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01/05
日本人の感性(後編)
山口 悟(養成講座6期・7期)

『日本人の感性(前編)』記事の続きになります≫

話を戻しますが、平川氏は、ハーンのこうした日本的感性を認める記述は「自分の幼少時代との対比において、日本は子供に優しい国であることを肯定的に把握したことを示す」と言われます。そして地蔵に代表される日本の宗教的雰囲気にも好意的理解を示し、「ハーンの日本論に通底する基調となっているといえるでしょう」と言われています。

次にクローデルですが、クローデルはハーンに関心を寄せていました。平川氏がクローデルとロティ、ハーンを比較したかったのは、おそらく次の文章のところにその思いがあったからではないかと私は思いました。平川氏の思いのところを抜粋しますね。

ハーンが日本の神道文化を発見してくれたことは、私のようなご神木を有難いものに思い、敗戦後も焼野原のはるか彼方に富士山を見て心慰められた者は嬉しいことです。しかしハーンの神道発見によって世界の中で神道の地位が確立したかというと、そうはいえません。ハーンは西洋のキリスト教文明に背を向けた男で、そのような西洋の落ちこぼれの男がはいりこんだ日本人の霊の世界などさしたる価値がああるはずはない、と西洋人のある者は逆に推論するからです。それに対して事情が異なるのはクローデルの神道発見と神道評価です。クローデルは西洋のカトリック文化の中央に位置する大詩人で、キリスト教信仰の人です。そのような立場の人が神道をポジティブに評価するとは如何なることを意味するのでしょうか。


クローデルは仏教に対して否定的だったようで、セイロンの極彩色の大仏の寝像には嫌悪を示しさえもしたそうです。そのクローデルがなぜ地蔵には好意的関心を示したのか。大体地蔵はインドに起源がありますが、中国を経て日本へ伝わる間に大人の菩薩から子供の菩薩へと変身し、更に土俗的道祖神と習合した史実があるということです。ハーンとクローデルはそのように日本化した仏像であるところの地蔵を愛したというわけです。平川氏は、ハーンには生い立ちにその説明を求め、クローデルには彼が生まれ育った土地を説明して紐解こうとします。人間は、生い立ちだけでなく、育った環境事態が精神的に影響を与えると云うことでしょうね。

カトリックの詩人であるクローデルは、アニミスティックなものに惹かれる傾向があったようです。外交官として生涯を送りますが「旅行者だが、同時に大地に根を下ろした人間」であることを強調し、田舎者であること自己肯定の中で良しとします。キリスト教以前の土地の霊を信ずるということが体の隅々にまで染みこんでいたから、日本人の樹木、岩石、滝などの霊やお地蔵様などに寄せる信仰に親身に共感できたのだろうと平川氏は解説しています。

平川氏はまた、クローデルの特長としてシェイクスピアや古典ギリシャ、ラテン的世界や『旧約聖書』、さらに黄金時代スペインと、書物によって結ばれていたこと。日本については四歳上の姉カミーユがロダンの弟子の彫刻家であったため、若いころから北斎の浮世絵版画などに親しんだジャポニズムの時代に育った人であったこと。日本が見たくて外交官試験を受けたほど日本に惹かれていたこと。日本語を習わなかったことで、書物よりも直接眼で見、耳で聞いてつかみとった、その直観力が素晴らしかったことなどをあげています。

クローデルは1898年(明治31年)中国勤務の折り東京、日光、京都を訪ね、アジアの他の仏教国より日本に好意を寄せます。それは日本を日本たらしめている宗教要素しての神道に着眼したのでないかと思われます。

アジアの他の国にない日本固有の宗教要素とは何かということについて、クローデルが土地から受けた個人的な印象に基づいて書いた「神の国」という文章(芳賀透訳)から、平川氏は日本固有の宗教要素とは何かを求めようとされていますので、その箇所を抜粋します。

……私は杉の巨木にふちどられた果てしもない並木道をたどってゆきます。その木々の色づいた幹は深々とやわらかな暗闇のなかにまぎれています。突然はげしい日の光が一筋射して、石柱に刻まれた読めもせぬ文字を浮かびあがらせる……。この不思議な道からでているいくつもの間道は、追いかけてくる悪魔をくらまし、私をとこしえに世俗から隔ててくれます。珊瑚色の太鼓橋で黒玉の池を渡る。幾百年の翳りのこめるところで、木の柄杓から冷たい水を手にそそぐ。おお、その身にしむ冷たさ。私のいのちはあらたまる。そして閉ざされた扉のむこうに、鐘の音がゆるやかに熟れてゆき、蝋燭が一本燃えるのをじっとうかがう。あちらの木々の葉の深いしげみのなかから、間をおいて山鳩の声がきこえる。その声はとこしえに教えを説いてながれる滝の鳴動にこたえている。

ここにいたってはじめて私はわかりました。――人生に対するとくに日本的な態度、それは、フランス語にはこのような感情を表現する語彙があまり沢山なく、他によい言葉がないので、私は恭敬とか、尊崇とか呼ぼうと思いますが、理知には到達しえぬ優越者をすなおに受けいれる態度であり、私たちをとりまく神秘の前で私たち一個人の存在を小さくおしちぢめてしまうことであり、私たちのまわりになにかが臨在していて、それが儀礼と慎重な心づかいとを要求していると感ずることなのだと――。このことが私にはわかったのです。日本がカミ(神)の国と呼ばれてきたのもゆえなきことではありません。いやこの伝統的な定義こそ、今日なお、みなさんのお国について下されたいちばん正しい、いちばん完全な定義であると私には思われます。


平川氏は、次のように書き添えています。

クローデルは1949年(昭和24年)9月9日の山内義雄宛の手紙で遠い「美の天国」である日本を回想し、「私はそこで多くの外国人が理解し得ないところのもの――宗教的雰囲気を呼吸しました」と述べました。その宗教的雰囲気とは神道的雰囲気をさしているのです。


その後松尾芭蕉の句、明治天皇の御製を紹介し、平川氏はクローデルの神道美学および天皇観を論じていきながら、日本人が歴史の中で経験してきた天皇信仰にも神道を理解する一面があるということを紹介していきます。また平川氏は、クローデルは〝天皇は日本国民の民族的な命(不死)の象徴〟と観察しているとし、〝不変と可変の性格を内にはらむ天皇観にも、天ノ岩戸に象徴される太陽再生神話などの神話物語にも大いに興味をもち、それらに讃歌を与えている〟と言います。

こうして考察をしてみると日本人の感性は、椎名林檎さんという現代女性から、明治・大正時代のハーンやクローデル、そして神話物語の中に生き生きと躍動する八百万の神々の出来事にまで、変わらずに新鮮に生き続けているように感じます。

さてさて、話をまた変えます。〝エゴ〟についてですが、石原氏はスポーツもサブタイトルにいれていますね。イタリアで活躍している本田圭佑選手が、イタリア誌のインタビューでやはり興味ある答え方をしています。その特集の題が『サムライとしての誇り』というのも面白いですね。「侍」など現在の日本には存在しないにもかかわらず、そうしたものを外国の方達は、日本人に求めているところがあるのでしょうか。海外では、一個人に人種や国籍のフィルターがかかり、個人の資質がそのまま日本人を代表する性格や品格として捉えられる傾向があるのがわかりますね。

インタビューで子供のころについて聞かれた本田選手は、「父からいつも、何かやるのならナンバーワンになれ、それがサッカーである必要はないと言われていた。そしてどうやったら一番になれるか考えていた」と答え、それに対し導いた答えは「他との違いを出せるようにし、強い個性を作ること」だったそうです。

まさに〝人間力〟の強さを前面に押し出そうと努力している本田選手の気質がうかびあがります。石原氏の表現した〝エゴ〟と本田選手の〝他との違いを出せるようにし、強い個性を作ること〟が同義語として捉えるなら〝エゴ〟をだすということは良いことなのかもしれません。

また自分自身に出した課題は、よりハードなトレーニングを積む、そして今ではミランの練習場に早く行くのが当たり前になったそうです。このような良い習慣性が出来ていく過程は〝自信を強めることで肯定的に自分を鼓舞することが出来、そのことがより高みを目指す向上心に火を点ける〟という〝生命力〟を発揮する構造過程に合致します。

〝イタリアについて〟という質問には「最も大きな問題? はマスコミのアグレッシブさ(笑)。レストランやショップで彼らはいつもそこにいる。私自身は別にいいんだけれど、家族を考えると不快だ。妻と息子はサッカー選手でも歌手でも有名人でもない。普通の日本人だから」と話し、過熱する報道陣に対し悩んでいる様子です。

そしてイタリアと日本の比較に話題は移ったら「日本人は規律正しく統率がとれているが、大胆さに欠けている。イタリア人は忍耐不足だが、天才的で多くのものを創り上げた。パスタ、ピッツァ、フェラーリ、ドルチェ&ガッバーナ……。両方をミックスするのが理想的だろうね」と締めくくったようです。

日本人の独特の感性や宗教観、日本人の特長として本田選手があげた忍耐や規律正しさ、統率力などは、自然に無意識的に表現される優れた感性や特長ではあるけれども、多分に個人の資質と関係が深くあるものであり、また人間として人種や国籍を超えて共通に認識できるものであり、日本人以外にも当然備わっている能力ではあるが、自然環境や歴史の深さによって日本人がその能力を無意識に捉えることに優れているのではないでしょうか。そのようなことをつらつらと考察しながら感想としてもちました。

それから、本田選手は「日本人は大胆さに欠けている」といっていますが、この〝大胆さ〟が石原氏の表現する〝エゴ〟なのかもしれませんね。

では、お読みいただきありがとうございました。

《参考》
椎名林檎、単独インタビュー 「いつも死を意識」「子ども5、6人産む」 5年半ぶり新作
withnews 11月17日(月)6時0分配信

《参考》
東京大学名誉教授(比較文学比較文化)
平川祐弘  著
西洋人の神道観 日本人のアイデンティティーを求めて
河出書房新社

《参考》
本田 伊誌に独白「イタリアで買い物はしない」「いじめに何度かあった」
デイリースポーツ 11月22日(土)18時51分配信
 イタリア誌のロングインタビューで持論を述べた本田圭佑


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