お伝えしたいことは「運命は改善できる」ということです。
09 * 2017/10 * 11
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -
--/--
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
02/18
〝たま〟と〝しい〟の二つの世界 ~「魂の対談」感想文~
山口 悟(養成講座6期・7期)

「人は二つの世界に住んでいる」
対談の中からそう聞こえてきました。
『へそ道』でいう二つの世界に対談は進んでゆきます。出席は進行役を含め4名であったようですが、両先生の彼方に共通する偉い先生がいるのでは? と思うような内容の展開でしたね。

澤谷先生は、幸福な人生は夢だけでは実現しない現実を一言で喝破している『へそ道』を絶賛しておられました。それは、
「人は〝たま〟どおりに生きるために〝しい〟である心を使う」
という一節でした。その後、何度もこの一節を使用し、この言葉のもつ重大性を解説しようとされ、またこの文章をお書きなった入江富美子先生の心の立場に驚嘆されておられましたね。

「たましいを〝たま〟という“御霊”と〝しい〟という“心の感情”ととらえ、ひとは本来持って生まれた根源的な存在世界と、その根源的な自分自身と出会うために“御霊”から持たされて生まれてきた心の世界とに同時に住んでいることを自覚し、現在の自分に反映して生きていくことが使命だ」
と私は理解しました。

直感という言葉を使用されましたが、確かに理論にすればするほど哲学になってしまい、その伝えたい生活に密着した〝たましい〟の姿はぼやけてしまう可能性があります。だからこそ『へそ道』なのだろうと感じました。修養書や哲学書ではない「道の書」なのだろうと思いました。

そして〝たま〟である“御霊”を本来の自分であると自覚できればできるほど、現在の自分に本来の自分が反映されるということでしたね。では、その本来の自分が動き出すと感じるのは一体何かというと、それが〝しい〟の世界、〝心〟であるという少しずつ難解な構造内容に対談はすすんでゆきます。

だから〝しい〟で味わう喜怒哀楽には明暗交々あるように思われるが、本来の自分に気づくためだと合点がいくと、明暗を超え〝持たせてもらったもの〟としての〝しい〟という世界の意味が理解でき、「有難い」とすべてが変化するという内容は、やはり色々な体験から話されて展開していくのだなと思いました。

心の観点は皆ちがうので百人寄れば百人の心の立場があります。しかし、二つの世界に住んでいる人が〝たま〟と〝しい〟が二つの世界でありながら、まるでカードをあわせたように一つの世界で展開されている魔法に気づくと、自分自身の〝しい〟の世界を〝たま〟の世界に調節(調整)すると、九十九人の心の立場が整うようになるというわけですね。まさに魔法のような世界ですが、すでにそうできる人たちが出来てきているというわけですから素晴らしいです。

澤谷先生は、「芥川はあきらめた」と表現されました。芥川龍之介には、〝たま〟の存在が知的にしか理解できなかったということですか? だから「人は〝たま〟どおりに生きるために〝しい〟である心を使う」との対談内容のところあたりが、芥川自身の人生におおらかには反映されなかったということなのだろうと感じましたがどうでしょうか?

「澤谷先生のカウンセリングが文章になると、内容が物語りのように展開されていくところが魅力だ」「その心得は?」という問いには、「〝たま〟を信じるということだ」と澤谷先生はお返しになっていました。しかし澤谷先生は、「〝たま〟を自分自身ははっきりと自覚していない」と謙遜されましたが、〝たま〟の存在意義を確信しているがゆえにカウンセリングの心得として「その人を信じていれば、冷暖自知されて平安へとことは進む」というような内容のあたりは、信じている方々には良く理解できるところですね。

だから〝たま〟の世界がわからないままでは〝しい〟の世界で間違ってしまうことになり、しかし〝たま〟を知る〝しい〟のこころは、仏向上を知る仏向上心がすばらしいように二つの世界のどちらかが悪いとか、劣っているというように聞こえるような論じ方をしてはもったいないとおっしゃり、なぜなら〝しい〟の世界は、人の主体的で大切な道具の世界だからであると結ばれました。
対談冒頭に入江先生が「バランスが大事なのです」と、おっしゃっておられたところに結びでは戻ってきていましたね。

人は二つの世界に住んでいる、しかし人はそれを現在に一つにして反映する使命がある。そうお二人の会話の糸は結ばれたように思われました。


澤谷 鑛 のカウンセリングは、コチラ…
澤谷 鑛 のセミナー/講演会情報は、コチラ…
コメント

山口さんが言われる「共通する偉い先生」のご臨在を感じつつコメントを書かせていただきました。^^
命を伝えたい、どのように伝えたらよいか、と
入江さんと同じようにお心を砕かれ、工夫を凝らしてこられた方の
書かれた御文章だなと感じました。

プロが、プロの目線でプロに学び
ますますプロになって行こうとされている
そんな印象を受けました。

読みながら、心が深く静まり
信じられないほどの静けさの内に澄み渡っていくのを感じました。

養成講座に復帰するよう先生にお誘いいただき
Skypeでお話させていただいたときに

それまでにも何度も聞いていた唯識のお話を伺いながら
初めて感じたのと、同じ感覚で
なつかしく感じました。



山口さんのご文章を拝見して
芥川さんは、どんな思いでこの作品を書かれたのだろうと
興味が広がりました。


「蜘蛛の糸」のお釈迦様は、一見諦めたように見えますが、

ご対談の中で澤谷先生は、
「その奥には、信頼があったのかもしれない」と
断言を避ける言い方をされていました。


芥川さんは、「しい」を使いこなす豊かな世界を知らなかったのでしょうか。
それとも、知っていながら書かなかったのでしょうか。

それを確かにするためには、芥川さんの他の作品も
もっと読まなければわからないのだろうな、と感じます。


しかし、澤谷先生が断言を避けられながらも
同時に「芥川はあきらめた」と明確に表現されたそのお言葉の中には

澤谷先生ご自身が、これまでのご人生で関わってこられた方々への
多くの思いがあふれておられるように感じられてなりませんでした。

蜘蛛の糸が切れたところから、誰もが自らやり直さなければならい。
他人が手を出せるようなこと、救えるようなことではないのだ。
ご対談の中には、そのような、澤谷先生のお言葉もありましたね。



そのように感じるわたくしもまた

蜘蛛の糸が切れることに対して、
他人が救うようなことでも、救えることでもないのだと
落ち着いた信頼の思いを抱けるようになるまで
どれほどの思い、どれほどの時間が必要であったかという

自分自身の思いをそこに投影しているに過ぎないのであって
その感想が、本当に先生のご真実かどうかはわからない。

ただ、日々出会う多くのものごとに対して何かを感じる時は
いつもいつもそうであるように

今回も、このように感じることで、
どなたの真実でもない、
わたくし自身の真実と出会わせていただいているのだと、
深い感謝を感じます。

お読みくださり、
ありがとうございました。
桜 美穂 [URL] 2015/02/19(木) 10:00 [編集]

山口 悟さん。

芥川龍之介のことですが、ひろ さちやは、『親鸞と道元』の「あとがき」に、
【極楽浄土の仏は阿弥陀仏であるのに、何を思ったか芥川は、そこに御釈迦様を登場させてしまった。芥川ともあろう者が、どしてそんな初歩的なミスをしたのか……。】
と書いていますが、なぜ芥川が仏でなく釈迦を登場させたのかは、親鸞と道元だったらどうするか? 親鸞は蜘蛛の糸をのぼらず、阿弥陀仏の救済を待つ。道元はのぼったであろう。しかし、極楽世界へ脱出しようとしてではなく、釈迦がのぼれというから、それだけでのぼりつづけるだろう、と書いています。
釈迦でないと、『蜘蛛の糸』は成り立たないのです。阿弥陀仏だと蜘蛛の糸という善業によって救おうとは思わないでしょう。「たま」の世界を直視して、そのまま地獄から極楽浄土に救済するでしょう。
芥川は、仏が生きるのでなく、人が生きる人生に言及し、「たま」の世界でなく、「しい」の世界を展開しているのです。

興味があり、深く学びたい方は、「THE ZEN セミナー」の録画放送を視聴下さい。
澤谷 鑛 [URL] 2015/02/19(木) 15:13 [編集]

やさしい人
桜 美穂 様

丁寧なコメントをいただき心より感謝申し上げます。
ありがとうございます。

《芥川さんは、どんな思いでこの作品を書かれたのだろうと
興味が広がりました。》

『蜘蛛の糸』は、児童文学小説としてお書きになっていますね。
読む子どもたちが、お釈迦様の立場になったり、カンダタの立場になったりして心豊かに色々と思いをめぐらすように楽しく読んでくれることを考えたのではと私は思いますが…。

《芥川さんは、「しい」を使いこなす豊かな世界を知らなかったのでしょうか。
それとも、知っていながら書かなかったのでしょうか。》

芥川龍之介という人がどういう方だったのかは菊池寛氏の『芥川の事ども』を読むかぎり、やはり素晴らしい小説家であり、秀才であり、優しい方であった事がわかります。性格的な事も色々な言葉で表現されてありますね。潔癖性とか厭世的人生観という言葉も使用されてあります。菊池氏が接した芥川氏ではありますが、やはり素晴らしい小説家であったと思います。

《芥川さんの他の作品ももっと読まなければわからないだろうな、と感じます。》

そうですね、児童文学だけでなく短編小説だけでも色々興味のわくものを残されていますものね。

《今回も、このように感じることで、どなたの真実でもない、わたくし自身の真実と出会わせていただいているのだと、深い感謝を感じます。》

さすが、すばらしいですね。
重ねて、コメントをいただきましたこと感謝いたします。
ありがとうございました。

山口悟
山口 悟 [URL] 2015/02/21(土) 12:08 [編集]

待つこと、後ろふりむかずということ
澤谷先生

コメントをいただきましてありがとうございます。
恐縮しております。

《親鸞は蜘蛛の糸をのぼらず、阿弥陀仏の救済を待つ。道元はのぼったであろう。しかし、極楽世界へ脱出しようとしてではなく、釈迦がのぼれというから、それだけでのぼりつづけるだろう、と書いています。》

面白いですね、このたとえは!

《芥川は、仏が生きるのでなく、人が生きる人生に言及し、「たま」の世界でなく、「しい」の世界を展開しているのです。》

その通りですね、芥川氏は『蜘蛛の糸』を児童文学小説として発表したのですから、読む
児童に対して教訓的な教えか、または児童の「心」に対して情感豊かな心を持たせたかっ
たのではないかと思います。大人が読んでも色々と考えるのですから…。

「蜘蛛の糸」は幻想なのです。夢の中の物語でよいと思うのです。すっかり幻想に魅了さ
れ、読む児童が色々と心をめぐらす、そして朝目覚めてみれば、昨日の心のめぐらしなど
すっかり忘れて今日へかけだしてゆく。
その今日の、あるいは未来のどこかで『蜘蛛の糸』によって情感豊かに心をめぐらした何
かが、慈悲深さなのか、無慈悲な心なのかわかりませんが、そういったものと「はっ」と
出会ったり、「ははぁん」と出会ったりすることが、人生を豊かにすると思うのです。

先生のコメントを読みながら、私は「やはり本を読むことは素晴らしい」と思いました。

山口悟
山口 悟 [URL] 2015/02/21(土) 12:14 [編集]

管理者にだけ表示を許可する
 

トラックバック
トラックバック URL

Copyright © 2017 絆の法則 ~ 澤谷 鑛 オフィシャルブログ ~.
all rights reserved.
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。