お伝えしたいことは「運命は改善できる」ということです。
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09/23
続・葛藤
                                澤谷 鑛

【UZONE】
深い世界で、ちょっとボクには難しいです。

【ウルトラの父】
昔を思い出します。
thank you!(参究)
先生らしくて素晴らしいです!!

【あんあん】
深い世界ですね……今まさに私は心の葛藤中ですが。
どうにかこんな気持ちにならぬよう……よい意識に向けているはずなんですが……

【フーデイア】
先生のお言葉は有り難く本当に深みがあります。
今まで中庸しか知りませんでした。ありがとうございます。

 私は、mixi(ミクシィ)もやっています。ブログにアップした「葛藤」を同じ日にmixiにもアップしました。そのコメントです。

【UZONE】さんのコメントは、ある意味で象徴的です。
【UZONE】さんは、「深い」世界を感じたのです。ということは、「深い」世界が分かるから「深い」世界と書いた、ということですね。しかし、「難しい」と言います。と言うことは、「深い」世界が分かるのに「難しい」ということですが、どういうことなのでしょうか? ここに「思惟(しゆい)」の世界と「思考」の世界との相違点が見いだせるように思えます。

経験や知識をもとにあれこれと頭を働かせる「思考」の方法では、「難しい」ということです。しかし、浄土の荘厳(しょうごん)を明らかに見る「思惟(しゆい)」の方法では、「深い」と感じているのです。
【UZONE】さんのみならず、【あんあん】さんも、【フーデイア】さんも感じていることです。
【ウルトラの父】さんも勿論感じていることなのですが、心のデトックスで中学生の時代に小児喘息を克服した体験を持っている人ですから、感得・体得というよりも悟得していると言っていいでしょう。
「思考」の世界には「論理」がついて回りますが、「思惟」の世界には「情緒」が軸となっているように思います。

 文学を好んでいた私には、数学はきっちりと答は出るが、その答は抽象的で具体性がなく、表現としては大変面白味のないものになるように思えました。過去を顧みて「数学は好きだがテストの点数は充分に取れない」と思っていたことと関係があるのかも知れない、などとも思ったものです。
 数学や物理は法則によって成り立っているが、その法則性というものを考えると面白いことに気づくことがあります。これは学生時代に考えたことです。

 1+1=2

 は、抽象概念上の真理であり、抽象的であるがゆえに具体性はなく、表現としては真理ではあっても真実とはほどとおいといわなければなりません。
 具体的にこの数式を書き直してみると、

 一個の林檎と一個の蜜柑は、ひとつの林檎とひとつの蜜柑

 となります。真「理」と真「実」の違いが明確に分かります。
 すなわち、「1」は抽象概念であり、その具体的なものは「一個の林檎」であり「一個の蜜柑」といえます。それも、「一個」が囓ってあったり、大きかったり、小さかったりするものを一括して抽象概念で括ることになります。
 真理や理論や論理の「理」だけを操作すると、抽象的な世界の展開をみることが出来ますが、真実や事実の「実」の世界とはほどとおくなると思われます。

 では、ひっくり返してみるとどうなるか?

 2=1+1

 は、正しいけれども正しくありません。なぜなら、例えば、
 2=0.5+1.5
 だけでなく、無限の数式が成り立つからです。
 0.7+1.3 も 2 です。
 それは、無限の真実や事実の「実」の世界の展開を暗示しています。

ある書物(『国家の品格』新潮新書)に数学者の藤原正彦さん(お茶の水女子大学理学部教授)が、こんなことを書いていました。

【十年ほど前に、スタンフォード大学の教授が私の家に遊びに来ました。秋だったのですが、夕方ご飯をたべていると、網戸の向こうから虫の音が聞こえてきました。その時この教授は、「あのノイズは何だ」といいました。スタンフォードの教授にとっては虫の音はノイズ、つまり雑音であったのです。
 その言葉を聞いた時、私は信州の田舎に住んでいたおばあちゃんが、秋になって虫の音が聞こえ、枯葉が舞い散り始めると、「ああ、もう秋だねえ」と言って、目に涙を浮かべていたのを思い出しました。】(つづく)

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コメント

葛(あなた)と藤(わたし)を支えるベース
葛(あなた)と藤(わたし)は。同じ事象に対して違う意味付けをして、違う景色をみている。

1+1=2 の捉え方では。自分の思考から相手を判断するという世界になり。また、相手の思考から自分を判断されるという世界で共感がないように思います。

すれ違う関係性の中にあっても。

自分がなぜそうなるのか。
相手がなぜそうなるのか。

自分が何をみているのか。
相手が何をみているのか。

そういう共感の気持ちでみていくと。
自分は自分でいい。相手は相手でいい。

自分の不完全の奥に完全があり。
相手の不完全の奥に完全があり。
今このままで調和している。

そういう安心感や信頼感をベースにできるようになる。今度はそこから。藤(わたし)を外して葛(あなた)の枠組みに寄り添いながらコメントを書けるといいということになるのだろうと思いました。
葛(あなた)と藤(わたし) [URL] 2015/09/23(水) 06:47 [編集]

葛(あなた)と藤(わたし)さん。

なかなかお考えが深化されていますね。その通りだと思います。
十人十色ですからね。だから、「自分は自分でいい」「相手は相手でいい」わけです。それぞれに人生の学校で学びを深め、それぞれの螺旋階段を昇っているのでしょう。まっさらさらのいのちを展開させながら、そのコインの裏では、デトックスしているのでしょう。
自分と相手の「不完全」の奥に「完全」があ、そこに調和があるという視点と視座は、すばらしいと思います。
澤谷 鑛 [URL] 2015/09/23(水) 08:29 [編集]

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