お伝えしたいことは「運命は改善できる」ということです。
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03/10
若き日の道元の疑問
澤谷 鑛

『へそ道』(入江富美子著・サンマーク出版)を拝読していると、こんなところに出会いました。

「へそ道」的にとらえれば、どんな出会いも、前世のことも含め、何かのご縁で出会わされている。出会いをとおして最善に向うための自分の「ほこり」に気づき、みたまを磨く縁ととらえることで、新たな「ほこり」を積むことがないのです。

 この「ほこり」は、「誇り」なのか?「埃」なのか?
 少し前に、このようなところがありました。

人間はいくらキレイに生きようとしても、「心」を持っている私たちは生きている限り、知らず知らずのうちに、ほこりを積んでしまうことを知っていたのですね。だからこそ、昔の人は、いろいろな思いにとらわれず、ほこりを積まないように喜んで陽気に生きるよう心がけていました。

 というところがありますので、「ほこり」は「埃」のようです。しかし、「埃」と書かず「ほこり」と書いたのは、「誇り」も「埃」に通じるとの思いから、「ほこり」と表現したのかも知れません。

 さて、「みたまを磨く」という言葉がありますが、仏教では「一切衆生悉有仏性(いっさいしゅじょうしつうぶっしょう)」といわれます。生きとし生けるもののすべてを衆生と言います。生きとし生けるもののすべてが仏になる性質を持っている、というものです。
 これは、無限の可能性を示唆するもので、ここでの「みたま」は道元のいう「仏向上」とイコールであり、完成されたものが完成されたままに拡大向上を遂げる存在のことといえます。
 ところが若き日の道元は、疑問を持ちました。
「本来仏になる性質(仏性)を持っているのなら、何もわざわざ発心して悟りを求め、修行する必要などないではないか?」
 本当に磨くという行為は必要なのか? 磨こうが磨くまいが仏性があるならば、何も価値は変わらない、というものです。ところが、完成されたものが完成されたままに拡大向上を遂げるのを意識化するというのは、心のはたらきです。
「玉磨かざれば光なし」なのですが、いくら仏性が蔵されていても、磨くという行為がないと輝きません。
「仏性」=「みたま」と「発心」して「悟り」を求め「修行」をする「心」とは、位相を異にします。
 道元は、「仏向上」を意識するものを「仏向上心」と表現しました。

 道元は、比叡山に13歳から15歳まで学びました。
平安時代・鎌倉時代の比叡山の天台宗は、大乗仏教の大学という位置づけだと考えるとわかりやすいようです。
 法然(1133年~1212年)は30年間比叡山で修行しました。親鸞(1173年~1262年)は20年比叡山にいました。日蓮(1222年~1282年)は12年修行しました。ところが道元(1200年~1253年)はわずか2年間しか比叡山にいませんでした。
道元より法然は67歳年上で、道元が12歳のときに亡くなっています。親鸞は27歳年上で、道元が亡くなって9年後に亡くなります。日蓮は22歳年下で道元が亡くなって29年後に亡くなります。

 道元がわずか2年で、15歳で比叡山を下りたのは、道元が抱いた疑問に誰も教え示してくれなかったから、といわれています。
「一切衆生悉有仏性(いっさいしゅじょうしつうぶっしょう)」
 というのが天台宗の、日本の仏教の基本的な教学です。
「生きとし生けるもののすべてが仏性を内在している」
 というものです。だから、
「その身そのままで成仏できる」
 ということです。
 しかし、このことがわかるためには、ほんものとあらわれをよく理解しなければなりません。一切衆生悉有仏性はほんものの世界であり、その身そのままで成仏できるのもほんものの世界です。だが、あらわれとしてのその身そのままをほんものと誤解する場合もあります。
 道元は、その一切衆生悉有仏性という基本的な教学に疑問を持ちます。
「生きとし生けるもののすべてが仏性を内在している。生まれながらにして仏性を内在している。では何故、わざわざ悟りを求める修行をするのか。本来仏である性質(仏性)を内在しているのであれば、なにも修行などする必要はないではないか」
 若き日の道元の疑問です。

 本来の発想では、
「仏性が内在するから修行ができる」
 わけで、あるからあらわしだせるのであり、なければなんにもなりません。
 ところが道元は、
「仏性が内在するのに何故修行が必要なのか?」
 というのです。
 仏性が内在するから修行ができる、と真剣に修行をしていた比叡山の僧たちは、誰も答えられませんでした。道元は冷暖自知する以外にありません。
 15歳の道元は、比叡山を下ります。臨済禅を伝えた栄西(1141年~1215年)の開山した建仁寺で学ぶことにしました。道元が栄西に会ったとしても短い期間です。多くは栄西の弟子の明全から学びました。6年間学びます。仏教学の基本は勿論のこと、中国語も学びました。
 1223年2月22日、道元は師の明全とともに京都を出て博多に向かいました。
 3月下旬に二人は商船に乗って博多湾を出航し、4月はじめに明州慶元府(現在の淅江省寧波)に到着しました。
 道元の中国での禅の学びが始まります。


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コメント

見ているものが違うから
入江さんのご文章を拝見した時は
「ほこり」は「埃」だと解釈して読んでいました。

しかしこうして改めて問われてみると
なるほど、「誇り」と読んでもちゃんと意味が通るなと気付きました。

自我執着心の誇りなど、本質のみたまから見れば何の価値もない
埃以外のなにものでもないのでしょう。


このお話は、何度も拝見していますが
今回初めて感じたこともありました。

満元さんの問いに対して、道元さんを満足させられる答えを返せなかった僧たちは
道元さんとは違うところを見ていたのだ。
それでは、お互いの言葉がかみあわず、
議論の始まりにすら立てなかったのは当然ではないか。ということです。

同じように人を見ていながら
僧たちは、磨くことで輝かせられる部分を見ていた。
「玉磨かざれば光なし」とは確かに真実であり、磨くことは間違いではないのです。
努力し精進することで、わたしたちは成長できますし
ますます研ぎ澄まされていく部分を確かに持っています。

でもその奥には、磨く必要もなく最初から完全な姿で光り輝いている存在がある。
道元さんは、そこを見ておられたのではないのかと感じます。

それを他の僧たちに伝えられないこと、議論がかみ合わないことに
道元さんはどんなにかもどかしい思いをされたのではないか。

努力によって成果を確認できるような
はっきりと目に見える世界ではありませんから
言葉によってその気づきを説明し、わかってもらうというのは
今も昔も大変なことなのでしょう。

道元さんは苦しまれたのだろうか。
孤独を感じられたのだろうか。
それとも、火の玉のように意欲に燃えて下山されたのだろうか。と
さまざまに思い巡らせてみました。

本当のところはわかりません。
でも、この根源的な命の輝きに出会った人は
もはや、他人に理解されるとかされないとか
そんなことには、ぶれなくなるのではないか。

道元さんは、誰からも理解されない孤独の中にあっても
この命に出会われた喜びに、燃えておられ
少しも寂しさや寒さを感じてはおられなかったのではないかと感じられました。
桜 美穂 [URL] 2015/03/11(水) 12:23 [編集]

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