お伝えしたいことは「運命は改善できる」ということです。
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「五感」
                    NAOKO

三年前に欝状態になり、あるところでカウンセリングを受けてきた。
「アダルトチルドレン」で「神経症」とのこと。この苦しみは薬では治らないと感じた。
自分はこんな生育歴だったと話を沢山聞いてもらった。でもある日どこか自分の中でしっくりこないなと感じるようになった。
今の私にはまだ、どこがしっくりこないのか説明ができない。
でも、どうやら「アダルトチルドレン」は自分を知るためのキーワードであり、親が加害者で自分が被害者であることを実証するものではないようだ。私が自分に都合よくしゃべったきた感も否めない。
ここまでわかってきて、それでも未だに母の価値観だと、私が思い込んできたものがべったりと張り付いている。
では私は、何を感じているのだろう。過去に何を感じてきたのだろう。
ここが出てこなくて本当に苦しい。
今までのカウンセラーさんはから「何か好きなことなんでもいいから始めてみたら。」とアドバイスをいただいていた。でも私の中に好きなことなんて何もなかった。

そんななか、昨年の秋から少し大きな公園まで犬と一緒に散歩に行くようになっていた。
その公園は自宅からは距離があるので車で行くことになる。遊具はないが、池と大木と広い芝生。緑が目にも優しく犬と散歩をしながら思いっきり深呼吸をしたくなる。(欝状態の酷い時には犬を可愛いと思えず散歩は子供がやってくれていました。飼い犬に対して愛することがわからない自分を恐ろしい存在だと思っていました。今は少しずつ氷が溶けてきたかもしれません。)私は、心がこのような状態になるまで公園は子供の遊び場だとばかり思っていた。
心が折れて、緑を感じたくなった時ふと訪れた公園。公園の中を歩いていると、私の足を柔らかく包み込む落ち葉の感触が……。落ち葉の上を歩き続ける事が出来る贅沢感。なんと気持ちがよいのだろう。そしてその時突然、
「私はこの感覚を感じてもいいのよね」
と心の中から声が聞こえてきたのだ。この声には正直驚いた。私の中の私と巡り会えたのだ。
それからというもの、近くでパンを買って公園のベンチで犬とパンを食べながら季節ごとに桜や池に咲いている大きな蓮の花を見、鳥の囀りを聞き、そして犬の散歩に来たのだから犬のウ〇チの匂いもちゃんと嗅ぐ。その瞬間、
「あ~私の五感がやっと発動した」
と安堵した感覚を味わう。
またある日のこと、違う公園を散歩していると、なんだか心がときめく滑り台があるではないか。近くに子供が遊んでいて恥ずかしいけれど、滑りたい衝動が抑えられず犬を抱っこしてその滑り台を滑ってみた。お尻に感じる冷たい感触と犬を抱っこしている胸の辺りの温もり。子供に返ったようで思わず「ムフっ」と笑みがこぼれる。

それからもう一つ。
昨年から何か始めてみようと思いついたのがスイミング。水が怖くて溺れているけれど、水中で目を開けた瞬間に見た景色。心が躍るような気持ちよさ、不思議な感覚。泳げるようにならなければと「こうならなければ」で入ったスクールだけど、直ぐに泳げるようにはならずがっかりしたと同時に、期待していなかったところで別の喜びが感じられるとは……。
そして、ある日プールサイドで滑って転んだ。流れた血を見て、私は、
「これは私が感じていいのよね。感じられてよかったね」
と心の声がまた聞こえてきた。身体が自分の痛みに対して喜ぶ瞬間だった。先の落ち葉の柔らかい感触も擦りむいた痛みも私のものであると改めて心が感じた瞬間だった。それを封じ込めていたから感じていいの? と自分に問いかけてきたのだ。
これを大事にしたい。自分が愛おしくなる。
それにしても、ここまで凍りついていた私。
「え~、私はそう思っていたの?」
と後から後から出てくる気持ちに時には自分がかわいそうになり涙がこぼれてしまう。

澤谷先生は、心の声との会話を「潜在意識を顕在意識化する。」とおっしゃっていた。
なるほど。最近は心にアクセスすると何かしら答えてくれるようになってきた。

最後に、我が家の収入と相談せずにやってきたことがもう一つ。犬と入れるカフェ探し。なんと近所にあったではないか。そこでいただいたお茶と自家製のロールケーキがまた優しいお味。ケーキも飲み物も少しお高めだけど、主婦の私でも、今ここで犬と一緒にお茶をしたい。その気持ちが高まり、お店ができるまでの経緯の書かれたブログを読んで更にほっこりする。お姉さんがご自身で塗られた白い壁を眺め、お姉さんが見つけてきた中古のソファに座り、お姉さんが選んだ茶器を見て、私は今まで何が正しいと思ってきたのだろうと問うてみる。友達とワイワイできない自分を責め、誰かと楽しい時間を共有するのが苦手だと自覚しているけれど、今は独りのこの感覚をもっともっと味わいたい。
うまく言葉にできない。でも、今までの価値観と違う世界を、今、少しずつ堪能している。

澤谷先生。
三つも書いてしまいました。自分のブログに書けばよかったのに。
言葉はうまく出ないのですが、心の内から日頃話せないことがでてきました。稚拙な文章を読んでくださりありがとうございました。

澤谷 鑛 のカウンセリングは、コチラ…
澤谷 鑛 のセミナー/講演会情報は、コチラ…
コメント

光とのお出会い。
産婦人科の池川明先生は、いつも雲の上から何万人もの赤ちゃんがお母さんを選んでいるんだ。と言われていました。

天の上はすべてが叶い満たされている完成され切った世界であり、私たちは、欠乏や悲しみを体験したくてこの世に生まれてくる。

だからプログラムしてきたとおりに私たちは分離や欠乏を体験し、不安や恐れや悲しみ痛みをいやというほど体験する。

そのようにして私たちは、すべてが満たされている天の世界では決して知ることのなかった愛や、癒され満たされることの素晴らしさに心を震わせるのだと、多くの人がそのように言われます。私たち誰もが、それを知りたくて生まれてきたのだと。

NAOKOさんのご文章を拝見していて、そのことを深く感じました。闇が深かった分どんなにか、他の方の何十倍も何百倍も光のまばゆさと素晴らしさを感じていかれある。他の方の何十倍も何百倍もその暖かさと美しさに感動することがおできになる。

そして、だからこそ、誰よりもその素晴らしさを証し、伝えて行かれるご人生を歩まれるのだろうなと、拝見していて感動いたしました。

心からおしあわせをお祈りしております。

ありがとうございました。

桜 美穂 [URL] 2015/11/17(火) 08:05 [編集]

桜さま
桜さま

暖かいコメントありがとうございます。
そうなのですね。池川明先生はじめ多くの方が同じようなことをおっしゃっているのですね。
両親を選んだのは私。そして自分で計画したプログラムをこなしてきたのですね。愛や感動を知るために。
これまでの不安や恐怖、そして妬み等々、感じたくない感覚をこれから逆転していかれないと、とても悔しいままおばあちゃんになってしまいます。過去に自分を守ってきた私がまだまだ足を引っ張ります。
諦めたほうが楽だよ…の声を聞きながらも、前に進みたいです。

Naoko [URL] 2015/11/17(火) 22:54 [編集]

NAOKOさん。

人生というのは、今世の人生だけでなく、前世も前々世も、その先の世も含めて、カルマ(業)が大きく作用すると学びました。
「神が生きるのでもなく、仏が生きるのでもない人が生きる人生」と澤谷さんが言うように、人生は心で展開させるとしたら、過去に積んだカルマは大きく作用するのでしょう。だから、デトックスが必要なわけですが、デトックスはデトックスが主眼ではなく、デトックスできるあるものがベースにあるからです。そのベースにあるものと出会わなければなりません。

桜さんの言われるように「私たちは、欠乏や悲しみを体験したくてこの世に生まれてくる」のでも、「分離や欠乏を体験し、不安や恐れや悲しみ痛みをいやというほど体験する」ために生まれてきているのではありません。それはデトックスするものであり、デトックスできるベースがあることに気づき、出会うことが大事なのです。

私が高校生のときから、澤谷さんには、いろいろと教わりました。
NAOKOさんも大いに学んでください。



CAMELLIA [URL] 2015/11/19(木) 17:04 [編集]

コメントありがとうございます。
コメント内容何度も目を通させていただきました。学ぶ事、まだスタートしたばかりです。やっとここまで参りました。
『業』とか『カルマ』という言葉はこれまでも何度か耳にしておりましたが、まさか自分がこの年になって深く学ぶ場に身を置くとは思ってもおりませんでした。ちなみに半世紀以上生きてきました。
いただきましたコメントで、なかなか理解出来ないところがあるのですが、質問させていただけますでしょうか。『デトックスするあるもののベース』とはどのように解釈をしたらよいのかその芯のところがボヤけてしまいます。私の経験に重ねさせていただきますと、私は小さい頃から病気ばかりしてきました。それで小さな風邪ですら、直ぐに病院に行き薬を貰って安心する。これを大人になってからも続けてまいりました。澤谷先生とお話をさせていただくなかで、病気はデトックスと学びましたが、私の病気はデトックスであり、また生きて行くなかでの隠れ蓑だったのではと最近気づき始めました。CAMELLIAさんのデトックスのベースとは例えの私の病気に関してはどのように解釈をしたらよろしいのでしょうか。
お時間のある時にご返事をいただけましたら幸いです。よろしくお願い致します。
NAOKO [URL] 2015/11/22(日) 09:23 [編集]

NAOKOさん。

【CAMELLIAさんの「デトックスのベースとは?」例えの私の病気に関してはどのように解釈をしたらよろしいのでしょうか?】
ということに、あくまでも私なりにですが、お答えさせていただきます。
「私は小さい頃から病気ばかりしてきました。それで小さな風邪ですら、直ぐに病院に行き薬を貰って安心する。これを大人になってからも続けてまいりました。澤谷先生とお話をさせていただくなかで、病気はデトックスと学びましたが、私の病気はデトックスであり、また生きて行くなかでの隠れ蓑だったのではと最近気づき始めました。」というあなたの言葉に光をあててみます。
「薬をもらって安心する」というのは、心の問題です。プラシーボ効果というのがありますが、思いこませることによる偽薬効果です。あなたは、そのことに気づき、意識化できたのですね。澤谷さんとお話する中で、デトックス=毒出しとわかり、いらないもの(毒)を追い出すことができるのはいらないものであり、いらないものがもともとあるのなら、いらないものがいらないものをみて、当たり前ですからいらないとは思いません。ですから、そのままにしているでしょう。(これは澤谷さんから教わった論です)
しかし、いらないものをとり除こうとする意識は、いらなくない大事なものがあるということを知っているからです。その大事なものこそデトックスできるベースといえます。
病気は、本来ないから消えます。そのデトックスのベースには、けっして消えることのない本来のまっさらさらの息吹きがあなたにあるはずです。
CAMELLIA [URL] 2015/11/23(月) 15:07 [編集]

ご返事ありがとうございます。
CAMELLIA様

早速ご返事いただきましたのに、質問させていただいた私が書く事ができず失礼いたしました。先週身内に不幸があり、また体調悪くして入院した方もおりまして、落ち着かない日々でした。

「プラシーボ効果」よく耳にします。はい、そこは耳が赤くなるくらい恥ずかしい生き方をしてきたんだと思いました。
自分との会話を始めた最近、病気ではない自分はどうしたいのか、病院に行っている時間を本当は何に使いたいのかと問いかけてみるところまできたのですが、答えがまだ見えてきません。

自分に違和感を感じる部分があるとしたら、その下に隠れているものがあるということですね。小さい頃から違和感がありましたので
そこを具体的に掘り下げて意識化する作業をしてみます。本来の息吹があるのなんてとても素敵な言葉をありがとうございました。

CAMELLIA様もどうぞお幸せなお時間をm(_ _)m
CAMELLIA様 [URL] 2015/11/25(水) 23:45 [編集]

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