お伝えしたいことは「運命は改善できる」ということです。
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01/10
地獄は一定
             遠藤励起(学研プラス元編集長)

何年前の原稿だろう??? 10年以上も前になるだろうか?
こんなことを考えていた、若き自分がいとおしい(^^♪

【ここから】

この文を書き始める直前に、私は一杯のビールを飲む。日曜の昼下がりである。昨夜の雪で空気もきれいになったのだろう、外は雪どけの景色に太陽が乱反射していつにもまして輝いている。
私は、モバイルパソコンで原稿を書いている。それも1階のリビングで。どことなくのんびりとした時間が流れている。ささやかな幸せのひとときである。

「幸せってなんだろう」と考える。お金があること、地位があること、大きな家に住んで贅沢をすること、たしかにそれもひとつであろう。
お金などなくても自分の好きなことができれば幸せという人もいよう。
愛する人と二人でいられれば幸せという女性もいるだろう。
毎日好きなお酒をちょこっと飲めるだけのお金があればいいという幸せ観もなるほどと思う。

なら、その条件がなくなってしまったとしたらどうなるのだろう。人はとことん不幸せになってしまうのだろうか?
そもそも、その条件が100%満たしていなければ人は不幸せなのだろうか。
不幸せと嘆いて人生を送ることになるのだろうか。
人生は、神様は不公平だと毎日ぐちをこぼして生きるのだろうか。

遅ればせばがら、五木寛之の『大河の一滴』文庫本を買って読んだ。たまたま入った本屋で目にとまった。
その中で、「人生は地獄」であると氏は説く。
「地獄は一定(いちじょう)」、まさにここ、現世にあると言う。幸せを求めてやまない凡人にとっては、一条の光明が射し込んだように思える。

「地獄が一定だと覚悟してしまえば、その中で私たちはときとして思いがけない小さな喜びや、友情や、見知らぬ人の善意や、奇跡のような愛に出会うことがある。
勇気が体にあふれ、希望や夢に世界が輝いて見えるときがある。人として生まれてよかった、と心から感謝するような瞬間である」
これが、人生での「極楽」と言うのだ。極楽は浄土の彼方にあるのではない。

氏も引用していたが、昔の言葉に「人生とは、重い荷物を背負って、長い坂道を歩くようなもの」というのがある。
少年時代に読んだ本で、壷井栄の『坂道』という傑作があるが、その若き主人公堂本さんが、下宿を大家に追われ、リヤカーにわずかばかりの家財道具を積み込んで引っ越しするシーンがあった。そのとき、堂本さんはこう言って長い坂道を登っていった。
「なんだ坂、こんな坂、なんだ坂、こんな坂……」

壷井栄は、まさに人生とは、長い坂道を重い荷物を背負っていくようなものだということを、この小説で語りたかったのではないだろうか。
そのためには、苦しくても毎日の生活にくさらず、自分の人生の未来に向けていまやるべきことを一生懸命やることなのだ、ということを。

物語の最後では、堂本さんと知りあった少年が、その姿を見かねて坂道の途中からリヤカーの後ろを一生懸命押して行く。
「なんだ坂、こんな坂」と二人で声をかけながら。
壷井は、でも、人生には少年のようにかならず誰かが手を差し述べてくれるのだ、という宇宙の真理を最後の数行の行間に潜ませる。

私は少年時代、どこまでこの物語を理解したかは知れない。ただ、不思議と記憶の底に強烈な印象となっていまも残っている。『大河の一滴』を読んで、少年の頃の感動がなにか意味を持ってつながったようにも思える。
「ああ、このことだったのか」。この真理に少年の私の心は揺さぶられたのかもしれない、と。

そう考えると、人生とはまた違ったスタンスで対峙できる。
「地獄は一定」と覚悟してしまえば、人生と言う長い坂道のささやかな葉陰がとてもいとおしいものに感じられる。
あれもこれも、ではなく、あれやこれやが、奇跡の邂逅となり謙虚に感謝できる。
「地獄に仏」に感謝しながら、人生を送って行くのである。

昼間のビールとささやかなつまみに喉を潤しつつ、日がな一日を終えてゆく。かけがえのない、ありがたい「極楽の日」に感謝しながら。

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コメント

となりの人
「地獄は一定」と覚悟してしまえば。
重荷を負って歩く人生という長い坂も。
途中の葉陰を愛おしいと感じる。

誰ひとりとして自分をわかってくれる人はいない。
誰かひとりでも自分のことをほんとにわかってくれたら幸せ。そう思って孤独だったときは地獄。

自分のことをわかってくれる人なんて誰もいない。
探して探して探して。絶望して。
その状況を受け入れ降伏したとき。

自分に差し出されていたたくさんの愛情に。
気づく。差し出した手を繋いでもらえないとき。

自分も昔、そうやって差し出された手を。
自分で振りほどいていたんだなとわかる。

時期を待つしかないことがあると知る。

なんだ坂、こんな坂、なんだ坂、こんな坂。

壺井栄さんといえば。「二十四の瞳」ですかね。
子どもの頃に読んだのを懐かしく思い出しました。

ありがとうございます。


[URL] 2016/01/10(日) 15:35 [編集]

自分に『ない』状態を嘆き
不幸せや自己嫌悪を感じることが多い。

でも、遠藤励起さんが紹介していただいた
『地獄は一定である』というスタンスに立てば

今まで些細なこととして片付けていたものごとも
それまでと違って感じられるかもしれない。

細やかなことにも
喜びやありがたさや幸せを感じるかもしれない。
そう感じました。

『地獄は一定である。』という響きは
どこか避けたい印象を受けましたが

文章を読みすすめるうちに
『なるほどな〜』と感心させられました。

遠藤励起さん
貴重な体験ありがとうございました。
よし [URL] 2016/01/10(日) 20:55 [編集]

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