お伝えしたいことは「運命は改善できる」ということです。
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09/02
心のデトックスの裏づけ(後編)
                                         澤谷 鑛

 その戦後70年のTV番組は、沖縄の少年兵のことでした。
 生き残った少年兵の証言で、
「上官から10人殺したら死んでもよい。皆が10人殺せば日本は勝てる」
 とか、
「友人が隣で死ぬことも、人を殺すことも、なにも感じなくなった」
 といっています。この実話は、TVのアニメにもなったそうです。無意識の幽霊が現実化します。
 そんな中にいると精神が異常になるでしょう。精神のバランスを崩してしまいます。
 生き残った少年兵は、どんな気持ちで戦後70年を生きてきたのでしょう。

「誰とも打ち解けられない」
 といった彼女の息子さんのことが思い浮かびました。

 本人の業(カルマ・因果応報の法則)は、よく「親の因果が子に報い」といいますが、そんなことはありません。
 親の因果は親の因果で、子の因果は子の因果です。それぞれに因果を展開させ、親の因果が子に報いることなどありません。
 しかし、親子の波動はやはり似た波動です。産婦人科医の池川 明先生の論、「子どもは親を選んで生まれてくる」というのは、因果の問題でなく、波動の問題をあらわしています。波動も因果も親子で似ていますが、似て非なるものです。

 もう一度、罪の問題に戻ります。罪は本来ないのに、なぜ私たちに罪の意識が起こるのか? 本来無罪だからこそ罪の感じが起こるのです。まっさらさらを知っているからこそ濁りがわかるようなものです。
 罪を罰するということが大事なのですが、懺悔ということを考えなければなりません。
 懺悔というのは、悪かった。申し訳なかった。すまなかった。と罪を見つめての意識ではありません。懺悔とは、罪の意識(罪悪感)をデトックスし、ほんものと出会う「光を聴き 風を観る」感覚が大事になります。

『観普賢菩薩行法経(かんふげんぼさつぎょうほうきょう)』に「一切の業障(ごうしょう・成仏することを妨げる,身・口・意によって行う悪い行為。過去において行なった悪い行為によって生じた障害。)海(かい)は皆妄想(まよい)より生ず。若し懺悔せんと欲せば、端坐(たんざ・姿勢を正して座ること。正座。)して実相(じっそう・ありのままの真実のすがたのこと。)を念(おも)え。衆罪(しゅうざい)は霜露(そうろ・しもとつゆ。つゆじも。はかないもののたとえにいう。)の如し、慧日(えにち・仏の智慧が煩悩や罪障を除くことを、太陽にたとえていう語。)能(よ)く消除(しょうじょ)す」

 ここにきてデトックスが完了します。

澤谷 鑛 のカウンセリングは、コチラ…
澤谷 鑛 のセミナー/講演会情報は、コチラ…
コメント

澤谷先生へ

澤谷先生、こんにちは。
前編・後編と拝読させていただきました。

カウンセリングのお話。
沖縄の少年兵の話。
池川先生のお話。
息子さんの心の叫び。
お母さんの身体の症状…

いろいろなお話が書かれている中で私が一番に感じた事は…

息子さんはお母さんそのもののような気がしてならないのです。
適切な表現ではないかもしれませんが…
息子さんは自分を使ってお母さん自身を表してくれている。
息子さんだけではなく、娘さんも。
だから息子さんだけではなく、お母さん本人も沖縄の少年兵なのではないかと思いました。
思い込もうとしてもきちんと低血糖という症状で身体が訴えて教えてくれたのですね。

「妻や母親の役割など、大したことではない」
この発言は衝撃的でしたが、本心でないにしても潜在的に片隅にあったか?、又は自分のお母様に言われた事があるのか?お母様に対してそう思われているのか?わかりませんが…
お母様に対して相当な思いをあらわした一言のように感じました。

私が母親を最近までそのように思っていたから、このように感じるのでしょうか…?
きっとお母さんがきちんと向き合って昇華できたとき、息子さんも娘さんも新しい世界と出愛えるのかもしれませんね。

不適切な表現がありましたらお詫び申し上げます。

ありがとうございました(^人^)
はちみつ [URL] 2015/09/02(水) 12:05 [編集]

心のデトックスの裏づけ
澤谷先生
前編、後編を読みました。
結論から先に述べます。
私には先生が何を伝えたいのかが全く分かりません。
2つの文章の共通点は「彼女」と「彼女の息子」、「少年兵」の「精神のバランスを崩した話」ですか?

「懺悔とは罪の意識(罪悪感)をデトックスし、ほんものに出会う「光を聴き、風を観る」感覚が大事になります。」
理解不能です。
前述した「懺悔とは罪を見つめての意識」で良いじゃないですか。

「観普賢・・]から14行と纏めの
「ここに来てデトックスが完了します」の文章は難解です。万人が聴いて、読んで、ある程度理解出来なければ、養成講座の意味が無いと思うのは私だけでしょうか?


マサ [URL] 2015/09/02(水) 12:55 [編集]

はちみつさん。

最終的に自分の心を読む、ということは、よくわかっておられますね。だから、ここでは、お母さんなのですが、その心がわかるのも、はちみつさんの心にはちみつさんのお母さんのことがあるからなのでしょう。
「妻や母親の役割など、大したことではない」
という発言の分析も確かです。
「きっとお母さんがきちんと向き合って昇華できたとき、息子さんも娘さんも新しい世界と出愛えるのかもしれませんね。」
というのは、正鵠を得ています。
澤谷 鑛 [URL] 2015/09/02(水) 14:06 [編集]

マサさん。

最初の五行に関しては、はちみつさんがよくわかっておられるように思います。はちみつさんのコメントを読んでみてください。

懺悔に関しては、ほんものの世界からの懺悔とこの相対的な現実世界を渡る人生における懺悔とでは、意味するものが違ってきます。
本来、ない罪を消す(罪を罰する)ということも、むつかしい課題ですし、本来、ない罪だから、太陽が照れば霜露は自然に消えるということも、思考の世界ではなく、思惟(しゆい)の世界でのアプローチになりますから、むつかしい課題ですね。
「光を聴き、風を観る」感覚が大事になるわけですが、マサさんのように理解不能に陥る人はたくさんいます。そこらあたりをいかに表現するか、もっと学びを深めたいと思います。
澤谷 鑛 [URL] 2015/09/02(水) 14:23 [編集]

悪かった。申し訳なかった。すまなかった。と罪を見つめての懺悔は自分を逆に罪に縛り付け、自分自身を罪悪感で縛り付けます。相手を信じずに、相手をも罪に縛り付けながら、自己満足で自分を罰する姿勢です。そこからは何も生まれず、誰もしあわせになりません。罪を見つめ続けることで罪をますます作り続け、作った罪に苦しみ続ける。それは終わりのない循環になってしまいます。

昔、自分が罪悪感の縛りの中にいたときには、そのように終わりなく自分を責め、傷つけることが自分にふさわしいことだと信じていて、疑いませんでした。
七年前に養成講座に来て、それは間違いなのだと知るようになっても、何十年も続けてきた癖はすぐには治らず、自覚しないうちに、同じサイクルを回ってしまっていたのだと思います。

罪を罰して人を罰さず、のお話は難解でしたが、今は、少しはわかります。大切なのは、悪かった、申し訳なかった、すまなかったと罪を見つめて、自分のしたことにしっかり向き合いながら、すべてを光にさらして消していくこと。罪を見つめるところまでは同じであり、そこを省くことはできませんが、その後が異なるのですね。罪を素通りして光に向かうのではなく、罪を通り抜けて光に向かうと言えるかもしれません。

現実化している現状を見れば、その元にどんな幽霊があったのかがわかる。それが幽霊だと分かることが大切で、幽霊だとわかれば、いたずらに怖がることもなくなるのでしょう。怖がることで怖さや、怖がらなければならない状況を作り出しては、恐怖におびえるという循環を終わらせることができるのだと感じます。

後編を拝見しながら、「土砂降りの時にも雲の上はいつでも晴天」だとか、「雨だと思って障子を開けてみたら、セミの鳴き声だった」とか、そんな言葉が思い出されます。前編にコメントさせていただいた中で、ほんものに向き合えないのは、恐れがあるからだと感じると書きましたが、怖い怖いと思いながら、実は無いものを怖がっていたのではないか。

いつだって、太陽はそこに輝いていたのではないのか。そちらに背を向けていたのは自分であって、自分が背を向けていたのなら、くるりと太陽に向き直るのもまた自分。今すぐにできることなのだと。

続けて学ばせていただきます。
素晴らしい機会を、ありがとうございます。
桜 美穂 [URL] 2015/09/02(水) 15:27 [編集]

桜 美穂さん。

罪を罰することが出来るのは、もともと罪はないから消えるのですが、罰するというのは、意識的になくす(デトックスする)という意味があります。
だから、悪かった。申し訳なかった。すまなかった。という罪の意識の表明ではなく、ほんとうの意味での懺悔、罪を罰して、罪をデトックスし、心の浄化をし、ほんものと出会うということになります。
心のデトックスって簡単ではないのですね。
澤谷 鑛 [URL] 2015/09/02(水) 19:49 [編集]

主題とは外れますが、冒頭の沖縄の番組、私もみていましたが、
どれだけ罪悪感を抱えて70年も生きて来られたかと思うと、涙せずにはいられませんでした。

70年の節目だからか、今回の戦争の番組、特に沖縄については感じる部分が大きかったです。

私自身が色んな観念や感情をかなり手放し(もちろんゼロではありませんが)、そうでない方に対してへの感受性が強くなったからかもしれませんけれど。

罪悪感や~してはいけない、という自分の縛りを外すと、ほんとうに自由になっていきますね。
つい最近も、表現することに対する縛りが外れたようで、更に自由さを感じています。
福山 裕実子 [URL] 2015/09/03(木) 07:17 [編集]

福山 裕実子さん。

そうなんですね。罪悪感はおそらく顕在意識だけでなく、潜在意識すなわち意識されない意識にもあるでしょうからね。

人生を自分らしく自由に楽しく、のびのびと、いきいきと、生きたいものですね。
澤谷 鑛 [URL] 2015/09/03(木) 08:32 [編集]

イメージが湧いてきました。
澤谷先生、ご指導ありがとうございます。

最初、コメントにいただいたコメントを拝見したときは、ますますわからないと思いましたが、1日経ったらふとイメージが浮かびました。

自分がしてしまったことを抱いて、罪悪感も抱いて、太陽に背を向けて暗闇の中にいるところから、

自分がしてしまったことを持ったまま太陽に向き直り、握りしめていた手を開いて、してしまったことも罪悪感も共に日の光にあてて、それが太陽にさらされて消えていくに任せる。

自分がしてしまったことをひとつひとつ、思い出すごとにそれを繰り返しているイメージです。

イメージの中の自分はたんたんとそれを行い、「良い」という判断も嬉しさも、「悪い」「間違っている」といった判断も悲痛な感情もまったく感じていませんでした。

自分の中の明暗を、自然には昼もあれば夜もあるのだと自然なものと見て、それを行っていました。

おっしゃっていることに、近づいているでしょうか。


桜 美穂 [URL] 2015/09/03(木) 15:40 [編集]

桜 美穂さん。

コメントがますますわからないと思われたのは、思考による追究だからなのでしょう。思惟(しゆい)による出会いが大切なのでしょう。
「自分がしてしまったことを持ったまま太陽に向き直り、握りしめていた手を開いて、してしまったことも罪悪感も共に日の光にあてて、それが太陽にさらされて消えていくに任せる。」
ということを体験的に語ることが出来れば、よいと思うのですが……。
澤谷 鑛 [URL] 2015/09/03(木) 15:57 [編集]

澤谷先生、おっしゃるとおりです。

そうして、思考では完全に行き詰まってどうしようもない膠着状態をも、思惟はやすやすと突破することをまた改めて知りました。

散歩したのが、良かったのだと思います。
 
体験的に語ることを、やってみます。
ありがとうございました。
桜 美穂 [URL] 2015/09/03(木) 17:21 [編集]

桜 美穂さん。

体験的に語るということは、思考を超えた思惟(しゆい)の世界を垣間見られますよね。
澤谷 鑛 [URL] 2015/09/04(金) 10:33 [編集]

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