お伝えしたいことは「運命は改善できる」ということです。
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01/22
オンリーワンがナンバーワンになるとき(後編)
澤谷 鑛

 以前、「そのまんま」というタイトルで、このブログに掲載したものを再録してみます。

【10程前に短大を卒業した彼女は、女性の教授に「授業のお手伝いをしてください」と言われ、助手になりました。数年お手伝いをし、彼女は結婚しましたが、妊娠・出産を期に大学から離れました。
 子どもさんも小学生の高学年になった今年から、「復帰しないか」との話しが教授からありました。それも「講師として大学には申請したい」と言うのです。彼女は復帰しました。そして、この秋から講師として活躍します。
 彼女は、植物と人間の癒しの関係に興味をもっています。私は、「そのような本を出版されたらいいですね」というと、彼女は「私は短大卒ですから」といいました。
 こんなに恵まれた道を歩む人も、劣等感を持つのですね。人生は、神が生きるのでも、仏が生きるのでもなく、人が生きるのです。神や仏を生きようとする人を否定はしませんが、その様な人も人が生きているのです。人生は必然的に相対的になり劣等感も生まれるということになります。もちろん、慢心も生まれます。
 彼女は、「劣等感はどのようにすればいいのですか?」と聞きました。私は、「劣等感を持つということは、能力の低い証拠ではなく、今後の成功を約束するための学びに必要なものなのだ」と言いました。そして家内がベランダで陽を遮るために、この夏、ゴーヤを植えた話しをしました。
 二本のゴーヤの苗が背丈よりも伸びて、緑の大きな葉をつけ、畳二畳近くになりました。黄色い小さな花もつきましたが、蜂がこないと交配をしないので、実がならないと家内は友だちから聞きました。ところが、孫が遊びに来たとき、「ばあば、なにかなっているよ」とゴーヤの実をみつけました。小さな二つのゴーヤがなりました。年長の孫は、夏休みに一人でじいじとばあばのところに来ていた(じいじとばあばが迎えに行った)のですが、「パパとママとミーちゃん(妹)に携帯で写真を送って」とはしゃいでいました。これが癒しなのです。劣等感などゴーヤにはないのです。そのまんまなのです。「あなたの講師もそのまんまでいいのですよ」というと孫がゴーヤをみてはしゃいだように、彼女は嬉しそうな声をあげました。
 夢や理想は、誰にもありますが、まず現実のそのままを受け入れることが大切です。人生は、そして「夢そだて」は、今、ここからの出発しかないからです。
 この夏、家内の育てたたくさんのゴーヤを美味しくいただきました。】

 スマップが歌って大ヒットした「世界に一つだけの花」は、槇原敬之氏の作詞・作曲です。
 歌詞の最後に、
<No.1にならなくてもいい
もともと特別な Only one>
 というのがあります。作詞した槇原敬之氏にはどんな思いがあったのでしょう。
 この歌が発表される3年前に槇原氏は、覚せい剤取締法違反(所持)容疑で逮捕されます。それは、孫が見つけた小さな曲がった歪なゴーヤのようなものよりも悪く、それこそ腐ったゴーヤなのかも知れません。しかし、孫にとっては、小さな曲がった歪なゴーヤもすばらしいゴーヤなのです。将に「特別な Only one」なのです。翻ってゴーヤの視座から考えてみると、ゴーヤが小さな曲がった歪なことに劣等感を持っているとは思えません。「特別な Only one」と思っているとも思えませんが……。そのまんま、なのですね。
 ところで、小さな曲がった歪なだけでなく、それこそその上に腐ったゴーヤであったとも思える槇原敬之氏は、
<No.1にならなくてもいい
もともと特別な Only one>
 と作詞したのは、現実をそのまま受け入れつつ、生きる根源的なエネルギーを感じたのではないでしょうか。
 覚せい剤取締法違反(所持)容疑で逮捕されてから、仏教に出会い、「ナンバーワンではなくオンリーワン」という主題について、槇原氏のことをある人が、このように述べています。

「ナンバーワンではなくオンリーワン」という主題は、「天上天下唯我独尊」という仏教の教えが念頭にあった。『仏説阿弥陀経』の「青色青光、黄色黄光、赤色赤光、白色白光」という一節が元になったとも語っている。これは浄土には様々な色の蓮華が咲き乱れているが、そこではそれぞれがそれぞれの個性に無上の尊厳性を認め合い存在しているという内容である。


「天上天下唯我独尊」(てんじょうてんげゆいがどくそん・我は世界のうちで最もすぐれた者であるの意。釈迦が誕生するとすぐに、四方に七歩歩み、右手で天を指し、左手で地を指して唱えたといわれる詩句)というのは、「ナンバーワンではなくオンリーワン」というものではなく、「オンリーワンでありナンバーワン」なのですが、所謂、自我執着心が生きる根源的なエネルギーを感じつつ「ナンバーワンではなくオンリーワン」に留まっています。誕生した釈迦は、自我執着心があったのか? ということになりますが、「唯我独尊」を認めています。それは、道元のいう「仏向上」なのでしょう。

 青・黄・赤・白の色と光は、浄土に咲くそれぞれの蓮華(はすの花)を現わしており、それぞれが尊厳性を認め合い存在しているというものです。

 また、槇原氏は、このようにも述べています。

いくら他に沢山のバラがあろうとも自分が美しいと思い精一杯の世話をしたバラはやはりいとおしく、自分にとって1番のバラなのだと悟るという『星の王子さま』の話も基になっている。


 ここにも「自分が美しいと思い精一杯の世話をしたバラ」という「自分にとって1番のバラ」との表現で『星の王子さま』の話に共感しています。
 ここで槇原氏と釈迦との大きな隔たりを垣間見ることになります。


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コメント

仏向上のわかる仏向上心。

ほんものとであうことなのですね。
エンジェル [URL] 2015/01/22(木) 23:18 [編集]

エンジェルさん。

そうですね。ほんものと出会うことですね。
理論の延長線上のものではなく、ほんものの姿ですね。
それは、
光を聴き 風を見る
ようなものなのかも知れません。
しかし、確かに姿があるのです。
澤谷 鑛 [URL] 2015/01/23(金) 10:11 [編集]

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