す。きっと、ただそれだけのことなんだ、と思う。

カウンセラーというのは、それを本人が自ら出してくるのを何年も何年も黙って待っている殊勝な人なのだ。
「残念! 残念!」
って連呼しながら(笑)。

そんなに“残念! 残念!”っていう言葉を浴びせかけたら、その残念な状況が展開するでしょう?

扉を固く閉ざして鍵を何重にもかけて意地を張る方と……それを待つ方と……。これは根比べである。

鍵をこじあけようとすると頑なに閉ざす者も最後の最後に、縁(えにし)の糸を切ってぴしゃっと扉を閉ざす瞬間に見る、相手の寂しそうな顔(見えたか見えてないかも定かでない)には弱いものかと思う。

厳しくするのも奥に慈愛を秘めている人にとっては、相手に伝わらない不毛な結果は辛いものだと思う。

或いは、そんなことは考えてなくて、“閉じる貴女は、閉じれば閉じるほど辛いでしょう”と思っているだけなのかもしれない。それは、相手にしかわからないことだと思う。

自我の殻は、人に揉まれているうちにだんだんと脆く薄くなっていき、殻の中にいながらも、相手の気持ちというのが透けて見えてくるものかもしれない。
殻は薄くなっていけば、もうその殻自体が溶けてなくなっていくのだから。

喫茶店での澤谷先生のカウンセリングは、結局、先生は何が言いたかったのか、私にはよくわからないままに終わった。

けれど、カウンセラーという人に初めて会い、出版記念講演は楽しく、会いたかった人にたくさん会えて充実した1日だった。

澤谷先生を紹介してくれた人と、京都駅までご一緒してお話させていただき、新幹線のホームまで送っていただき握手をしてお別れした。
澤谷先生を紹介してくれたその方は、先生と18年ぶりの再会となり、出版記念講演の先生の“仏向上(ぶっこうじょう)の話に、青年の日に先生から聴いた講話の息吹きを感じられ、懐かしさがこみ上げてこられたようだった。

帰りの新幹線の中で、なぜか急に涙がこみあげてきたのは、いった何だったのだろう。(完)


澤谷 鑛 のカウンセリングは、コチラ…
澤谷 鑛 のセミナー/講演会情報は、コチラ…
コメント

Rさん おはようございます

‘‘先生は、その紙袋の紐をギュッと握って、私がある観念をこうしてギュッと掴んでいるんだという。それを放すことが、自我というカプセルの中に入っている自分を抜け出すことなんだという。’’

人間は、どうして自我の殻をつくってしまうのだろうか?
相手の気持ちというのが透けて見えないから、心を傷つけ合ってしまう不安から逃げるために、殻のなかに入っていなければいけないのだろうか?

‘‘自我の殻は、人に揉まれているうちにだんだんと脆く薄くなっていき、殻の中にいながらも、相手の気持ちというのが透けて見えてくるものかもしれない。
殻は薄くなっていけば、もうその殻自体が溶けてなくなっていくのだから。’’

自我の殻は、壊そうとしたり、出ようとするものではなくて、気がついたら消えてしまっているのかもしれない。
人間は、人間との関わりを求めずにはいられないのだから、ほんとうの自分の声にただ耳をかたむけてあげられたらいいのかもしれない。
などと、とりとめなく思いました。

人間の心はとらえどころがあるようで、無いものなのでしょうか?
人生にはいろいろとやるせないことがあるけれど、だからこそ人間はいいな…とRさんのご文章を拝読して思いました。

Rさんご家族も お元気ですごされますように☆.。.:*・
ありがとうございます
NAO [URL] 2014/11/08(土) 09:20 [編集]

Rさんは、頭ではわかっているけれど、こころが納得いかない状態なんでしょうか・・・。

私の勝手な印象は、Rさんは人が大好きで、関わるんだけれど、期待が大きすぎて、期待どおりでないことに、えらく傷ついてしまわれるのでしょうか?頭がよくて、純粋で、まっすぐ、そして誰よりも繊細なRさんを感じてしまいます。

周りの人もきっと、Rさんのことをとても大切に思っておられるのだと思います。それもきっと、Rさんは感じておられる。でも自分の求めているものとは違うということで、妥協できないでいらっしゃる。そのことがご自分も傷つけてしまわれる。

帰りの新幹線の中で流された涙は、関わってくださる方の愛を感じながらも、それじゃないんだというRさんの寂しさ、悲しさだったのではないかと感じてしまいました。

妄想・暴走族なもんで、勝手な思い込みかもしれません。お許し下さい。でも、確かに愛はあると感じているのです。Rさんにも、Rさんに関わってくださる方にも。愛はある。何も知らないのに、ごめんなさい。ありがとうございました。
エンジェル [URL] 2014/11/08(土) 20:09 [編集]

NAOさんへ
NAOさん、こんばんは。先程、NAOさんやエンジェルさんへ返信を書きながら。少し心が整理されてくる感じがあります。

私は。もう二度と戻らないと決めて。
この場を離れました。絆のブログもほとんど読まなくなり。ただ不思議と。ふと覗くときに先生が匿名記事を含めて私の過去記事を再掲載し続けておられました。

残念だったのでしょう。
このままで終わることが。

真剣に人に向き合って。結果が出ない程。
虚しいことはないのはよくわかるから。

私は。先生を変えたかったのだと思う。
私のやり方。私の大事にするもの。
それを受け入れて欲しかったのだと思う。

それは。伝えていいのだろうけれど。
伝え方があり。相手の気持ちがあり。
場のルールがある。それを無視して言いたいことだけを言い続けるのは違う。

先生と相容れない部分はあるけれど。
少なくとも。以前よりは先生の気持ちや立場はわかる。だから。私が悪かったのだと思う。

自我の殻のこと。うまく言えないけれど。
もう、いいんじゃないかなと思う。

ただ。私は。謝罪のない状態で。
何事もなかったようにゆるすことはできない。かといって。相手に自分が悪かったと謝ることはできない。だから。ここには身を置けない。離れた場所で。ご縁のあった方に懺悔をし感謝に変え。話せる状態であれば話してみる。そういう今を過ごしてます。

変わることができた自分と。
依然として変われない自分が同時にいる。

先生が、素直と誠実は違うのだという。
私は。一番認めて欲しい人に。
誠がないといわれる(笑)
四年半前と何ひとつ変わってないといわれる。

ただ。誠のない自分を。
誠がないといわれてわかる自分はいて。
それを表現すると。こういうコメントになるのかもしれない。

NAOさん、6歳の息子がサッカー始めて。
そのコーチが好きな言葉は。全力。情熱。
嫌いな言葉は。諦める。できない。

何もかもがゆるされ受け入れられることを。
私は好まない。厳しく熱く。激しく優しく(笑)

弱く愚かで。負けず嫌いで。
すぐ途中でやめてしまう自分が嫌いで。
そういう自分に勝ちたいと思う。

コメントありがとう。
NAOさんの愛に感謝します。




[URL] 2014/11/08(土) 21:34 [編集]

Mayちゃん
エンジェルさん、コメントありがとうございます。またしてもエンジェルさんへの返信を。NAOさんへの返信に書ききってしまい。何を書こうかなと(笑)

エンジェルさんという存在は。
こういう調子で書くことをゆるしてくれる何かがあり。それが企画の力となるのでしょうかね。。真っ直ぐも大事だけど。たまには。馬鹿だな。と自分を緩めて笑って。頑張ってみょうかな。また。。

そう思える余裕も必要かなと思う。

最近は。ひとりでいるのが好き。
自分の心だけに集中したらいいというのを受け入れることが出来ず。けれど。そうすることでわかってくることがあるものだなと思う。

うまく言えないけれど。愛の伝わってくるコメントをありがとう。エンジェルさんも頑張ってください。

[URL] 2014/11/08(土) 21:55 [編集]

タイトル訂正
エンジェルさんへの返信のタイトル訂正致します。「Mayちゃん」ではなく「エンジェルさんへ」です。過去のクッキーが残っていたようですみません。

Mayちゃん。お元気ですか。
ようやく落ち着いてきました。いろいろありがとう。Mayちゃんも頑張ってください。
[URL] 2014/11/08(土) 22:01 [編集]

気高き獅子
獅子は 愛する我が子を 愛するが故に 崖から突き落とす

といいます。

親に、一人になり自立する道を模索してみます。と告げた子でしたが、
この記事が掲載され、コメントした事を親に報告してくるのは
変わらず依存の状態であることなのかもしれません。

崖から突き落とされる・・

あなたにとっては、とんでもなく厳しい試練、修練に感じるのでしょう。
それも仕方のないことです。

この のち、あなたが返信を書かれるか否かわかりませんが、
わたくしは、このコメントの後、こちらを覗かない事にしましょう。

無事を祈ります。ごきげんよう。

 
アオノカゼノミコト [URL] 2014/11/09(日) 21:41 [編集]

アオノカゼノミコトさま
前半の記事のコメントにも。
ふたつの記事のいただいたコメントの返信を含めて書かせていただきました。

アオノカゼノミコトさまは気高き獅子です…。
そして厳しいお方です。妥協のない厳しい愛というのは。
すぐにはわからないことがほとんどであり。
離れる間を過ごしながら。1年も2年も前のことが繋がってくる。
そんなご縁だと思ってます。

本当に。自分の一番弱く醜い部分を。
ちゃんと真正面からみて。立ち上がって。

そうして。後になってみて。
いろいろあったけれど今になってみたら本当に良かったね。
と言える日がくることを信じたいと思います。

ありがとうございます。
R [URL] 2014/11/11(火) 10:44 [編集]

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