お伝えしたいことは「運命は改善できる」ということです。
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06/24
澤谷 鑛 主宰「しあせな人生の実現をサポートする人材育成講座」
                               原田希春(養成講座8期生)

講話から思うこと――
《心と運命》というテーマで、澤谷先生からお話をいただきました。心とは何のなのか。新しい気づきをいただいたのですが、その中でも氷山の根元は「まっさらな自分」「完成されたもの」とつながっているというのがとても印象的でした。
澤谷先生からは、仏教的な思想でアプローチしてくださるので、キリスト教の知識で子供達にものを伝えることが多い私にとっては、とても参考になっています。現在、日本社会には、「なんちゃって仏教」「ごちゃ混ぜ神道」として、行事などの風習だけが行なわれているように思います。しかし、これからは日本も「本当の幸せ」を探し始める社会になるのではないかと思います。そう思うと、これらの学びは、時代の先駆けのようにも思うのです。

先生のお話くださった、「自分がいるだけで、そこに幸せがある」という生き方を、私なりに味わっていたのが、日頃の子供たちとの授業の中でした。少し例を示すと、聖人フランシスコが「平和を求める祈り」というのを作られていますが、この一節には、「主よ、私をあなたの平和の道具としてお使いください」‥(省略)‥「自分を捨てて死に、永遠の命をいただくのですから」というものがあります。ずばり、自分の「わがまま」「自分の思い込み」を捨てれば、永遠の命(本質)を生きられるという宣言であり、また「私」は真実のために働くということを知っているという祈りでもあります。

また、自分の命は何のためにあるのか、私の幸せとは何か、という問いを生徒にしているという点で、分かち合いでお話しさせていただいた《三本の木》という絵本を教材にした授業ですが、授業の最後には、次のような詩で終えています。しかし、一番味わっていたのはこの私だということは、いうまでもありません。

<病者の祈り>
大事をなそうとして……力を与えてほしいと神に求めたのに
慎み深く従順であるようにと、弱さを授かった。

より偉大なことができるようにと健康を求めたのに
よりよきことができるようにと病弱を与えられた

幸せになろうと富を求めたのに、
懸命であるようにと貧困を授かった。

世の人々の賞賛を得ようとして、権力を求めたのに
神の前に跪くようにと……弱さを授かった

人生を享楽しようとあらゆるものを求めたのに
あらゆるものを喜べるようにと命を授かった

求めたものは 何一つ与えられなかったが、
願いはすべて聞き届けられた。
神の意に添わぬ者であるにも関わらず、
心の中の言い表せられない祈りは、全て叶えられた。

私はあらゆる人々の中で、
最も豊かに祝福されたのだ。

この祈りは、クリスチャンにとっては、とても馴染み深い祈りです。第2次世界大戦後のアメリカ、ニューヨークリハビリテーション研究所の壁に書かれた祈り、と言われることが多く、作者は不明です。
ただ、この祈りの本質は、何一つ神は私の願いを実現されなかったが、私に必要なものは全て与えられた、という感謝です。そして、何より、他の誰とも同じではない自分の使命を生きられた喜びがここにはあるように思います。母親が子供に最善を尽くす時、子供の言いたいようには実現しない。ただ、そこには母の愛がある、という私たちが知っているあの「愛」の感覚を呼び覚まします。

世界には数々の宗教がありますが、どれも本質を多角的に見たものであり、どのアプローチでも本質に近づくことができるのではないかと思います。仏教用語に触れることが少なく、澤谷先生がおっしゃる単語をすぐさま頭の中で漢字変換することはできませんが、どれも今後、その深い部分への時間と喜びを感じるであろうと思います。

分かちあいから思うこと――
参加者の皆さんの雰囲気からか、初日の部屋の波動があまり良いものに感じられず、1年間を無事に過ごすことができるのだろうかと不安に思いながらのスタートでした。
分かち合いを進める中で、「切り刻んで来た自分」「嫌いな自分を受け入れよう」というお話があり、その方が表す、今までの苦しみと、今この命を生きられる喜びを感じられているように思いました。
心の問題に向き合い、それをお仕事とされている方。そして、それとは別に自分の使命を社会に還元されている方々との出会いがとても新鮮でした。私が今までいた環境は、困っている状況と判断することで、相手を呼びつける方法であるため、「お客様を大切にする」という意識が十分持てなかったのです。私個人の今後のために、社会の縮図のようなこの講座を十分に味わい、今後の自己の使命に邁進できるように準備をして行きたいと思っています。

その一つとして、杉本さんの話を深く味わうことができました。不登校児の母親としての経験を話されていました。その中で、自己受容(ご本人は、「自己重要感」とお話しされていたようですが)、罪悪感、自分軸という3点を挙げられていました。自己受容の反対が罪悪感。反対語として認識したことはありませんでしたが、自己受容できない裏には、確かに罪悪感や思い込みなどがあります。最近、自己受容という意識を深くする体験として、私自身も「グラウディング」の大切さを実感しています。自分は何とつながっていて、だから安心なのだという体験です。

先生のところには、カウンセリングの手法、執筆などの内容を学びに来ているのですが、やはり元になるものとの「本質とのつながり」が大事なのだと実感した限りです。

医者にホームドクターが必要なように、心のメンテナンスにもお抱えカウンセラーが必要な時代が、日本にも来ることでしょう。そうなる前に、自分には何ができ、何を得意とするのかを明確化し、今後の自己の使命(ミッション)を感じたいと思います。それが、たとえ、カウンセラーでなくても、私の人生を豊かにすることは間違いありません。なぜなら、この出会いこそ、私そのものだからです!

皆様との出会いに感謝しています。今後とも、よろしくお願いいたします。

澤谷 鑛 のカウンセリングは、コチラ…
澤谷 鑛 のセミナー/講演会情報は、コチラ…
コメント

自分の思い、やり方を超えて、初めて見出せるものがある
原田さん、こんにちは。桜です。

長くひとつのお仕事をしてこられたプロの方であるのに
そこでのやり方、考え方に少しも縛られることなく、

むしろ、新しいものに触れて、ご自身の枠を壊して行こうとされるような
前のめりな情熱を感じて、拝見しながらはっとさせられました。

誠実に真摯に学ばれようとされるご姿勢に、
澄んだ川の流れのようなみずみずしさを感じさせられる思いがしました。

〈病者の祈り〉は有名ですね。
改めてこうして拝見してみて
私たちは、自分が本当は何を欲しがっているのかということを
なかなか悟れない存在であるのだなあと感じました。

これさえ手に入れることができれば、しあわせになれる。
これさえあれば成功できると思って求めることは
決して間違いでも悪いことでもありません。

でも、手に入って「思っていたのとは違った」と驚いたり
この祈りのように、手に入らなくて逆に
本当の願いがかなっていると知らされたりしながら
壊れることのない本物を人生の中で探し求めさせられ、見つけ出すように招かれているのでしょう。

かけがえなく貴いあゆみですね。

素晴らしいシェアを、ありがとうございました。
桜 美穂 [URL] 2015/06/24(水) 14:59 [編集]

原田希春さん。

「しあせな人生の実現をサポートする人材育成講座」
での学びが、原田さんにとって、
「これらの学びは、時代の先駆けのようにも思うのです。」
と最初に書かれていることに、嬉しくて涙が流れそうになりました。
教師として子どもたちに接しておられるリアルな実感なのでしょう。
最後にまた、
「元になるものとの「本質とのつながり」が大事なのだと実感した」
と書かれているのも、いい感性を持っておられるな、と思いました。
これからが楽しみです。

澤谷 鑛 [URL] 2015/06/25(木) 11:02 [編集]

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