お伝えしたいことは「運命は改善できる」ということです。
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09/24
続々・葛藤
                                    澤谷 鑛

「ところで、達磨(だるま)が門人四人と問答した具体的な話をご存じの方は、教えてほしいものだ」

 これは、ブログのコメントに書かれた三崎謙治さんのものです。この問いにお応えしなければ、と思って前置きが長くなってしまいました。

 達磨大師が門人たちに言った。
「法を伝える時が将に来た。悟り得たことを言ってみよ」
 すると道副(どうふ)がこう言った。
「私の今の所見は、文字に囚われず、しかも文字から離れず、時に応じて、それを活用して生きることです」
「汝(なんじ)は吾が皮を得た」

 尼総持(にそうじ)は次にこう言った。
「私の今の所解は、阿難(あなん)尊者が阿シュク如来の国土を一見して、さらに二度と見ようとなさらなかった心境です」
「汝は吾が肉を得た」

 道育(どういく)は続いてこう言った。
「地水火風などの現実は空(くう)であり、色受想行識(しきじゅそうぎょうしき)の五蘊(ごうん)は本来ありません。従って私の見處は、現実は空ということです」
「汝は吾が骨を得た」

 最後に慧可(えか)は、達磨の前で参拝して、また自分の席に帰り、無言のままで立った。すると達磨はこう言った。
「汝は吾が髄を得た」

 その後、達磨は慧可に法を伝え、袈裟(けさ)を授けました。

 さて、ここで参学してみよう。というわけです。
 達磨大師が「汝は吾が皮肉骨髄(ひにくこつずい)を得たり」とは、釈迦牟尼如来(しゃかむににょらい)の言葉です。門人四人の得度しえたのは、心身を超越した「皮肉骨髄」だと言えます。脱落心身(とつらくしんじん=悟りそれ自体)という「皮肉骨髄」です。知識や独断で判断してはなりません。だが仏法を心得ない者には、師は弟子の悟りがそれぞれに違うから、皮肉骨髄と違って評価をするのだと考えます。皮肉は骨髄よりも浅いから深い慧可が髄を得たのだと言います。このように言うのは、まだ仏祖の道を知らず正しい教えを伝えられていない者であるのです。

 知るべきです。師の言われた皮肉骨髄は深い浅いの問題ではありません。これらの人の見解に優劣があるにしても、師は「吾を得たり」つまり「その通り」ということなのです。
 例えば、釈迦が蓮華(れんげ)の花をひねって大衆に示したときも、迦葉(かしょう)のみに衣鉢(いはつ)を伝えられた。しかし釈迦は集まったすべての人に等しく教えたのです。説法は初めからひとつです。それに対する答えは必ずしも一つではなく、四人ならば四通りの答えを出すだろう。それでよいのであって、師の教えは一つであり、その一つが色々に別れて表現されるのです。これで終わりということはありません。

 知るべきです。達磨が慧可に言うときも、「汝は吾が皮を得た」と言うことができます。それでも達磨は慧可に法を伝えるはずです。それは「皮を得た」とか「髄を得た」とかの優劣の問題ではないからです。また道副・道育・尼総持などのために答えるときにも、「汝は吾が髄を得た」と言ってもよいのです。髄だけが本物で皮は偽物ということはないと知らなければなりません。「得たり」という言葉の意味を深く参究しなければなりません。

 師と弟子が一体となるのが「得たり」です。何が一体となるのか。師と弟子の心がぴったりと一つです。この有様が仏祖の「葛藤」であり、この「葛藤」が「皮肉骨髄」です。釈迦が蓮華の花をひねって目をしばたたかれました。これが「葛藤」なのです。迦葉が破顔微笑(はがんみしょう)しました。これが「皮肉骨髄」なのです。

 さらにまた参究することです。葛藤の種、すなわち脱體(とつたい・本物=実=真)の中には、現実の殻を打ち破るすばらしい力があるのです。そこで「葛藤」をめぐって煩悩(ぼんのう)が絡み合い枝葉華果(しようけか)が入り乱れ、お互いに絡み合い纏わりあっているのですが、やがてその中から仏祖が現成(げんじょう)するのです。これが「公案現成(こうあんげんじょう)」することなのです。

「葛藤の巻」は、さらなる参究がまだまだ続いています。(了)

澤谷 鑛 のカウンセリングは、コチラ…
澤谷 鑛 のセミナー/講演会情報は、コチラ…
コメント

実践できる人、出来ない人
澤谷先生のお話は難しくて頭が破裂しそうです(笑)
…けど、それでも参究がすすんで色んなことを分かりたいし知りたい。
そうだけど、参究が澤谷先生くらいすすめたとしても、毎日の現場に活かせんかったら意味ないな…そうも思いました。
人間みんな情で生きてるから頭で分かってもなかな難しいときあります。
やっぱり愛を持てることかな。たとえ何も分からなかったとしても。
そんなこと、思います(^-^)
丹前華子 [URL] 2015/09/24(木) 04:31 [編集]

葛藤からみえるもの
連載ありがとうございます。

私は。先生が自分を認めてくれてないと。
裏切られた思いをずっと持ってました。

ここまで歩いて来てみて。
そうではなかったなとわかりました。

そうして。ひとりひとりの優劣はないことも。
誰かを変えないといけないと思うときは。
それは自分の問題であり。

批判していた自分は。
それがどんなに正しい内容であっても。

その人の今の精一杯をみることができてなかったなと。愛が足りなかったなと思います。

批判されるときは。謙虚に受け止めることかなとも思います。たとえ今の自分の精一杯の姿であっても。不完全なものは不完全だからです。

もしも数年前に、そういう自分であったなら。
もっと人に優しくできたんじゃないかと思うし。
愛ある言葉もかけられたただろうし。

間をもって話を聴いたり話したり。
できたと思うんです。

禅の公案というのは。
確かに訳がわからないけれど。
訳のわからないことも数年経ってみれば。

確かに。自分が正しい間違ってない。
そういう殻から一歩外に出ている自分がいます。

日常生活に実践していくことは大切と思います。
実際のわかりやすい人間関係で。
これがひとつわかったことは宝物だったと思う。
ありがとうございます。





葛(あなた)と藤(わたし) [URL] 2015/09/24(木) 06:45 [編集]

丹前華子さん。

参究とは、身も、心も、おのずからのあり方も、生き方も、全身全霊で、悟りを求め、真理を究明することをいいます。いわゆる「求道」といわれるものです。そこは、思考の世界ではなく、思惟の世界でのことです。ですから、生かす生かさないもない、すでに生かしているのです。
それをいかに伝えるか、という、いわゆる「伝道」ということになると、思考を十二分に使用して、説明をしなければなりません。
伝えることと求めることの違いが明確になっていなければなりません。
あなたのいわれるように、相手ありきの、相手の立場に立つ、愛があれば、誰も説得しなくとも納得するでしょう。

澤谷 鑛 [URL] 2015/09/24(木) 17:49 [編集]

葛(あなた)と藤(わたし)さん。

冷暖自知(れいだんじち)されていますね。

「不完全なものは不完全」と見切るところなどは、見切っているその基を探ると、「不完全」という欠けたものが見えるのは、「完全」というまん丸なものを知っているからです。

あなたの中に「完全」があるのですね。
澤谷 鑛 [URL] 2015/09/24(木) 19:57 [編集]

感謝
澤谷先生。心より感謝申し上げます。

すみません。ひとことだけ。。

不完全を不完全と見切ることができるのは。
自分の中にまん丸な完全があるから。

そう仰っていただいてるんですが。
それは有り難いことなんですが。

まん丸な完全は。
批判をした相手にあるんじゃないかと思いました。

批判をした相手が。私に不完全をみたということは。批判をした相手が。私の完全をみていると思いました。

その相手が私をみて。どういう姿であったらいいと思っているのか。それを冷暖自知するということ。

相手ありきなのかなと思いました。

すみません。自分のことばっかりしか考えてなかったから。私は。とにかく。これからどうするかと思います。自分の完全が漠然とあるんだとは。思えるようになりました。





葛(あなた)と藤(わたし) [URL] 2015/09/24(木) 20:17 [編集]

伝道、道を伝えるってことでしょか?
澤谷先生のお話はほんとにむつかしい。
全身全霊で求道いわはりますが、そこまで本当に仏さんの道行かれますなら、センセなんでカウンセラやってられますん?
全身全霊で仏さんの道いかはるお人が、なんで高額な講演料やらカウンセリング料とられますん?

わたしかって、なんぼ素人やかってそれくらいの事くらい分かります。
全身全霊の求道のお姿がそれでええんやったら、高野山のお坊様やったって禅のお坊様やったって、みんな頭丸めるのやめて普通の人とおんなじようにお金儲けしながら美味しいもん食べてお酒飲みながら修行しはったらええんや。

カウンセラの先生から全身全霊の求道や言葉聞くの、わたし納得しません。
それにその子らへの言葉も違う思います。そういうはったりきかした偉いこといわはるから、この子らもいつまでたっても自分ゆうたことに責任もたんと、また責任持てん偉いこというてはまた気が変わってはの繰り返しするやないのですかね。
なんぼも自分が見えとらんもんにゆうてあげる言葉とはかけはなれてますやん。

すんませんね、偉い先生に文句ゆうて。ほやけどわたしの本心です。
丹後華子(丹前、京の) [URL] 2015/09/25(金) 00:07 [編集]

葛(あなた)と藤(わたし)さん。

あなたにも、批判した相手にも、完全はあるのですね。
ちょっと混乱されているようですが、おのずからのあり方と向き合うのは、思考でなく思惟(しゆい)によることです。

相手ありきは、おのずからの確立が大事です。
澤谷 鑛 [URL] 2015/09/25(金) 10:41 [編集]

丹後華子(丹前、京の)さん。

そのまま本心を生きて下さい。

私もおのずからの本心を生きます。
澤谷 鑛 [URL] 2015/09/25(金) 10:44 [編集]

わかりました。

せやけど、ほんまの道行かはるお坊様は、
わたしみないな素人に、そうゆう言い方はせん思いました。

ほんなら。
京のみゆき [URL] 2015/09/25(金) 12:11 [編集]

京のみゆきさん。

そのまま本心を生きておられますか。
スッキリされていれば、本心ですね。
スッキリされなければ、本心ではないですね。
澤谷 鑛 [URL] 2015/09/25(金) 13:48 [編集]

京のみゆきさん
澤谷先生。ごめんなさい。みゆきさんと話をさせてください。京のみゆきさん、ありがとう。ごめんなさい。

京のみゆきさんは。そのままでいてください。
結局は。日常生活の人間関係だと思います。

ただ。先生のところでは。普通の社会や常識の価値観では救われない人が救われていっていることは確かです。友達もたくさん救われていきました。

私のように混乱して迷宮に入ってしまった人もいました。こうなってしまうと。すべてをちゃんと納得してスッキリしないと恨みが残ってしまう。

すべてを赦すしかない。
自分も相手も先生も関係者も全部。

思惟の世界と先生がいいます。

人間関係のゴタゴタや葛藤、人生苦。
海の表面は荒れていても。底にいけばただ。
静かな調和した世界があって。

黙って坐り。心を鎮めると。
心囚われていた世界がふっと消える。

私の場合は。黙って座れず。
赦しが進むと。たまにふっとそういうところがみえて。また消える。この繰り返し。

けれど。だんだん薄まっていく。

先生の話す思惟の世界は。
説明するのがとても難しいから。
訳がわからなく聴こえる。

伝えたい世界と。また。生活となると。。
先生も葛藤は有るんじゃないかな。

禅のお寺は。おそらく。神や仏の世界を説く。
人間そのまま仏の命、
神の命を説くのじゃないかな。

生活そのものが悟りの修行で。
座禅してお経読んでそういう境地にいく。

先生の場合は。

神が生きるのでもなく仏が生きるのでもなく
人が生きるを説く。

宗教的でなく一般の人にわかる言葉を模索されているのだと思うけれど。本当は座禅してわかる世界を言葉で話すから限界があるんだと思う。

先生が教えを説きたい人は。
宗教的なものを求めるというよりも。
普通の人生を生きる一般の人たちで。

だからこうして。ブログでひとりひとりの人生を出しながら。ひとりひとりの仏向上をみんなで共有しながら。学んでいくというスタイルを取る。

先生もだから。葛藤はたくさんあるんだと思う。

自分自身の求道と。
人をサポートする伝導を分けるというのは。
たぶんそういうことだと思う。

そうして。決してぶつかってくる人に説明はしないから。先生は。これは。先生そのものの答えではなく。先生をこうみているという私の見解。

違う部分もあると思うけれど。私はそういうふうにみている。大っ嫌いだった先生を。今そういうふうにみている。

偉い凄いカウンセラーさんという枠を外して。
この人は。何を言いたいのかなと。何を伝えたいのかなと。

ただ。自分と全く同じひとりの人間として。
溶かし込もうとしたときにやっと。
私は和解できた。

貴女とたくさん話したい。
矛盾も嫌いも憎しみもたくさんあった中で。
それを鎮めてきた今。そういうことを思う。
[URL] 2015/09/25(金) 19:15 [編集]

人間は情で生きてる
わたしな、京都の丹波の方にある老人介護施設で働いてますんよ。
毎日通ってきはる利用者さんには、認知(認知症の略)の人もおれば精神的にだいぶ弱い人を居る。
ふつうのお婆さん、昔は偉い先生やったお爺さん、社長さんやった人、天涯孤独なお婆さん…いろんなお年寄りの方が沢山おるんよ。
そんで毎日お世話してて仲良~もなるし、子供叱るみたいに世話のかかる人もおんねん。

そんでな、ある日突然、誰かが来なくなりますんよ。。
どうしはったんかなぁ心配してると、そのうち知らせがあんねん…亡くなりましたって。。。

こうゆう現場で働いてると、人生深いとこ考えてしまう。嫌がおうでも。

連れ添いが亡くなられて鬱にならはるお年寄り。。嫁さんと姑で折り合いわるうてストレスで滅入ったお婆さん。。
少ない年金はたいて流行りのカウンセラやらに世話になったり。。ほやけど銭こドブに捨てるような結果ばっかしや。

あんな。厘ちゃん。水道屋はんは水道壊れたら直してくれはるやろ?餅屋は正月に立派なお鏡さんついてくれる。
水道屋も餅屋もそれ出来んかったら看板下ろさないかん。中途半端な仕事を世の中認めるほど、世間あまくあらへんで。

人間の心助けるお仕事しはるお人が、まして言い訳の余地あるはずがない。

人助けるのに、これの部分はカウンセラやから仕方ないとか、神やの仏やの、むつかしい知識やの、そんなもん関係あらへん。
心底、心から人あいして、為おもってたら、ちゃんと気持ち、ハートが伝わるもんや。
情を伏せるもんは人間のお姿してても人間やあらへん。

厘ちゃん、ちゃんと生きていくんやで。。。

ほんなら(^^)
京のみゆき [URL] 2015/09/25(金) 23:23 [編集]

求道と伝導
現場に生かすという話がありました。
澤谷先生の現場というのは。カウンセラーとクライアントさんの現場。ある意味、特殊な現場。しかも。道を説く。それをビジネスとしてやらないといけない現場。

京のみゆきさんや私は。おそらくチームワークの現場であり。クライアントさんと生活の一部を共に生きる現場。お金のことは事業所が考えてくれる現場。私たちは。クライアントさんのために。あれやこれや率直に本音で話していかんと纏まらん現場。
それと家族という現場。

ここの人たちの生活の現場も。家族や職場。生活の現場。つまり。人と人の情で生きる現場。私たちと同じだけど。私たちの現場のような緊張感やチームワークは。そんなに必要な訳じゃない場合も多い現場。


この場というのは。それぞれがそれぞれの生活の現場を冷暖自知して深める場で。お互いがお互いを助けるといっても。基本は信頼して見守る。基本は介入しない。ある意味、緩やかな絆かもしれないですよね。



陰陽五行は。人間という熱い生き物があって。足りないものを助けて。うまくまわるんちがうかな?

と、みゆきさんいうてあったけど。
私は全く同じことを思う。

だけど。この場は。どっちかというと。
余計なお節介するのは。自分がその人をみて不安でどうにかしないといけないと思うのがエゴだから。何もしない。信頼して見守ろう。そういう流れも強いのよ。

それが本当に。自分は躊躇なく助けることもできるけど。その人のためにそうしない方が良い。そういう見極めの上でしていることなのか。

或いは。他人のことだからどうでも良い。
いつか自分で気がつくさという距離をとっているのか。

或いは。ああいうふうにだけはならんとこう。自分は気をつけようと思っているのか。

或いは。共感してくれているのか。

或いは。羽化するときは自分で決めるから。触らないで信じて見守ろうなのか。

雲を掴むみたいで。何考えてるかわからんで。モヤッとするやろ?

みゆきさんや私には。この場は。
なんか物足りないねん。そうやろ??


けど。先生がいったい何を言ってるのか。
なんか気になるやろ??

先生の説いていることを。
私なりに説明してみるね。


例えば。認知症のおばあちゃんをみて。
この人は認知症という姿を今してるけど。
認知症じゃない健康な姿を心の眼で観じるみたいな。そういうことって。想像つくかな?

何いうてるの?おばあちゃん認知症やねん!これが普通の見方。みゆきさんなんかは。そのおばあちゃんに対して。必要なサポートがぴったりできる人と思う。

人の心の機微がよくわかる人やから。

私なんかは。現場の人やけど。
はっきり言って天然や。
他人に助けてもらって愛して可愛がってもらってやっと仕事してるよ。

それでな。先生の話に戻るねんけど。

認知症という見えてるものを全否定して。
おばあちゃんの健康な姿を見続けるのが。
不完全の奥の完全を観るということ。

私は彼女に対してそれができんかった。
病気や障害を直視した。
それを言い続けた。

先生は。彼女の病気を見なかった。
健康な姿を彼女に見ていた。

だから。彼女が先生だけを慕い。
先生のいうことだけを聴くということになっていた。


壊れた人のサポートって。
なんやと思います?


不完全の奥の完全を。
思惟の世界で観じつつ。

生活の現場は。現実のサポートを。
きっちりすることじゃないかな。

或いは。その人に伝わる言葉を持つことじゃないかな。


もう一度。最初に戻ってみる。
澤谷先生とみゆきさん。どこですれ違っているんだろう。

私は。これわかるのに。丸々五年かかりました。それを。わかりやすく伝える挑戦をしているんだけど。

もしかしたら。これが伝導になるのかもしれないね。

求道というのは。自分がこうありたいを追求していくこと。

伝導は。相手がわかるように言葉を選び。思考を使い。愛を伝えること。

なんか先生。そんなことを言ってませんか??

聴いてくれてありがとう。
[URL] 2015/09/26(土) 00:25 [編集]

すれ違ったな。
みゆきさん。コメントがすれ違ったな。
今から追伸書くから。待っててな。。

[URL] 2015/09/26(土) 00:28 [編集]

ありがとうな。
みゆきさん。話してくれてありがとうな。
何とも言えん気持ちになるな。。

どうしたらええんやろうな。
私には。なんも答える言葉が無い。

そういう人の救いは。どこにあるんやろうか。

例えば仮に。自分がカウンセラーになったとして。相談に来はったら何ができるやろうか。

ただ。話を聴いてあげるしかできんだろうな。。昔の人だったら。そういうときに。お寺さん行ったりしたんやろうか。。

みゆきさん。だから。
お寺さんの話したんかな。

神さまやったら。仏さまやったら。
救われると思うか?みゆきさん。

おじいちゃんおばあちゃんが。
全身全霊で仏さまに救いを求めたら。。

マザー・テレサがイエスに救われたように救われると思うか?

なあ。みゆきさん。
心の救いってなんだろう。

みゆきさんが救いたい人の救いは。
なんだろう。

なんか。みゆきさんの気持ちが。
胸に迫るな。話してくれてありがとう。
[URL] 2015/09/26(土) 01:05 [編集]

違うな
違うな。人の情やな。
神や仏を伝える人の情が。
そのまま伝わると。

みゆきさんは言いたいんやな。
だから。先生に。。

難しいこと要らへんって。。
ごめんな。乱れてきたな。コメントが。

[URL] 2015/09/26(土) 01:10 [編集]

追伸
みゆきさん。私の気持ちになってくれたやろ?
あれに救われたんやで。

みゆきさんは。自分の信念に従って生きていってください。熱い情をなくさないように。

みゆきさんがいるだけで。救われている人がいっぱいいる筈だと思うよ。

[URL] 2015/09/26(土) 01:22 [編集]

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