お伝えしたいことは「運命は改善できる」ということです。
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07/14
空じる ~心のデトックス~
                                        澤谷 鑛

人生は心によって支配されている、といいます。
すると、そんなことはない、という人がいます。「私はバイオリンが弾ける」と心で思っても、少しも弾けない。やはり、練習しなければダメではないか、といいます。
しかし、その練習は心によって行われるのであって、単に身体が自動的に動き出して行われるものではありません。

では、心臓が動くのはどうか? 心が動かしているのではなく、自然に動いているといいます。確かに自然に動くのであって、動けと命令しなくても動きます。しかし、心というものは、何もそのような顕在意識ばかりをいうのではなく、潜在意識も含めて言います。

心には、意識されている心と意識されていない隠れた心があります。身体の生理などは、意識されない心で行われることが多いといいますが、それでも顕在意識がこれにしばしば関与して来ています。例えば、心配なことが何か起こると心臓がドキドキして来ます。これは明らかに顕在意識によって心臓が影響されたと言えます。それは、いつもは潜在意識が命じている心臓の鼓動のテンポが顕在意識によって崩されたといえます。これは心が心臓を支配していることを現わしています。

逆もあります。あまり心臓のドキドキが激しいので心配になったという場合です。身体の異変によって心が乱されるのですが、心と無関係に身体だけが勝手に動くことはないといいます。だから心を明るくやすらかに支配しなければなりません。

ほんとうの自分をみつめた仏教を興した釈迦は、無我を根本的な教理とします。教理は教理なのであって、理にほかなりません。釈迦は六年間の修行の末、菩提樹の下で悟るのですが、そこからの理であり、体感体得の後の悟得としての理が重要なのです。
それは、ひとりひとりみずからが実践して体得することが基本です。

五蘊皆空(ごうんかいくう)という言葉がありますが、五蘊とは色(しき)・受(じゅ)・想(そう)・行(ぎょう)・識(しき)の五つをいいます。色は身体です。受以下の四つは心になります。

釈迦が菩提樹の下で悟られたときの悟りが「照見五蘊皆空 度一切苦厄」で五蘊皆空を照らし見て、一切の苦厄から渡ることができたというものです。自分とか己とか私という自我執着の心から抜けること、無我になることです。唯識の思想から構造的に理解を深めてみたいですね。

五蘊(ごうん)とは、諸存在を構成する物質的・精神的五つの要素のことです。色(しき)・受(じゅ)・想(そう)・行(ぎょう)・識(しき)の総称です。色は物質的存在、受は事物を感受する心の働き、想は事物を思い描く心の働き、行は心の意志的働き、識は識別・判断する心の働き、といいます。

五蘊皆空といって仏教では、実体・本質のないことをいいます。それは、すべての事物はみな因縁によってできた仮の姿で、永久不変の実体や自我などはないということにつながっていきます。

養成講座生で今年度入ってこられた方が、唯識の思想に私が言及したとき、「バームクーヘンをイメージすると分かりいいですね」といわれ、“なるほど”と思いました。バームクーヘンの表面は、一識から五識です。それは感覚であり、眼・耳・鼻・舌・身の五つの感覚です。いわゆる五感です。それを眼(げん)識・耳(に)識・鼻(び)識・舌(ぜつ)識・身(しん)識といいます。

五蘊皆空とは、実態・本質のないことをいい、それはすべての事物はみな因縁によってできた仮の姿で、永遠普遍の実体や自我などはないということにつながっていきます。それが空ということになりますが、原語はゼロを意味するシューヤンの漢訳が空だといいます。ゼロはなにもない無の状態でしょうか? ゼロというだけで本が書けるといわれています。また、1や-1は、どうなるのでしょうか?
空というと無でニヒリスティクに考えることがあります。空とは決して理論ではありません。こんな文章を読みました。

『幽霊というのはほんとうはないのにあると怖がっていた人の心の中から幽霊という映像が払拭されてなくなったとき、その人の心は幽霊としては空である、というのです。いま「払拭されてなくなったと」と言いましたが、もっと具体的にいえば、なんらかの実践を通して、幽霊は存在しないという智慧を獲得したのです。つまり、「空」というのは決して論理ではなく、空と観る「空観(くうかん)」ですから、そこには空じる力が必要になります』

ここに唯識思想のすべての相を否定し、除去したときにも、心の中に否定できない残れるほんものを体験に基づいて知るということでしょう。
真如ということに言及しなければならなくなりました。心の中を空にした極限に真如があらわれてくると言いますが、体験していない人には勿論わかりませんから、冷暖自知ということになるのですが、八識(阿頼耶識・あらやしき)を超えた九識・十識に踏み込むことになるのでしょう。

『「空」というのは決して論理ではなく、空と観る「空観(くうかん)」ですから、そこには空じる力が必要になります』

 識とは心ですから、唯識とは唯心ということで唯(た)だ心しか存在しないという唯心論の立場をとります。ただヨーロッパの唯心論は、現象世界を構成するのは心と心の中ににある観念だけであり、その主張は現象世界の背後に観念を与える神が実在するというものです。

 また、精神分析学を確立したフロイトは、意識・無意識を空間的なものとして捉えていますが、唯識の識は空間的な大きさを持つものではなく、識があるのではなく識(し)るという作用があるだけです。

 唯識では、すべての相(そう)を否定し、除去したときにも、心の中に残れるものがあることを知ることになります。唯識の思想の体験に基づいた言葉なのですが、八識を超えた九識・十識に出会います。心の中を空じ切った極限に顕現してくると言います。冷暖自知するしかありませんし、体験しない人にはわかりませんが、そのためには、空じるという本格的な心のデトックスが必要になります。

 五識(眼識ゲンシキ・耳識ニシキ・鼻識ビシキ・舌識ゼツシキ・身識シンシキ)と共に働いて感覚を明瞭にし、その作用を鮮明にする六識(意識イシキ)の働きは、言葉を用いて思考するというものです。言葉で考えることは間違いも生じますが、言葉はその言葉の間違いを正す最初の働きもします。勿論、間違いを正すのは、正しい言葉でなくてはなりません。

「肉体の動きに則って観念の動きを修正するがいい、前者の動きは後者の動きよりも遥かに微妙で深遠だから」という小林秀雄の言葉があります。五識の感覚を研ぎ澄まし、それらを鮮明にする六識こそ言葉を用いるものです。みずから真理や真如を悟った聖者や哲人の残した言葉から多くのことを学べます。残した言葉からその心にふれることができます。例えば、釈迦やキリストや哲人の表現や言葉は違いますが、そこには心理や真如に裏らづけられた言葉があり、それは人生の道標となります。

 唯識思想は、そのような言葉に語る人に出会うことが必要といいます。四つの段階を強調しています。①正しい師に出会う ②師の教えを正しく聞く ③聞いたこと理に則して思考する ④真理・真如に至る というものです。

「自性清浄心(じしょうしょうじょうしん)・客塵煩悩(きゃくじんぼんのう)」という言葉があります。煩悩は塵や埃のようなもの、心はもともと清らかなもの、ということです。煩悩を吹き払いもとの清浄な心に戻ろうとします。清らかな澄んだ心になると「自他不二(じたふに)」ほんとうの自分とは、自分と他人、自分と自然という対立のないものだと知ると言います。

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コメント

澤谷先生、おはようございます(^-^)/

自分の心にも、色んな心があるように
他人の心にも、色々 あるのだから
合わないのは、当たり前だと思うと、少し楽になるかも知れませんね(^-^)
人との出会いで 自分の人生が変わるので、一つ一つの出会いを大切にしたいと思います。

私は、お釈迦さんが大好きなんですが、六年間の修行で悟りを開いたんですね。体感体得とは、経験するという事ですか?
齋藤 里子 [URL] 2015/07/14(火) 09:48 [編集]

齋藤 里子さん。

親の因果は子に報いない、ですからね。親子でもそれぞれの業が違います。ましてや他人となると業が違えば、まったく心の合わない場合もあるのでしょう。

釈迦が六年間の修行で悟りを開いた、といわれていますが、人生での求道を通して体感・体得されたのでしょう。それにとどまらず、悟得されたことが重大です。
澤谷 鑛 [URL] 2015/07/14(火) 09:50 [編集]

澤谷先生、ホントにそうですね(^-^)
それぞれに、業が違います。それが人生なんでしょうね。

若い頃、人の心の扉は 親身になれば扉を開いてくれると思い、頑張ってみましたが、結局、メニエールや心身症になってしまいました。人の心は、どんなにやったって通じない事を学びました。

でも、何かのキッカケで ご縁が繋がったりします。

死ぬまで修行だと思います。
齋藤 里子 [URL] 2015/07/14(火) 10:28 [編集]

齋藤 里子さん。

人の心というのは、どうも単純ではなく、とりわけ潜在意識の作用というのは、潜水艦のように沈んでいて、どこにいるのか意識できない意識をいうわけですから、面倒です。

しかし、心がこの現実を作り出し、人生を決めるというのですから、おもしろいですね。

心を熟知しなければなりません。

人生学校ともいわれ、人生は学びの連続、修行の連続なのでしょう。
澤谷 鑛 [URL] 2015/07/14(火) 10:37 [編集]

澤谷先生、潜在意識が潜水艦という例えが、そうだな~と思いました。

潜在意識って、いつ目覚めるんでしょうね。

私は、心を磨くために今世 頑張っています。これからも、ご指導下さいね(^-^)/

いつも ありがとうございます。感謝
齋藤 里子 [URL] 2015/07/14(火) 10:44 [編集]

齋藤 里子さん。

潜在意識は、いつ目覚めるのか? おもしろい発想ですね。

しかし、潜在意識は潜んでいるだけで眠ってはいません。私たちがリアルに眠っているときも、活動しています。潜在意識、すなわち潜んでいる意識すら、現実にあらわれますから、私たちは体験しているのですね。

潜在意識がめざめるのではなく、私たちの心がめざめなければなりません。
澤谷 鑛 [URL] 2015/07/14(火) 10:52 [編集]

想っている事を実現させると言うことですか?
齋藤 里子 [URL] 2015/07/14(火) 11:24 [編集]

齋藤 里子さん。

というか、心で想っていることは、顕在意識にしろ顕在意識にしろ、実現するのですね。そのことが自覚できたり、意識できれば、想っていることを実現させるということになるのでしょう。

ここらあたりは、養成講座で学ぶとよくわかるのですが。
澤谷 鑛 [URL] 2015/07/14(火) 11:25 [編集]

願いは現実になるということなんですね(^-^)/
齋藤 里子 [URL] 2015/07/14(火) 11:37 [編集]

齋藤 里子さん。

その通りですね。
澤谷 鑛 [URL] 2015/07/14(火) 11:38 [編集]

\(^o^)/\(^o^)/\(^o^)/
齋藤 里子 [URL] 2015/07/14(火) 11:43 [編集]

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