お伝えしたいことは「運命は改善できる」ということです。
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08/19
パッション
                           乕澤美香(養成講座8期生)

ジーザスという言葉をなぜか頻繁に目にするようになり、こんな記事も直前に書いたりしました。http://ameblo.jp/mazecco/entry-12056103200.html

ヨハネパウロ2世が、あらかじめ視聴し「it is as it was」(すべて真実)とコメントしたと一時(ひととき)発表された映画「パッション」をみた。

キリストが処刑されるまでの12時間を描いたメルギブソンが製作した、一時話題になった映画です。
しかし、この時、ありえないことが。
ツタヤで借りてきたDVDのパッションをかけて、パッションをかけて、時間が何分たっても紀元前700年ではなく、そこには、スマホをいじっている21世紀の女性がずっと登場し続けているのです。

よく、映画やドラマの構成で現代のシーンから昔のシーンにつながるというストーリーであるという私の「思い込み」で、1時間近くも私はその現代の映画を見続けていました(笑)。

その映画は、なんとなんと、ツタヤの店員さんが間違えてテレコに収納してしまっていたもう一つの「パッション」だったのです。

私は、違うパッションをずっと観ていたのでした!
「お母さん、これもみなさこれもみなさいってことなんじゃないの?」
という娘の言葉に、この観る予定でなかったもう一つのパッションをじっくり見ました(笑)。

しかし、これがなんともタイムリーなメッセージを含んでいました。
現在、パワハラ一歩手前のちょっぴり感情的な上司に苦しむ私でした。
この現代のパッションに出てくるのは、上司との猛烈なビジネスや恋愛の攻防。
裏切り、嘘、策略。才能や成果の横取りなどなど。
そんな中で、誰もが裁きたくなるこれはひどい、という上司を主人公自身が完全犯罪で裁くのでした。

しかし、そこからが地獄。その完全犯罪はすべてビデオに撮られていて、また、それを握っている新たな敵となったある部下との泥沼劇に追いやられていく主人公。
ここでうっすらと感じていたのは、たとえ目の前のその行為が許されないと感じたとしても、それを、自らの自我で裁くことは決してできないのではないかということ。
同等のものが裁くということは、それは復讐というもので、エネルギーの法則からしても、決して「可能」なものではなく、必ずどこかから返ってきてしまうということ。

本当に訳がわからなくなる。
迷宮に迷い込んでしまう。

それはおそらく、極端な言い方をすれば、この世界は、畢竟己を語る「人は、つまるところ自分自身を語っている」という世界だからなのです。
そこに映るのは自分自身。
自分の姿が気に入らないからといって鏡を粉砕すると、粉々に割れてなにがなにやらわからなくなることと似ています。その粉は、自分に降りかかってきたりする。

そして、その後にようやく私が見たかった私の中での(笑)本ものの「パッション」の中で、イエスが叫ぶ「この人たちは何も知らないのです」と、自分を鞭打つ人たちの赦しをも天にこうシーンが、さらにさらに私の心に深く突き刺さることになるのですが。

パッション違い、のおかげで、私はほんもののパッションを無料で見ることができました(笑)。

パッションとは、ここでは「情熱」という意味ではなく「受難」という意味なのだそうです。

イエスキリストは、大工さんでした。
お母様のマリアとの朗らかな生活もシーンの中に出てきます。
救世主として生まれた彼は、人間としての生活や感情も持ちながら、その時、33歳の逆らえない大いなる流れの中にいました。
これは、様々な諸説があるようですが、その日の様子は、そのさらに昔の書に詳細まで違うことなく示されていたそうです。

ここで一つ、やるせないような思いと疑問が出てきます。
私たちのすべては決まっているのか? ということ。
大いなる流れは、そのように一つも違うことなくある次元に刻まれていて、私たちのすべては、その次元を超えることはできない。

喜びや感想や様々な人生のドラマさえも、何かが描いたプランであるかもしれないという思いです。

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コメント

高き理想を
乕澤さんの娘さんの言葉と、乕澤さんのやり取りをいつも痛快だなと思ってみさせていただいてます。

ふと思うことは。このお母さんと娘さんが、
ぴったり同じ人格の中に共存したら。



いったいどんな姿になるんだろうな。




ということ。




大人というのは。人の気持ち。
場の状況。何をいうと都合が悪いかを知っていて。
理性でそれを制御します。


きっと。乕澤さんにとって。
澤谷先生がその理想に近い存在なのかなと。



感じました。



パッション(本物のほう)は。
映画館で観ました。



号泣して帰りました。
もう二十年?十五年?忘れましたが。。



スマホをいじる完全犯罪の子の方は。
おそらくいま。私が観ないといけないパッションなのかもしれません。


けれど今は。過去に悪業の限りを尽くした自分というものも。若き日の懐かしい思い出。


我が身で悪業を尽くし身体で体得した真理は。
なにものにも代えがたい経験であったなと。


今は思います。



精神世界に私は。一種の違和感を持つ人間。
実生活では。上司のパワハラは日常的に当たり前にあることであり。二十代、随分それに苦しめられましたが。


自分がお局(にはなれなかったけれど。)
潜在的お局に。若い子に対してなってしまった今の年代では。ただ。パワハラする人(この捉え方そのものがその人をそうする)には。そうする理由があり。


その理由をわかり。善いも悪いもなく。
ああ、なんか自分も同じだわと思えると。
案外、仲良くなったりする気がしてます。


ここでは。私がモラハラパワハラの当事者になってしまいましたが(笑)



そろそろ。大人になる頃だと思います。



乕澤さんは。あるべき理想が高いんだと思います。以前はわりとそういう理想を生きようとする人は嫌いでしたが。


自分も少し。世俗に馴染み過ぎたのかなと。
理想をもっと高く持ってもいいんじゃないかな?


そういうことを。乕澤さんの記事を拝見しながら。
自分に対して思いました。



ありがとうございます。
















森のくまさん [URL] 2015/08/19(水) 06:44 [編集]

受難
パッションは情熱ではなく、受難という意味を持つのですね。


初めて知りました。ありがとうございます。



両方のパッションを拝見させていただき。
こんな自分もイエスさまに生かされ赦されてあるいまと。ただ有り難く。ただ有り難く思います。



人間本来清浄。悪業悪因縁なし。



この真理を悟得したいものです。
ありがとうございます。



森のくまさん [URL] 2015/08/19(水) 06:52 [編集]

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