お伝えしたいことは「運命は改善できる」ということです。
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11/11
癒しと救い
澤谷 鑛

 東日本大震災の発生以降、「絆」という言葉が流行のように盛んに使われています。最近の耳新しいものでは、「絆婚」という「結婚」そのものが縁(えにし)の糸がむすばれた「絆」なのですが、「馬から落ちて落馬して」のような表現のものまで出てきました。
「糸」と「糸」が「半」分ずつと書いて「絆」なのですね。
「絆」という言葉は、「シェア」と言い換えてもいいでしょう。セミナー業界でよく使う「シェア」という言葉ですが、もともと「分かち合い」とか「共有」というのが本来の意味です。

「絆」が3.11の東日本大震災以降に叫ばれはじめたのは、その背景に日本人の価値観の大きな転換がありました。

 1980年代までは、所有の拡大の季節で、自分の持つものを多くすることで喜びをみいだしていた時代でした。
 1990年代では、所有の拡大から自分らしさの追求がなされた季節に入りました。
 その上で、「世界で一つだけの花」である自分が、「№1にならなくてもいい もともと特別なOnly one」である自分が、「あなたに代わるあなたはいない」という自分らしさの追求から、それを越えて美しい「花束」を求めはじめ、みんなで何をし、何に共感するのか、が重要になった季節となりました。
 それも最初は、癒しを求めていたものが、この大震災以降は、救いを求めはじめているようで、癒しから救いへと転換してきているようにも感じます。

 石原慎太郎さんが、「無限の宇宙の中で」と題して、以前、新聞に書いていました。「シェア」してみます。

年齢を重ね自分の死についての実感といおうか、予感をようやく信じられるようになると、誰しもみずからの人生に重ねて「存在」と「時間」の幻妖な不思議について感じられるようになる。それは人生かけてようやく獲得出来た成熟というものなのかも知れないが、しかしそれでもにわかに何がどうなるものでもありはしない。私はかつて人生で迷って立ち往生しかけた時、知己だった松原哲明師の寺ににわかにいって座禅を組んだことがあるが、その後、
「あんたは見掛けは立派に見えるが、こうして座っているのを後ろから見ると、しょぼいねえ。座禅なんか急に組んだって効きやしませんよ。それより好きな海にでも行っといでよ」
 いわれて翻然とし仕事を放り出して仲間と数日航海に出て少し救われたことがあるが、この所の心身不調で松原さんにまた頼んで座禅でも組もうかと電話したら、私より若い彼は昨年急死していた。これもまたいろいろな意味でショックだった。ということで、実は私がプロデュースして世に出た哲明さんの父君の名僧泰道さんの名著「般若心経入門」を読み直して見たが、全然悟れない。
 全宇宙に比べれば人間個々の存在なんぞ無に等しい、というのは理として分かるが、実感にはいたらない。その実感がないと悟りにも解脱にも通じない。折節に読んでいる法華経には、他の宗教には例がなく、お釈迦様は「存在」と「時間」そのものについて、現代数学の「群論」のような絶妙な例えを引いて説いている。存在と時間の無限性を前にしてたじろぐ人間たちのためにこそ輪廻転生が説かれたのだと思う。
 松原師の般若心経の解説にも、人間の存在のはかなさを超克する、さらなる否定が在って人間はそれでようやく救済され真の安定が得られるのだとある。


 スカイプである人と話していると、
「癒しと救いとの違いって何なのですかね?」
 という問いを発しました。私は、
「例えば、仕事で忙しくてキリキリ舞いをしていて、やっと山を越え、休暇がとれて沖縄に旅行に行ったとします。仕事から解放されてのびのびといきいきとしてきて、身心ともにリフレッシュし、喜んで旅行から帰ります。次の日からの仕事に、あぁ~あと元の木阿弥になるようでは、癒しが救いにまで到達していない、と言えます。次の日からの仕事に意欲的に取り組めるとき、癒しが救いとなっている、と言えますね」
 というと、彼は、
「それは、仕事が好きでないと救いはない、ということになりますね。逃げることにより一時癒されるかもしれませんが、また同じ壁が立ちはだかるということになりかねない、ということですね」
 と言いました。
「そこに人生の秘訣をみいださなくてはなりませんね。救いというのは、人生に密着した現実的なものなのですね」
 と私は言いました。


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コメント

安心
先生、おはようございます。

「そこに人生の秘訣をみいださなくてはなりませんね。救いというのは、人生に密着した現実的なものなのですね」
と仰る言葉に共感します。

having、doingに癒しを求めても、現実に帰ってきたときに逆に、もっともっと寂しくて不安で苦しくて、どうしようもなく駄目な自分を突きつけられたように感じられきて、「わたしはただ現実逃避していただけなのかな?」と感じることを繰り返して生きていました。

また、絶対的世界における完全なわたしの存在という知識を得て癒されたとしても、相対的世界から目を背けようとしてしまうと、やはり現実の人生につまずくことになるでしょう。

まっさらさらのいのちを一瞬一瞬に生きているわたしたちのみずみずしい人生を満喫できるしあわせを感じること。
かけがえのないわたしたちの存在が、家族や仲間たちとの絆でささえ合って生きていると感じること。
たくさんの存在に支えられているいのちに感謝したとき、今を精一杯に生きようと思うこと。
なんとも言い表すことが難しいのですけれど、これらの感覚がいつも揺るぎない安心をもたらしてくれている気がします。
もう、必死に救いを求めなくても、いつもどこでも救われているに違いない……と思えてくるのです。

ありがとうございます。
NAO [URL] 2014/11/11(火) 09:39 [編集]

>「絆」が3.11の東日本大震災以降に叫ばれはじめたのは、その背景に日本人の価値観の大きな転換がありました。


そうですね。

大変な惨事でした。

確かに、人知を超える何かが人間に訴えかけているような気もするような。

あまりにも厳しすぎる方法で。。。。



でも・・・

所詮、人間なんですね。

「絆」といいながら、被害を免れた人はやはり他人事、と思っていいるところないでしょうか?

それどころか・・・

「義援金」とか言って国民から金を巻き上げ、関係ないところでそのお金を投資する政治家

被災者のことを匿名サイトで誹謗中傷し、フェイスブックから身元がばれたエリート官僚

ボランティアといっておきながら実際はカップリングパーティのような感覚で、被災地に向かうバカな若者

「被災ビジネス」といわれる、人の不幸を飯の種にする不謹慎なやつら

原発誘致に積極的な発言をしておいて、原発事故以来、なかったことにしている政治家や著名人たち。CMに出ていたタレント。

同様に、震災をネタに自分の著作本やセミナーを手広く行い、「被災ビジネスだ!」と批判され引退した自称心理カウンセラー石○○之


などなど。

私も人間・・・
裕太郎 [URL] 2014/11/11(火) 12:01 [編集]

癒されることによって、今までの現実に対して、違った視点やこころの切り替えが出来て、「さあ、また頑張ろうか。」って思えたら救いになっているということなのですね。

癒す行動を取ることによって、今までの思考、思いグセ、囚われのパターンの中断を行い、フォーカスを変えていく、新しいパターンを築くことが大切なのでしょうか。

それは、自分ひとりではなかなか抜け出せない思考パターンを、ひととの出逢いのなかで、お互いの想いをシャアし合う中で、関わりあう中で、別の視点、べつの価値観に触れることによって、変化させていくことなのでしょうか。

そのためには、お互いを尊重しあい、信頼しあい、みんなが同じようにしあわせになりたい、より良くなりたいと思っている仲間なのだと感じることが大切なのかなあと、自分の体験からも感じています。

ともに支え合い、励ましあい、喜び合える仲間を得ることは、どんな困難があっても、乗り越えていける、そんな風に思えるようになりました。

仲間の喜びを自分の喜びと感じられるようになったとき、しあわせは何倍にも何倍にも大きく膨らむように感じるのです。

これって、難しいことかもしれないけれど、喜んでいたら、それが良い原因となって、よろこびごとが起こってくる。そう思っていたら、いつもみんなとつながっていて、しあわせに感じることができるように思うんです。

私は今、しあわせなんです。本当に関わってくださる方々のおかげだなあって、嬉しくて、感謝の気持ちでいっぱいなんです。頑張っている仲間の姿から、とても勇気をもらっているんです。気持ちがいいんです。

ピントがづれているかもしれないけれど、人との出逢い、仲間のちからは大きいなあと実感しているのです。ありがとうございました。

エンジェル [URL] 2014/11/11(火) 19:06 [編集]

祝福
リニューアル出版、本当におめでとうございます。

「カウンセラーもも」として、カウンセリングする際には、「必ずクライアントに、プレゼントして、読んでいただこうかな・・・」と思っています。

お陰様で、来年の1/1入籍にむけて、邁進しています。

私は確かに、癒されたのではなく、救われたのだと思います。

今まで歩んできた軌跡の発端は、「絆の法則」(澤谷鑛著)でした。

本当にどうもありがとうございます。

ますますのご活躍を、心から祈っています。

日頃の感謝を込めて
もも [URL] 2014/11/11(火) 21:23 [編集]

のべつ幕なしの人生に秘訣を得ると大安人につながる入口がある
NAOさん。

癒しと救いということで考えてみると、おもしろいことがみえてくるのですね。

「having、doingに癒しを求めても、現実に帰ってきたときに逆に、もっともっと寂しくて不安で苦しくて、どうしようもなく駄目な自分を突きつけられたように感じられきて、「わたしはただ現実逃避していただけなのかな?」と感じることを繰り返して生きていました。」
「また、絶対的世界における完全なわたしの存在という知識を得て癒されたとしても、相対的世界から目を背けようとしてしまうと、やはり現実の人生につまずくことになるでしょう。」

とNAOさんが書かれているところに、人生の秘訣があるのですね。
そこに、大安人(だいあんじん)につながる入口があるのでしょう。のべつ幕なしの人生に秘訣を得ると大安人につながる入口がある。と石原慎太郎も言っているように思います。
澤谷 鑛 [URL] 2014/11/13(木) 14:45 [編集]

批評とは畢竟己を語ること
裕太郎さん。

「所詮、人間」
ですか、
「されど、人間」
なのですけれどもね。
「所詮、人間」
となると、そのように考えるでしょうね。
「されど、人間」
となると、まったく違う考えになります。
ある「結果」を「所詮」と考えるか「されど」と考えるかでは、大きく違ってきます。その「結果」の捉え方が新たな「原因」となるからです。新たな「原因」は、又新たな「結果」を生み出します。
だから、批評も新たな「原因」となり、新たな「結果」を呼び寄せます。
批評とは畢竟己を語ることにもむすびつきますね。
澤谷 鑛 [URL] 2014/11/13(木) 14:57 [編集]

正鵠を得ています
エンジェルさん。

そうですね。そこに
「絆の力」
があるのでしょう。
エンジェルさんは、今年の10月11月12月の三ヶ月連続で【UJI ろまん!】の「企画」を「展開」させていますが、人生の秘訣を垣間見ることが大いにあるのではないか? と推察されます。
何もピントはズレていません。正鵠を得ています。
澤谷 鑛 [URL] 2014/11/13(木) 15:08 [編集]

すべての「願い」は現実になる
ももさん。

来年の元旦に入籍ですか? おめでとうございます。

【「カウンセラーもも」として、カウンセリングする際には、「必ずクライアントに、プレゼントして、読んでいただこうかな……」と思っています。】
と書かれていますが、『すべての「願い」は現実になる』の拙著のタイトルの通り、ももさんも「願い」が「現実」になったのですからね。プレゼントされるとお読みして、嬉しくなってきました。
ももさんが、よろこんでおられるのですね。よろこびの人生を「願い」「現実」となったのですね。

すばらしいですね。ほんとうに、おめでとうございます。

澤谷 鑛 [URL] 2014/11/13(木) 15:17 [編集]

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