お伝えしたいことは「運命は改善できる」ということです。
09 * 2017/10 * 11
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -
--/--
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
02/18
アセンションのほんとうの話
               亀井佐千雄

 肉体的な死と意識の死

一般には次元上昇の事を「アセンション」と呼んでいます。この言葉の真意を理解するのは正直難しいのですが、今回は皆さんと一緒に考えて行きたいと思います。

私たち人間の進化の側面から見れば、肉体的な死は、それらが表した一つの時代の終わりを告げています。

では、意識の死。とは一体なんでしょう。
それはまぎれもない魂が生まれ変わるときに他なりません。

肉体の死があるように、意識も死にます。
ある意味死ななければ新たな意識の変化を起こす事すら不可能なのが人間なのです。

思考や様々な思念や言動・行動には、肉体的制約と従属を常に受け続けています。

それは通常意識することもない五感のレベルから、微細な遺伝子やミトコンドリアやDNAといったものにまで及んでいます。

私たちの意識は脳から派生しているのではなく、極々ちいさな細胞を働かせている目に見えない「エネルギー」によってもたらされているのです。

新しい魂(本質)の獲得

「本気になれるのはこれだわ」
「何でもできるはこの人となら」
「この子のためなら命さえも惜しくない」
と、時として私たちは純粋な気持ちになります。

自我における意識は、この純粋な気持ちを、行動やかかわりの中で、少しずつ対象への執着に変えてしまう罠に陥る事があります。
人は、「この大切な関係を大事にしたい」と思う純粋な気持ちの時は良いのですが、「この幸せを絶対に手放したくない」という執着に変わることがあります。
この様な本末転倒が起きてしまうのはなぜでしょうか。
これは、湧きあがる無償の愛を、相手への永遠につづく愛だと勘違いしてしまうのです。
エゴはこの純粋な気持ちを育てる本体である自己の成長をないがしろにしかねないものなのです。

アセンションにエゴは禁物であるのはなぜでしょうか。
愛する人や貴重な学びを、
「自分だけのものにしたい」
「人に教えたくない」
という無意識の所有欲や独占欲にとらわれると、その反動として、この執着を手放さざるをえないような出来事を引き寄せてしまうことになります。

日頃は、すっきりとして純粋でストレートな想いの愛情や探求心が、何かのはずみでどろどろとして屈折した執着や欲望に変化すると、それはやがて自身を失う方向へと突き進んでしまいます。
始めに起こるのは、身の回りの人間関係や仕事に対し同じような性質のものを引き寄せてしまい、理不尽な目に遭ってしまうでしょう。

澤谷 鑛 のカウンセリングは、コチラ…
澤谷 鑛 のセミナー/講演会情報は、コチラ…
コメント

執着を手放すサインとしてみる
亀井左千雄さんの文書を読んでいて
私の中で何かを受けとる予感を感じました。

今まで自分では認識していない
大いなるヒントとでも言うのでしょうか。

読み進めていく中で
心に留まった言葉がありました。

・ 私たちの意識は脳から派生しているのではなく
 極々ちいさな細胞を働かせている目に見えない
「エネルギー」によってもたらされている。
・ 愛する人や貴重な学びを
「自分だけのものにしたい」「人に教えたくない」という
 無意識の所有欲や独占欲にとらわれると
 反動として、この執着を手放さざるをえないような出来事を
 引き寄せてしまうことになります。

意識は脳ではなく、エネルギーからもたらされることに
どこか神秘性を感じます。頭という局部からではなく
体全体からエネルギーをもらっている気がするからです。
その方が、今の私にはしっくりきます。

無意識の所有欲や独占欲にとらわれることがあります。
そのような時、自分の器の小ささを時間差で感じたりします。

そして、反動として、執着を手放さざるをえない出来事を
引き寄せると亀井左千雄さんは書かれました。

その出来事は、きっと、自分にとって不都合なことでしょう。

でも、不都合な出来事を執着を手放せという
サインとして認識することができたら
自分の器を大きくするサインと見なすことができます。

今回、その見識を知識として知りました。
これから、その知識を知恵に昇華できるように意識していきます。


亀井左千雄さん
新しい魂(本質)の獲得のお話
ありがとうございます
よし [URL] 2016/02/18(木) 14:08 [編集]

死と再生
純粋な思いが執着にすり変わる経験も。
その執着を手放さざるをえなくなる経験もあり。
なるほどなと思います。

手放してしまうと本当に、スッキリ\(^-^)/
なのですが、過程はなかなか大変ですよね。

意識の死。エゴの死のあと。

新しいものがいまは。
どっと入ってくる感覚です。

ありがとうございます。
りん [URL] 2016/02/18(木) 19:26 [編集]

あしたと夕べには
アセンション、次元上昇という事が囁かれるようになった現代。
宗教ブームといわれた時代には最後の審判とキリストの再臨、
我々仏教徒は弥勒菩薩が下生して混迷の世を救うといっていた。

最近では科学者までがフォトンベルトがどうこうと論じ。
しかし、果たしてその様な現実が本当に起こり得るのか?

そう疑いたくなるのは、私も人の親たがらなのでしょうか。
もし現実にそういう事象が起きたなら、家族は、
そして娘の将来はどうなってしまうのか。
いろんな憂いが生じてきます。


しかしよく思い直してみると、

あしたには紅顔ありて
夕べには白骨の身となれり
あなかしこ、あなかしこ

毎日の御経の結び文句は、それこそが次元上昇。

意識の死とは、言葉の空気感の違いと思うのですが、
この身も心も、この世の一切の執着を捨てて
仏に何もかも預け帰依してこそ、
五尺の身体死して、浄土に生まれ変われるのです。

「エゴ」を考え直すと、とりもなおさず、
私にとってこうしてコメントを書くことは自分の為と思いながら、
実は、自分のエゴもあるのではないか…

人様のお役と成れる、己でいたいものです。
天成 光 [URL] 2016/02/18(木) 23:33 [編集]

管理者にだけ表示を許可する
 

トラックバック
トラックバック URL

Copyright © 2017 絆の法則 ~ 澤谷 鑛 オフィシャルブログ ~.
all rights reserved.
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。