お伝えしたいことは「運命は改善できる」ということです。
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02/12
淋しい! 孤独だ! という気持ち

「誰かと仲良くなりたいのにできない」
「誰かに側にいて欲しいのにいてもらえない」
「誰かに気持ちをわかってもらいたいのに叶わない」
……そんな時、誰でも「淋しい!」と感じますよね?
そして「私は淋しい、淋しい」と心の中で呟きつづける……。
そうすると増々淋しくなってしまう。

何故なら、「淋しい」には、「クラスに友達がいないから」とか、「彼が傍にいないから」とか、「LINEの返信が返って来ないから」等といった、それぞれの「淋しい」の前提の条件が含まれているからです。

どういう事かと言うと、例えば友達が欲しくてもできない場合、「淋しい」と心の中でつぶやく度に、
「私には友達がいない、だから淋しい。こんな私はダメだ。可哀想な私……」
という考えをも繰り返している事になるでしょう。
もしそうなら「淋しい」と繰り返す度に、「私には友達がいない」という今の時点での現実が事実として確定されてしまう。更に、
友達がいない=淋しい、友達がいない=ダメな私、可愛そうな私、
という考え方も誤りのない事実として固着してゆくでしょう。
そして「可哀想なくらいダメな私」という所まで自分の価値下げを行ってしまうと、とてもじゃないけど、友達を作る行動を取る為の自信が生じる事は困難になり、増々「淋しさの悪循環」に陥ってしまうと思います。
※同様に、「彼に大切にされずに淋しがってる自分」も、増々彼に依存してしまい、増々淋しさを感じてしまう事になるでしょう。

僕は26歳の時に仕事を退職した後に、思う所あって誰も知り合いのいない博多で独り暮らしをしていた時期がありました。
幸い、前職で稼いだ貯金があったので、貯金を切り崩しながら、働きもせず、毎日図書館に通う以外は家に居て自炊する、という生活を半年間続けました。
その時の僕は自分の事を淋しがり屋で弱い人間だと定義づけていましたので、己を鍛える為に、親以外は連絡先を一切知らせず、誰とも会話せず、「どれだけ孤独に耐えれるか?」といった、修行(?)をやっていました。
(※今思うと笑えて来ますが)
結果、半年間誰とも口を聞かず生活を続けても、淋しさを感じた事はありませんでした。
そこで僕は「僕は孤独に強い人間になった! 人と接しなくても平気だ!」と一人で有頂天になっていました。
でも、今から思えばそれは当たり前の事です。
だって「自分を鍛える為に人と関わらない」と決めていた訳ですし、「淋しい」という暗示をかける必要もなかったからです。

では、その修行(笑)の後はどうなったのか?
というと、やっぱり人と関わるようになりました。
それは、自分は誰とも関わらなくても寂しさを感じる事はない(孤独に強い!(笑))という発見と同時に、自分の心の中に「でも他人と関わりたい」という欲求がある事を再発見したからです。
それからは「淋しいな」という悪循環をもたらす自己暗示ではなく、「僕は他人と関わりたいんだ」という欲求に目を向けて沢山の人と関わる様になりました。
まあ、さしづめ今の僕の心の中の呟きは、
「僕は孤独に強い。だから孤独でもいい。でも他人と関わりたい気持ちもあるから、その気持ちが出て来たら関わってもいい」
ってとこでしょうか。
(今、振り返ると「孤独に強い自分」で自信をつけ、誰とも関わらなくてもいいや!=嫌われてもいいや! が余計なプレッシャーを無くし、結果他人と関わる事のハードルが下がったのかも知れません。かといって、余りおすすめできるやり方ではありませんが(笑))

まあ、いずれにしても自分にどういう“暗示”をかけるか? が大切だと思います。

それでは今日も良い変化を!


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コメント

嫌われてもいいや! と暗示かけてみよう!
いの ちやこ [URL] 2015/02/12(木) 08:28 [編集]

いの ちやこ様
コメント有難うございました。

そうですね。「嫌われてもいいや」という暗示、
或いはそれが難しければまず「嫌ってもいいや」
という暗示が効果的だと思いますね。
のぶさわ 正明 [URL] 2015/02/12(木) 09:55 [編集]

いつもありがとうございます。

のぶさわさんは、若い頃にすごい修行をされたんですね。

私も若い頃は(笑)、本当に寂しくて仕方が無かったなあと思い出しました。

自分勝手だったので、結局人と上手く関われず、関係は壊れていくいっぽうで、人と関わらなければ、傷つくことも傷つけることもなく過ごせると思い、一人が楽と思って生きてきました。

そうすると不思議なもので、同じ思いの友達ができ、いい距離感で、お互いに深入りすることなく、共通するところだけでつきあっていました(飲み友達です。笑)。さみしいくらいが丁度いいような感じでしょうか。

でもこれって、強がりだったり、煩わしさからの逃げだったりするのかな。本当はできることなら、多くの仲間と楽しくすごしたい、関わりたいと思っている(ような気がしますが・・・。)

突き詰めていくと、拒絶されることの恐怖、なのかなあ・・・。

じゃあやっぱり、拒絶されてもいい。自分が関わりたいと思う人と関わってもいい。っていうのが暗示になるのかなあ?どうなんだろう?

でもそう考えたら、目の前が明るくなったような気がします。ずっと下を向いていたんだなあって思いました。

そう暗示をかけていたら、いつか自然と声をかけたりできるかもしれないなあと思えてきました。不思議ですね。楽しんでみます。ありがとうございました。
エンジェル [URL] 2015/02/12(木) 23:51 [編集]

エンジェル様へ
いつもコメントを頂き、有難うございます。

そうですね。拒絶するか、しないかは「相手の選択」
であって、こちらの責任ではないので「そんな事知った事ではない」
ですね(笑)。
こちらが相手を好きか嫌いか、仲良くなりたいか、否かで判断し、
それでも嫌われたら、それは相手の選択なので、仕方がない事、と
割り切る事だと思います。

まずは、「好かれるか、嫌われるか」ではなく、「好きか、嫌いか」
といった、自分の気持ちの方に着目した方が良いと思います。
のぶさわ 正明 [URL] 2015/02/13(金) 09:39 [編集]

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