お伝えしたいことは「運命は改善できる」ということです。
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12/02
業の流動と流転
澤谷 鑛

「“業(ごう)”って、その言葉を聞いただけで恐い感じがしますよね」
「“業”とは恐いものとか悪いもののように感じますが、良い(プラス)言葉の波動の蓄積である“善業”と悪い(マイナス)言葉の波動の蓄積である“悪業”の二つがあると仏教ではいいます。心理学でいう潜在意識に蓄積されるわけですが、心の中にあるものは必ず現実の自分の人生に影響を与えるのは、鏡の法則=心の法則でも明らかです。口(く)業・意(い)業・身(しん)業のそれぞれが“善業”か“悪業”のどちらかとして五蘊(ごうん)の中に蓄積せられ、次の“業”の循環に契機をつくるように待機している、と仏教ではいいますね。五蘊とは、色(しき)蘊(対象を構成している感覚的・物質的なものの総称)、受蘊(なんらかの印象を受け入れること)、想蘊(イメージをつくる表象作用)、行(ぎょう)蘊(能動性をいい、潜在的にあり働く)、識蘊(具体的に対象をそれぞれ区別して認識する働き)をいいます。このように、いっさいを、色―客観的なもの、受・想・行・識―主観的なものに分類する考え方は、仏教の最初期から一貫する優れた伝統とされています」
「良い業にしろ、悪い業にしろ、電池に蓄電するように溜まったらどうなるのですか?」
「“業”は動力=エネルギーですからね。相手を許せないと思ったら、それを形に現して、殴りでもすれば少しはエネルギーが消えるのですが、人間関係はなかなかそのようにはいかないですよね。その意味では、心のデトックスの方法を知っていれば解消できます。そうでなければ溜まりますね」
「なるほど」
「現在意識では、どうすることも出来ずに諦めたりするのですが、潜在意識は自覚なき意識ですから、知らず知らず蓄積されていくということになります。それがある機会にスイッチが入ったように“業”が流動するということになり、蓄電池が電流として動き出すということになります」
「一度あったことは二度あり、二度あったことは三度ある、という諺がありますね」
「それは、人間の行動の大部分が自分の現在の自由意志の力によって行動しているのではなく、自己の発意でやっているつもりでも、過去に蓄積された“業”の力によって強制的に翻って転ぜられている、という仏教でいう説を現していますね」
「強制的だと自由がないですね」
「そうですね。人間が“業”の力によって自らの意志をひっくり返らせられている限り、その人間には自由はないのですね。“業”の力がわれわれの生活を引きずって行くのを止めることは、非常な決意と努力によって奮闘しなければならないと言います。しかし、大抵“業”の力が現在の意識的努力よりも優っていて、その努力の甲斐なく敗れることが多いと言います。しかし、そのことそのものも“業”の流動及び“業”の流転がデトックスでもあり、しあわせな人生の実現に向かっているとも言えます。人生そのものにデトックスの側面があるということですね」
「ということは、自由がないわけではない」
「自由もしあわせな人生のうちですが、もっと本質的には、どんな小さな行為でも、思いでも、言葉でも、それを為すことは“業”であり、因縁因果の世界に業因を積み重ねつつあることになります。先ほど説明したように“業”には善業も悪業もありますが、どんな小さな善業でも怠らずに積み重ねていけば、悟りの世界に入り、ついには因縁を超越することができるというのが仏教なのですね。これは心理学からも一致します」
「善業をとるか、悪業をとるか……」
「そうですね。それこそ、それは自由ですね。だから自由がないわけではない」
「仏教って面白くて深いのですね」
「“業”の流動や“業”の流転でデトックスをしながら、過去を越えてほんものを現し出していくのが人生でもあるのですね」


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コメント

<“業”の流動及び“業”の流転がデトックスでもあり、しあわせな人生の実現に向かっているとも言えます。人生そのものにデトックスの側面があるということですね>

目の前に現れた現象に、思いグセが出て、ついつい、このことを忘れてしまいます。これは習慣なので変えるのは大変ですが、私は養成講座で学ばせていただいているので、その都度、気づかせていただける環境にいることが本当にありがたいと思っています。まだまだ、良い習慣まではいっていないですが、繰り返し繰り返しの訓練が必要かなと感じています。


<どんな小さな善業でも怠らずに積み重ねていけば、悟りの世界に入り、ついには因縁を超越することができる>

借金と同じようなものですよね。積んだ悪業を消しながら善業を積んでいく。きっとどんなことも、諦めずにコツコツやるしかないのですよね。魂?は永遠で、肉体を変えながら学び続けるということでしょうか。

人には仏向上があるから、必ずよくなる。今を生き、当たり前に感謝していけたら、しあわせを感じながら生きていけるのですね。

未熟でありながらも、学び努力し続け、しあわせに生きることを選択していこうと思いました。ありがとうございました。
エンジェル [URL] 2014/12/02(火) 19:48 [編集]

エンジェルさん。

最近、入江富美子さんの『へそ道』を拝読して、存在そのものと、その存在を感じる心とは違うのだというのが再認識されました。

仏向上は、みたまとイコールであり、その仏向上とみたまを感じるのは、仏向上心であり、それは『へそ道』では、たましいと表現されていました。

しいというのは、楽しい、嬉しい、悲しい、寂しい……など心の状態です。

澄んだ心の仏向上心とたましいという心をまた感じるのは、どの心なのでしょう。
澤谷 鑛 [URL] 2014/12/02(火) 20:48 [編集]

大自然のリズムのはからい
先生、こんばんは。

業というのは、心と身体に付随しているものでしょうか?

輪廻するときにも、いのちが業のエネルギーをもって生まれてくるのでしょうか?

悪業をもって生まれてくるから、人生の中で迷い苦しみ、それをデトックスしながら生きることができる。そうして、仏向上は、より大きな進化を遂げることができる。悪業をデトックスすると、自然と善業を積もうとできるのが、仏向上が本質である人間なのだろう。
そう思うと、
いのちが業をもってこの世に生まれてくることは、宇宙が拡大向上を遂げ続けているという大自然のリズムのはからいなのではないかと思えてきました。

拡大向上を遂げ続ける宇宙の一部である人間のいのちも、拡大向上を遂げ続けている。だから、一生、向上しながら生きてゆこう、と力がわいてきます。

ありがとうございます。
天沼 直子 [URL] 2014/12/02(火) 23:47 [編集]

業は心の問題
天沼直子さん。

業(ごう)というのは、行(こう)すなわち行為が重なって「こう」が「ごう」になったものです。

ですから業の正体はいかなるものか? と考えると、目は口ほどにものを言うといいますが、態度や行為も口ほどにものを言うということは、態度や行為も「言葉」であるということです。

業を考える場合、業は言葉ですから、三種類あります。
①口から発する言葉
②心で思う言葉
③表情や態度や行為にあらわれる言葉
仏教では、この三つを「三業」と言います。

詳しくは、拙著の新刊『すべての「願い」は現実になる』(総合法令出版)の【Ⅰ 引き寄せの法則】の【2 よきものを引き寄せる実践法】をお読み下さい。

業というのは、心、それも潜在意識に蓄積されていくもので、前世や前々世などの過去世の言葉を溜めているわけですから、その心で身体も影響を受けているわけです。ですから、輪廻するときも、いのちではなく心が業持ってくるわけです。

業には善業と悪業の二つがあるわけですが、蓄積されていたものが縁をつくり、人生に影響を及ぼすと考えられます。

善業は、存在そのものに同化されますが、悪業は、心の埃のようなものですから、本来の心ではないため、デトックス出来るのですね。

業は心の問題なのですね。
澤谷 鑛 [URL] 2014/12/03(水) 11:00 [編集]

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