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05/11
父親の死と物語
                                    のぶさわ正明

先日父が他界した為に、多くのお客様にご迷惑をお掛けし、ブログの更新も滞ってしまいました。

今回は、極々私的な記事になってしまいますが、父や家族への新しい旅路のはなむけとなれば、という想いで、父が生きて来た物語を書きたいと思います。

4月11日午前11時過ぎ……。
奇しくも僕の誕生日、誕生時間にピタリと合わせる様に、父は息を引き取りました。
享年89歳……。
自分の想い通りの人生を生き切った生涯だった、と思います。

父は、大正15年に近衛兵だった祖父が駐屯していた青森で二男として出生しました。
父の兄は軍人肌の人でしたが、父は真逆の文学青年だったそうです。
軍人である祖父はそんな父にも優しく接し、部下思いで、部下の為には上官にも楯つく様な正義感と優しさを併せ持った人だったそうです。
※因みに祖父は、後に226事件の発端となった相沢事件の相沢中佐と懇意にしていた所からも(思想の是非はともかく)、弱きを助ける改革を目指す人だったのだと思います。
しかし事件後、日中戦争の最前線に派遣され、昭和12年に戦死しました。

父は工業大学を出て、ある水処理プラントの会社の技術職として働きました。ところが、従業員の過酷な待遇を改善しようと思ったのでしょう。会社と交渉する為に労働組合を創る決意をした父は、働きながら夜間に中央大学の法科に通い、法律を勉強し、労働組合の書記長を務めました。
※因みに父はマルクスに傾倒し、マルクスの著作を全巻読破した様です。

そんな父を会社がうとましく思ったのか、父は東南アジアへの長期出張を命ぜられました。
しかも、後に判った事ですが、出張前の検診で肺に影が写っていた事を会社は父に伏せていたそうです。
※「弱きを助ける改革」を夢見たが、大きな権力に翻弄された祖父と父が重なります。

父は海外出張から帰国した後、肺結核を患い、何とか一命は取り留めたものの、片肺を切除しました。そして、この時の輸血でC型肝炎に罹患しましたが、何と言っても片肺を失った事で心臓に負担がかかり続けた事が父の命を縮めた大きな要因でした。
父の結核療養中に僕が産まれました。ですから僕が1~2歳の時に自宅に帰って来た父を
初めて見た時、僕は怖がって泣いたそうです。
しかも父は家では無口で、余り家族と会話する事がなく、黙々と自分の勉強をしていました。
母は3歩下がってそんな亭主関白の父の世話をしていましたが、よく僕に父の愚痴を言ってました。
そんな父子関係でしたので、成人した後も僕は父が苦手で、鬱陶しく感じる事も多々ありました。

父は定年後、勤めながらコツコツ勉強した甲斐があって翻訳家になり、家で仕事をするようになりました。思えば、この頃から父の表情が和らいだ気がします。
※父は、「会社員の時代は家族の事を考えるのを忘れてた」と言っていました。まあ、あくまでも「自分中心」の人だった訳です(笑)

ところが6年前に母が交通事故に遭って、危篤状態に陥った時から父は変わり始めました。
毎日、朝昼晩母の病院に行き看病し、独り残された自宅では僕の妻が洗濯機や炊飯器の使い方を教えるのを懸命にメモを取りながら聞いていたそうです。
やがて母も退院し、以前は母の歩くペースなんておかまいなしにズンズン先を歩いていた父が、母の手を引いて歩く姿がみられました。
また母は事故→入院によって、多少痴呆の気が出て来て、過去の父への愚痴や苦労話ばかり繰り返す様になり、僕達子供でさえ聞いているのもしんどいのに、ニコニコしながら母の愚痴を聞いてる父の姿が印象的でした。

5年前のそんなある日、僕は恐らく人生で初めて「話がある」と父から呼び出しを受けました。
当時営業会社の管理職だった僕は、会社の売り上げが足りなくて、「このままでは社員を守れんぞ」という経営者の怒声に「僕の保険で不足分をまかなええないか?」と一瞬、死を考えました。まあ、今から振り返れば「異常な精神状態」ですね(笑)。
その仄めかしを妻から聞いた父に「呼び出し」を喰らった訳です。
僕はその時は会社から“洗脳”されていましたので、「目を覚ませ!」という父の言葉も耳に入りませんでした。
でも今から振り返れば、「子を想う父親の気持ち」が痛いほどわかります。

父は特に家族に対しては優しさを決して表に出す人ではありませんでしたが、4月6日に倒れ11日に亡くなる迄、家族が病院に泊まり込み、懸命に徹夜で付き添っていた姿を見て、「これ以上、迷惑を掛けてはいけない」という優しさで、短い入院期間であの世に旅立ったのだと確信しています。
眠っているような本当に安らかな顔でした。
しかも、二男である僕の誕生日、誕生時間に合わせて……。(長男は色々あって告別式には参列しませんでした)

「お父さん、あなたの優しさに気付かずにごめんなさい。あなたの優しさをちゃんとわかりましたよ! あなたの愛情をちゃんと受け取りましたよ! 有難う! 後の事は任せてね!」

父は暫く休んだ後に、きっと新たなる学びの為にもっとも適した場所に生まれ変わって来る事でしょう。その時には、もう少し優しがわかる様に表現しないと誤解されてしまうよ。

不器用なお父さんへ。

それでは今日も良い変化を!

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