お伝えしたいことは「運命は改善できる」ということです。
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02/18
ものの見方
              NAOKO

 1月16日のスカイプによる座談会のテーマは、「ものの見方」でした。
 実は感想を書かせていただこうとPCの前に座ってみたものの、全くと言っていいくらい理解できていず、この度の題材についてはお手上げ状態でした。
 わからない時の私の癖は、恥ずかしながら耳かすを取ってみたり、鼻をかんでみたりと落ち着きません。どうやっても言葉が出てこないのです。語彙力の乏しさとイメージをしようと意識を向けた時のわかりたくない頑固さ故でしょうか。
 大分タイムラグがありますが、やはり今の自分の状態もわかりますので書いてみようと思います。

「物の見方」のテーマは、1月16日のフェイスブックの御記事を澤谷先生が音読してくださるところからスタートです。

 物の見方には三つある。

① 見の眼(けんのめ)
② 観の眼(かんのめ)
③ 心眼(しんがん)

① の「見の眼」とは、肉眼でみたもの。
② の「観の眼」とは、心の眼でみたもの。
③ の「心眼」とは、見切るもの。隻眼(せきがん)、第3の眼。

 澤谷先生からそれぞれの意味の説明があり、『人生を見つめる上ではこの三つの眼が大事である。』と言われました。

 このテーマに沿って、参加者各人の実生活と照らし合わせていきます。
 最初は、皆、①②③それぞれを実体験と照らし合わせ検証してみますが、理解しようとするとこの3つの眼はごちゃ混ぜになります。

 そのうちAさんから、「自分は、〈見の眼〉つまり肉眼で見たと同時に〈観の眼〉つまり心の眼が発動している。」と、ご自身の日頃の御生活から分析されました。こんな時にいつも座談会の場の良さを感じます。一点集中になりがちな見方、考え方が間違っていると言われるのではなく、他の方のご意見からもつれた糸が自然とほどけていくのですね。今回もAさんのお話から三つの眼を夫々分けて考えてみたものの、実は肉眼で見たと同時にその人の感情が動いて見ているという状態に気づくことができました。その人の経験、体験に基づいた価値で判断をしているということです。それもその判断は個々人皆違うのもの。観の眼とは、心の眼であり、澄んだ眼で見れば済んだように物事が見え、濁った眼で見ているときは対象のものも濁って見える。
 途中、澤谷先生は「観の眼は心のグラデーションのどこで見ているかで、コロコロと変わるものである。」と補足してくださいました。
 そして、三番目の「心眼」です。「心眼」も心の眼と書きますが「真眼」と書いても良いのかと思いました。よく耳にするのが額の真ん中にある見えないものが見える第三の眼。先生の記事を一部抜粋させていただきますと「オカルトやフィクションでは超能力と言われるが、これを武術で例えてみると、相手の動きを事前に察して動くこと。目や耳の感覚器で知覚することが出来ない情報を経験と想像力で推論することによって見えない物の具体的な形質や挙動を把握すること。武術においては相手の挙動を予測して行動することで相手を制することを心眼で見切ったなどと表現している。」とあります。

 なるほどとうなずきながらもこのような意識をしたことがないので、対岸から遠くを眺めているような気分です。もう少し深めるためにPCで少し調べてみました。
 あるサイトでは三つの眼ではなく、二つの眼として紹介がありました。一つをエゴの眼もう一つを見切る眼。「見の眼」「観の眼」は無意識に一緒に発動しますので一つとして考えるならば、それらは自分が自分がとエゴで見聞きしている状態。それに対して「心眼」は丹田で見る。この見方は納得がいきます。
 また宮本武蔵の「五輪書」の中の水之巻の中の「観目の目付」としての紹介サイトも見つけました。「観の眼・見の眼」は宮本武蔵の剣術から主に武術のサイトで使われているようです。夫々を深く読み進めてはおりませんが、ここまで書いてみますと、この「心眼」を養いたいと考えるのが人として大事だとわかります。養いたいと申し上げるならば、それは現実には養われていないということ。「観の眼」で見ているときは、見たくないものは見ず、見たいものだけを見ている。全体を見ていない。それならば人としてエゴを超えて心の眼で物事を見ることができるようになりたい。「心眼」は本来ならば皆が持っている能力のようです。
それを養い見切ることができるようになる為には、修練が大事である、その為には見るべきとことをしっかりと見る。これを積み重ねていくとすべてが統合して見えるようになるとあるサイトにありました。
 現状「心眼」が養われていないならば、いつもエゴの眼=澄んでいない観の眼で見ているわけです。するとグラデーションの濁っている部分一点にいるのかと勘違いしやすいですが、感謝の気持ちが湧いて来た時は澄んだ眼になるのでしょうか。そして花を愛でたりカルガモの親子に感嘆する様、赤ちゃんを唯々可愛いと想う様は心眼でしょうか。
 座談会では具体例も出てきたのですが、どれがどの見方なのかまだ理解できておりませんので、今回は割愛させていただきます。

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コメント

心眼人からの学びのシェアを授かりました。
とても分りやすい文章でした。
そして、NAOKOさんの探求する心を強く感じました。

Aさんが仰られたように
私も、『見の眼』と同時に『観の眼』が
発動していることの多さを実感しました。

そして、自分にとって
マイナスな感情を抱いているものごとも
自分が見たくて見ているという話に
衝撃を受けました。

自分としては、感じたくない感情を
自分が望んでいる。信じがたいことです。

でも、それが真実であるならば、私は何の目的で
感じたくない感情を引き寄せたのか?
それを見つめる必要性を感じました。

私が望む目的を理解し、受けいれ
そして、手放したならば
少しでも心眼に近づくのではないかと
私は感じました。

NAOKOさんが色々調べてくれたことを
惜しげもなくシェアしてくれたお陰で
実りある時間と情報と学びを得ることができました。


NAOKOさん
貴重な学びのシェア
ありがとうございます
よし [URL] 2016/02/18(木) 14:43 [編集]

暖かく優しい心
とても興味い記事をありがとうございます。

私は、エンパス体質で随分、大変な思いをしたことがありました。他人が自覚していない抑圧感情を自分の痛みとして感じて苦しんでしまうというものでしたが。

これは観の目は働いているけれど。エゴの目を脱してはいない状態だったと思います。

そこに。その痛みを自らに溶かし込み浄化できる器ができ。自分をゆるし相手をゆるし。心穏やかで暖かく優しい心の状態を保てるようになると。とっても楽になりました。

難しく考えずに。自分が幸せで周りも幸せな心の状態を普段から保てるようにしていくといいのかなと思いました。

ありがとうございます。
りん [URL] 2016/02/19(金) 18:06 [編集]

よし様

2月18日にコメントを頂戴しましたのに、ご返信もできず大変失礼をいたしました。
言い訳が見苦しいですが、こちらの事情でネットが繋がりにくい環境におりました。

拙文に対してコメントを頂戴しましたこと、改めてお礼を申し上げます。

「見の眼」「観の眼」は、頭で考えてみると、Aさん、よし様が仰るように同時でありますね。
自分で文字にしてみた時に、これを変に意識をすると行動がおかしくなりそうだと苦笑をしてしまいました。

>マイナスな感情を抱いているものごとも
自分が見たくて見ているという話に
衝撃を受けました。

私もこの言葉を初めて聞いた時には心底驚きました。
このことを体感経験することで、自分の切り替えができれば次に来る喜びが大きくなると解釈をするのでしょうか。まだ学びの途中です。徐々に変わりつつありますが、「仰る通りです。」とは書けないところがもどかしいです。

よし様はそのあと続けて書いてくださったように、己が心眼を求めるならば、きっといつかその喜びに出会うことができると今は私も信じることができるようになれました。

また、澤谷先生のブログでの他のコメントも拝読させていただきとても参考になります。いつもありがとうございます。

よし様の良き展開、良き人生を、祈念させていただきます。
NAOKO [URL] 2016/02/21(日) 14:44 [編集]

りん様

この度はコメントを頂戴しておりましたのに、ご返信が遅くなりまして大変失礼をいたしました。先のよし様にも書かせていただきましたが、見苦しい言い訳ですが、
ネットの繋がりにくい環境におりました。どんな事情があっても繋いでいかれるよう工夫も必要だと痛感いたしました。

改めて、拙文へのコメントありがたく頂戴いたします。

りん様はエンパス体質とのことを書いてくださいました。この言葉は主にスピリチュアルのお話の時に使われるのでしょうか。恥ずかしながら、どうも頭が古く横文字の理解が微妙である私自身の新発見です。
私はスピリチュアルなことを深く学んでおりませんが、こちらの言葉は聞いたことがあります。大変な思いをされたのですね。

他人が自覚していない抑圧感情をご自身の痛みとして感じてしまうということは、りん様も大変お苦しかった時期がおありだったと想像できます。

私もスピリチュアルで助けていただいたときは自分の体質というものを考えてみたことがありました。新しい言葉の意味が上手く受け取れず途中で断念してしまいました。

りん様の書いてくださった、人の痛み、自分のエゴのところは私にとってもキーワードなのです。「自分を許し相手も許す。」「今は穏やかにお過ごし」とのこと。私にはまだまだ足りていない部分です。引き続き学んでいきたいと思います。
いつも澤谷先生の他の方へのコメントを載せてくださり、私も気づきを頂戴しております。ありがとうございました。
NAOKO [URL] 2016/02/21(日) 15:05 [編集]

NAOKOさま
エンパス体質について説明が足りずすみません。

他人の隠している痛みや怒りや悲しみが、
自分の痛みとしてわかってしまうとか。
うまくいえないのですが。

その自分が感じる痛みを相手に伝えて、
相手がそれにちゃんと氣づいてくれると。
スッと軽くなったしますが。

拒絶したり無視したりすると。
こちらの痛みがそのまま続いたりしてました。

自分が楽しく明るい波動を発していれば。
同類の波動は引き寄せにくくなり。
いまは穏やかに過ごせてます。

自分にとっては感じたままを表現していても。
周りから見れば、思い込みの世界で暴れているようにしか捉えられなかったりもしますから。

ちゃんと周りにもわかり相手にもわかるような、
愛と智恵をもった言葉にすることが、
心眼を養うことでもあるのかなと思ってます。

「大変で辛い時期もあったでしょう。」

この言葉、ただただ、有り難いというか。

いつも、わかってもらえないという頑なさを。
持ってましたから。こんな共感の言葉をかけていただいたら。なんといっていいかわかりません。

ありがとう。ありがとう。
ほんとにありがとう。

私も。そういう共感のコメント書けたらいいなと思いました。感謝です。
りん [URL] 2016/02/21(日) 22:01 [編集]

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