お伝えしたいことは「運命は改善できる」ということです。
09 * 2017/10 * 11
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -
--/--
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
12/05
エゴの向こう側にあるものに
桜 美穂(養成講座2期・3期・4期・5期・6期)

「本当のところなんかわからない。どうせ人はみんなエゴで動いているんです」
うつむき加減で、上目づかいでこちらをご覧になりながら、そう言われたさくらどろっぷさんの目が、横に流れました。
それは、ブレインアップデートセッションのために、尼崎でお会いした3回目のこと。
さくらどろっぷさんが、たくさんの路上生活者の方をご覧になられて、日本の貧困の根を断ち切りたいという新たな目標を見つけられた時のことでした。

そう、その通りです。
誰もが、相手に「かわいそうな自分」や「守ってあげたいお母さん」を投影して、愛そう、守ろう、かばおう、しあわせにしてあげようと頑張ってしまう。
自分自身がそのつらさを体験しているから、相手のつらさがわかるから、だから、貢献できるし、貢献したいのだと思う。それは素晴らしいことです。

しかし、その動機の中に、エゴが含まれていないかどうか。
目に見えないことですから、誰にも、正確なところはわかりません。
人は、生きている限りエゴの影響から解き放たれることはありません。
さくらどろっぷさんが言われることは正しいのです。

しかし、それで終わらせてしまうのは違う。
その気づきは、通過点に過ぎません。
自分のエゴを認められたうえで、どうするか。
そこからどこへ行くかこそが、最も大事なことであるはずなのです。

さくらどろっぷさんを見ながら、心の奥底から、限りない愛おしさが湧きあがってきました。
なんとひたむきに真実を求めておられるのだろう。
エゴを超えた、信じられる何ものかを、求めておられるのだと思った。
それを求めさせるさくらどろっぷさんの命の輝きのなんという力強さ、まばゆさ、美しさ。
その光の純粋さに、心を貫き通されたと感じました。

小学校の時教科書で、鷹匠の話を読んだことがあります。
わたしの娘も授業で読んだと言いますから名作なのでしょう。
ご存じの方もおられるかもしれません。

鷹匠というのは鷹を使って猟をする仕事です。
必要な鷹は野生から捕まえて、訓練して、使いこなせるようにするのです。
しかし、野生の鷹は気が強く、捕まえてきても飼い馴らせなければ死んでしまう。

物語に登場する鷹もそうでした。鷹匠が出す餌を一切拒み続けました。
人に屈するよりも餓死することを選ぼうとしている鷹に、なんとしても自分の手から餌を食べさせなければならない。

鷹匠は、鷹と対決しようと決めて、籠の中へ入っていきます。
攻撃してくる鷹を受け止め、くちばしで突かれた腕からは血がほとばしります。
鷹匠は一瞬ひるんでよろめきながら、隠し持っていた生肉をその腕の傷の上に置き、鷹は、野生の本能から夢中でそれを飲み込みます。

【しばらくたってから、鷹匠は低い声で「ほう」と呼びかけた。敵う相手ではないと、鷹は悟った。】

その場の最後のシーンの描写でそのように書かれていたくだりが、強く強く心に残り、その後もずっと忘れられませんでした。そして、50近くになる今もまだ、こうして覚えているわけです。

わたしは生意気な子どもでした。
誰にも論破されないことに思い上がり、大人なんて所詮こんなものだ、と深く失望し、なめまくっていました。そしてまた同時にどんなにか強く、どんなにか切に、誰かに論破され、圧倒されることに憧れてきたのでした。

6年前だったか、初めて澤谷先生に出会った頃のこと。
ほとんどお話もしないうちから、先生がわたしを正確に見抜かれたことに、言葉も出ないほど驚き、圧倒されたことを今でもよく覚えています。
そんな経験はそれまでありませんでしたし、そのような人にも、一度も出会ったことがなかった。
この若い鷹のように、生まれて初めて、心底かなわないと思ったのです。
澤谷先生が、目の前の人と関わられるそのなさり方は、この鷹匠と非常に似ています。
ご自身のお命でもって、目の前のその人自身すら気付いていないその人の命に触れて目覚めさせられる。その命を阻んでいるエゴの牙城を崩される。それはまるで、単身で斬り込んで行くサムライの真剣勝負を見ているかのようでした。

さくらどろっぷさんを、そんな澤谷先生のセミナーにお誘いしました。
「エゴの向こう側にあるもの」に、お気づきいただきたいと思った。

エゴはよく悪者扱いされて、持ってはいけないとか、手放すべきだとか言われます。
けれどエゴは、なくせるものではありませんし、なくさなければならないものでもありません。
人は、エゴがあるからこそ真実を学ぶことができるのです。探し求めて、そして見出すことができるのです。
エゴから目を背けるところからは何も始まらない。
自らのエゴを直視して向き合うことを通してこそ、真実を求める歩みに入っていくことができるのです。

澤谷先生の透明度は、半端ないと感じます。人間離れしておられるという意味ではありません。誰よりも、人間らしく生きておられるが故の透明度なのだと感じます。
誰よりも誰よりも人として生きながら、ご自身の中のすべての部分、すべてのエゴを受け入れておられるが故の透明さ。それは、すべての色の光を混ぜると、無色透明の光になるのと同じことなのでしょう。
すべてを受け入れておられるから、自由自在にどの色をお出しになることもできるし、どの色を生きることもおできになる。そしてまた、どの色を出されようとも、透明で在り続けることがおできになる方なのだと先生を拝見していると、そのように感じられてきます。
言葉をこえて、そのような先生のご存在そのものからさくらどろっぷさんに、大切なことを感じ取っていただきたくて、お誘いしたのでした。

エゴを受け入れることが大切なのだとか、その、受け入れた向こうにあるものが真実なのだとか、言葉で語ることは易しい。
でも、言葉で伝えられることは、所詮言葉による理解しかもたらさない。
人は、学びでも言葉でもなく、出会いと命とのふれあいによって変わるのです。
わたしが、澤谷先生とお出会いして、存在の根底からひっくり返ってしまったように。

澤谷先生のセミナーに参加を決められたことで、先生の脈動するお命にじかに触れられることで、さくらどろっぷさんのお命に、どんな反応が生まれることか? 今から楽しみでなりません。^^
わたしもまた、新たな思いで師匠のご講義を聞かせていただけることに、感謝が溢れます。
その時、一回限り、その所でしか巡り合えない出会い。それこそが、セミナーの命。
その場限りにまばゆく輝き出されるであろう、澤谷先生のお命を、こちらも命でもって、全存在でもって受け取らせていただきたい。

心から、そう願われるのです。


澤谷 鑛 のカウンセリングは、コチラ…
澤谷 鑛 のセミナー/講演会情報は、コチラ…
コメント

興味ふかいお話です。

エゴっていうのは正しく使うと人生を豊かにするし、過った使い方をすると、エゴっていう言葉のとおり意識の壁に囲まれたような、難しい人生になるんだと思います。食欲みたいなもんですかね。

鷹のお話。。。野生の生き物って、ほとんど自分しかみえないんでしょうね。鷹匠さんに出会って、野生にないものに目覚めたんだろうなと思いました。
エコロジー [URL] 2014/12/05(金) 19:51 [編集]

いつも、ありがとうございます。

さくらどろっぷさんの命の輝きや純粋さ、澤谷先生の透明度を感じておられる桜さんのおこころがすごいと思いました。

エゴの向こう側にあるもの。それは、自分の力の及ばないものに対し、謙虚になることから見えてくるのだろうか?ともに生き延びることを選択することから、見えてくるのだろうか?最近、思考にはまってしまう自分がいて、ぐるぐるしてしまいます。(これはこれで、今まで頭をあまり使ったことがなかったので、頭を使ってるやん!と思うと、ちょっと?嬉しくなったりして、楽しんではいるのですが。笑。)

こころを澄まして、存在そのものから感じることなんですよね。力を抜いてみることなのかもしれないなあと思ったりしました。

桜さんは一瞬一瞬を、今ここに、命を輝かせて生きておられるのだなあと思いました。自然に頭がさがってしまいます。そうできることに新鮮な喜びを感じています。ありがとうございました。
エンジェル [URL] 2014/12/06(土) 01:31 [編集]

エコロジーさん
エコロジーさん、こんにちは。コメントありがとうございます。
確かに、食欲は正しく使うと人生を豊かにします。
でも、暴走させると、もともと備わったその人の可能性までだめにして
人生を貧しくしてしまいますね。
とてもわかりやすいたとえですね。

「若鷹が鷹匠に出会って目覚めた、野生にないもの」
それは、なんなのだろうと、コメントを拝見して思わされました。

「敵わない相手だと悟った」と言っても、若鷹は
力で服従させられて自分を捨てたり消したりしているわけではない。
「本当の関係」が、そこに生まれたのですね。

それを「信頼」だとか、「きずな」だとか、表現することもできると思いますが
そう表現したとたんに、何か違う軽いものになってしまう気がしてなりません。


ふたつの命が触れ合った。
触れ合った命が、ほとばしった。
命が、触れ合ったところから結ばれて、溶け合い始めた。
片方の命がもう片方に流れ込み、
お互いに離れていながら、ひとつになったのだ。

自分なりに表現するとしたら、そんな感じでしょうか。


表現の言葉を選ぶために、若鷹や鷹匠の思いを想像しながら
彼らの感情をつぶさに見つめていると、
心が熱くなります。どきどきします。

澤谷先生の養成講座は、本当にそういう命が流れる場。
稀有な場であるのだと思います。
桜 美穂 [URL] 2014/12/07(日) 22:49 [編集]

エンジェルさん
さくらどろっぷさんの命の輝きや純粋さをご覧になり
わたしのことばに、一瞬一瞬今ここに命を輝かせているとお感じになるエンジェルさん。

それは、エンジェルさんの中に同じものがおありになるからこそのことなのですね。すごいことです。
そのようなエンジェルさんに、わたしの方こそ深く頭の下がる思いです。
ありがとうございます。


昔は、自分が癒されることばかり考えていました。
自分のエゴに気付いてからは、エゴを脱ぐことばかり考えていた時期もありました。

でも、癒されようとしている間は絶対に癒されはしないし
エゴを脱ごうと四苦八苦している間は決して脱げはしない。
そんな努力は、的外れで、本当は違うのですね。
ようやく、本当に腑に落ちてわかるようになりました。


澤谷先生の養成講座で、大きな癒しを体験してみんなに祝われていた時
澤谷先生に、「本も出さないうちから評価などできない」と叱られたことがありました。
ブレインアップデートを学んで、これまた大きな大きなブロックが嘘のようにはずれた時も
みなさんに大変祝われましたが、後から先輩方に「だから、なんなの?」と言われました。
楽しいなと思います。

そう、「だから、なんなの?」なのです。
そこから何をどうしていくかこそが大事なのですね。

癒されるために、楽になるために、ブロックを外すために
デトックスをするために、生まれてきたわけではない。

同じように、
「エゴに気付いた。だから、どうするのか」が、大事なのですね。
その選択、決断、展開にこそ、その人独自の命がほとばしる。
そこに、命を自由自在にほとばしらせずに、どうするのか。

ようやくそれに気づくことができました。
いきいきと自分の命をほとばしらせて、エゴの向こう側
癒されること、ブロックを外すことの、デトックスの向こう側に
いきいきと踏み込んで行こうと思うのです。

来期は、再び共に学ばせていただきます。
どうぞ、よろしくお願いいたします。
桜 美穂 [URL] 2014/12/07(日) 23:11 [編集]

管理者にだけ表示を許可する
 

トラックバック
トラックバック URL

Copyright © 2017 絆の法則 ~ 澤谷 鑛 オフィシャルブログ ~.
all rights reserved.
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。