お伝えしたいことは「運命は改善できる」ということです。
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06/27
目の見えない人は世界をどう見ているのか/伊藤亜紗(光文社新書)
                                         三澤 豊

 私は、この本を読むまでは、目の見えない人について少し誤解をしておりました。おそらく、身近に視覚障がいの人がいなかったからかも知れません。

 私が目の見えない人と同じ体験をするには、単に目をつぶったり、アイマスクをつけて視覚を遮ればいいと思ってたからです。ところが、著者は「見えないことと、視覚を遮ることは全く違うことだ」と、次のように述べています。

「視覚を遮れば見えない人の体を体験できるというのは大きな誤解です。それは単なる引き算ではありません。見える人が眼をつぶることと、そもそも見えないことはどう違うのか。見える人が眼をつぶるのは、単なる視覚情報の遮断です。つまり引き算。そこで感じられるのは欠如です。
 しかし私がとらえたいのは『見えている状態を基準として、そこから視覚情報を引いた状態』ではありません。視覚抜きで成立している体そのものに“変身”したいのです。そのような条件が生み出す体の特徴、見えてくる世界のあり方、その意味を実感したいのです」

 この本は、視覚障がい者らと長い期間にわたって交流し、日々のさりげないおしゃべりやワークショップを通じて、著者なりに推測した視覚に寄らない「世界の別の顔」の姿をまとめたものです。

 人間が外界から得る情報の8~9割は視覚に由来するといわれています。私たちは、ともすると目でとらえた世界がすべてだと思い込んでしまい、「世界の別の顔」を見逃しているようです。そこで彼は、目の見える人では捉えることが困難な「世界の別の顔」を捉えようとしたのです。

「見えない世界しか知らない人にとっては、逆に目で見た世界が『別の顔』になります。そして世界の別の顔を知ることは、同時に自分の体の別の姿を知ることでもあります。手で『読ん』だり、耳で『眺め』たりと、通常は眼で行なっている仕事を、目以外の器官を使って行なってみるわけです」

 目の見えない人の世界を知ることによって、私たちは彼らから多くのことを学ぶことができます。それについて、著者は次のように述べています。

「私たちは体が持っている可能性のほんの一部しか使っていません。見えない人の体のあり方を知ると、そのことを強く感じます。障がい者とは、健常者が使っているものを使わず、健常者が使っていないものを使っている人です。障がい者の体を知ることで、これまでの身体論よりもむしろ広い、体の潜在的な可能性まで捉えることができるのではないかと考えています」

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コメント

澤谷先生、おはようございます!

私はメニエール病をもっていて右の聴力がほとんどありませんが、そういえば…メニエールが発病してから他の感覚が以前よりアップした気がします(^^)

耳鳴りがザワザワ気になることもありますが、私は今の身体の方が好きです!

気づかせていただき、ありがとうございます(^人^)
森 さゆり [URL] 2015/06/27(土) 09:57 [編集]

「わからない」を前提にすることの大切さ。
三澤さま、こんにちは。はじめまして。
記事を拝見して、とても新鮮な思いが致しました。

目をつぶることは感覚の遮断に過ぎず、それで見えない人の気持ちがわかると思うことは、大きな間違いなのですね。

しかし私たちはいつも自分の立場、感覚、常識で物事を捉え、判断しようとしてしまう。
目の前の方を本当に理解するとは、そのような自分を主体に見るというところから出なければならない。
可能な限り相手の身になり、相手になろうとする努力がなければ、
わかった気になってどんどん間違ってしまうのでしょう。

そして、そこまで努力してもやはりそれは、自分の想像でしかないのだという謙虚さも、失ってはならないのでしょうね。


昔、たいへん衝撃を受けたことがあります。
それは外国での話であり、生まれた時から全盲であった男性が、中年になられてから手術を受けて視力を取り戻されたというものでした。

家族は喜びました。医師も喜びました。当人も喜びました。
当たり前ですね。誰でも感動します。

しかし、その人は、目に見える世界に違和感を感じて苦しむようになり、ついには再び目を閉じて、見えない世界で生きることに戻って行かれるのです。

信じがたい話でした。
こんなことがあるのかと、たいへん驚き、また考えさせられました。

人は見えるのが当たり前だから、この人も、見えるようになるのが良いことなのだと信じて疑わなかった自分は、
傲慢だったと思わされました。

目の見えない方に「かわいそうだ」などとは口が裂けても言いませんが
しかし、その方がお目が見えないことで健常者以上に豊かな世界を生きておられるということを深く思わず
心のどこかで、完全ではない状態の方であると思っていたのでしょう。
反省させられました。


みずから再び見えない状態に戻られたその方と直接お話したわけではありませんので、その方の本当のお気持ちはわかりません。
テレビでも、そこのところは詳しく説明していませんでした。

その方のお気持ちはわからないのですが、しかし少なくとも
自分のその、わからないという感想は、誠実なのだろうと思いました。
たやすく「わかる」と思ったり言ってはいけない。
「すべてをわかることはできない。でも、できる限りわからせていただきたい」
そんな姿勢を、真心を忘れないことが大事なのですね。

この記事を拝見できたことをきっかけに、ますますそのように心がけて参ります。

ありがとうございました。


桜 美穂 [URL] 2015/06/27(土) 10:39 [編集]

森 さゆりさん。

そういわれていましたね。養成講座での学びと家族の原点回帰が大きかったのですね。
澤谷 鑛 [URL] 2015/06/27(土) 14:28 [編集]

そうですね。

本当にそうだと思います(^^)

ありがとうございます(^人^)
森 さゆり [URL] 2015/06/27(土) 14:30 [編集]

今は仕事をしてませんが😅盲人さんの立場に少しでも近付くために、職場で盲人体験の実習がありました。目隠しをして介助者と10分移動する。介助者は無言でと言う条件付き。たった10分が……長い階段が足が出ない音を拾う余裕はない盲人さんの立場には程遠い体験ですが……。声掛け、見守る気持ちの大切さ等少しだけ触れた瞬間でした。此の本も読んでみたいです。本屋さんで探してみます。
村上 正枝 [URL] 2015/06/28(日) 17:13 [編集]

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