お伝えしたいことは「運命は改善できる」ということです。
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02/24
一人出家すれば九族天に生まる
                     NAOKO

1月31日(日)の「スカイプによる座談会」は、昨日宇治にて開催されました『「澤谷鑛 & 杉本桂子 ジョイント講演会」in宇治』に参加された方の感想を澤谷先生が読み上げてくださることからのスタートです。
参加された方のご感想はまた改めて澤谷先生が掲載してくださるとのことです。
私はというと、あいにく講演会には参加できなかったものですから、様子もわからず皆さまの感想文の中の言葉を拾うことしかできません。
先生が読みあげて下さる内容を伺っていると、私も同じような疑問が湧き、同じような見方をし、そこの解釈を変えることにより今までの世界がガラリと覆されるのだと、まだ言葉の上で頭の中で理解しようとしている自分がいることが分かります
その感想の中で何度か耳にしてきたフレーズが耳に残り、先生に改めて質問させていただきました。
それは『一人出家すれば九族天に生まる』(いにちんしゅっけすればきゅうぞくてんにうまる と読むのだそうです)という言葉です。
このお言葉は座談会で何度か先生から説明も聞いていたのですが、最初は、自分とは関係ないものと聞き取ることすらできなかったのでした。しかし恥ずかしながらようやく教えていただく準備が整ってきたのでしょうか。今回改めて先生に意味を伺ってみることにしました。全く時間がかかり困った生徒です。
この言葉は仏教の言葉だそうです。先生は、出来の悪い生徒の為にゆっくりと説明してくださいました。
それでも理解できているか自信のない私は自分の解釈が違うかもしれないので再度調べてみました。

高野山の御坊さんが書かれた文章を見つけました。
下記一部抜粋。

〈供養とは、ただご霊前に灯明を掲げ、香を手向け、花を供え、経文を唱える事ではなく、後に残った人々の生き様そのものが、まさに供養となるのです。

私達の命は、亡くなったご先祖様の命と深くつながり、私達が救われる事は、ご先祖様の救いへと繋がっているのです。

仏教に「一人(いちにん)出家すれば九族天に生まる」「一子出家すれば、七世の父母(ぶも)皆得脱(みなとくだつ)す」と説かれているのはその為で、ここに供養の真髄がはっきり示されています。

ここに言う出家とは、得度して形だけの僧侶になる事ではなく、在家であれ、出家であれ、心が救われ、人生の生きる目的(使命)に目覚めた人の事を言います。

ですから、「一人出家すれば九族天に生まる」は、「一人救われれば九族天に生まる」と、「一子出家すれば、七世の父母皆得脱す」は「「一子救われれば、七世の父母皆得脱す」と言い換える事が出来ます。

何故一人が救われれば、七代、九代前の父母までもが救われるのかと言えば、人の生命は肉体の死では終わらないからです。

菩薩様は、
  肉身の 生死(しょうじ)を見るは愚かなり
    心の生死を 生死とぞいう
  人はみな 迷うがゆえに幽霊と
    なりて三途の 川を越えゆく
 と詠っておられますが、心が生きているか、死んでいるかは、心が救われているか、救われていないかで決まります。

ご先祖様が迷ったり苦しんだりするのは、ご先祖様の心が救われていないからですが、そのご先祖様の心と私達の心は、肉体の有無に拘らず、いつも繋がっているのです。

繋がっているからこそ、私達が迷い苦しんでいる時は、ご先祖様も迷い苦しんでおられます。

私達が救われれば、私達と繋がっている全ての人々が救われ、私達が救われた波紋が冥界へと波及してゆき、七代、九代前の父母までもが救われていくのです。〉

とありました。不勉強な私はやはり人様の言葉を貸していただくしか今は文章にできません。
澤谷先生のご説明とは少し違いますでしょうか? ご先祖様9代ではなく、自分も含め、ご先祖様4代ご子孫4代という解釈を先生は話してくださいました。どちらの解釈であっても今までに想いをはせたことのない広がりの中に身を置くようです。
自分が生まれてきた意味を真剣に考えてみたことがあったでしょうか。
親、祖父母、そして自分の子供、孫までも意識を向けたことがあったでしょうか。9族とはまだその先もあるのです。
すると澤谷先生の仰る『絆』という言葉も調べたくなります。
国語辞典には「絆とは、人と人との断つことのできないつながり」とあります。親から生まれた自分、親はその両親から生まれ、その親もまたその両親から生まれ、子供もまたそのように繋がっていきます。「断つことのできないつながり」。ご先祖様、ご子孫、まさしくその通りです。「絆」で結びついているのですね。もしそのつながりで代々繰り返されている負のスパイラルがあれば、どこかで断ち切りたいものです。自分の代でおしまいにする。自分の絆を改めてよく観察し考えてみたい。
その流れで日常生活の中での変化を具体的に話してくださる方がいらっしゃり、そのコメントとして客観視してくださる方もおいでで、言葉も思考も整わない私はついていくのがいつも大変ではあるのですが、聞かせていただいた新しい言葉をメモをとりながらなんとか消化しようともがいております。今回も具体的に話してくださったAさんですが、澤谷先生とのやり取りでは、そこまで意識を向けるとはと唸ってしまうほどです。そして一瞬はっとさせられるような身を正すような感覚に教われます。また、他の方の感想が鋭く「変化のスピードが早く、モタモタしているのは自分だけ。」「この場でわかってきたことは人とは信頼関係を築くのが大事であるということ。それなのに現代社会はそれが希薄である。」「澤谷先生は座談会の場を楽しむと良い、言われるが、この場は傷の舐めあいをしないところが心地よい。」「他では怖くて怒られるからと言えないことが、座談会の場はたてまえが邪魔をしないのでなんでも話せる。」「お互いを練り上げているように感じる。」等々最後は座談会の感想も沢山でてきておりました。こうあるべきと決めようとしない、形のないものの中に真理があるのがぼんやり感じられる場に、身を置かせていただいている幸せをシミジミ感じるお時間です。ありがとうございました。

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コメント

あなたは照らしている
NAOKOさんの文章を受けて
コメントする際に感じたことがあります。

それは、自分のタイミング
自分のペースがあるということです。

『一人出家すれば九族天に生まる』の言葉を
何度か聞いていたけれども
やっと教えてもらう準備が整ったと書かれていました。

またスカイプによる座談会の感想の中で
『変化のスピードが早く
 モタモタしているのは自分だけ。』
と言われた方のコメントもありました。

自分に起こることは
すべて絶妙なタイミングで起こっている。
そして、自分のペースこそが今の自分の周波数に
あったベストなペースである。私はそう感じました。

私も、『一人出家すれば九族天に生まる』という言葉は
今までに何度か目にしてきました。
今回、NAOKOさんが書いてくださるまで
読み方も間違っていました。

また、意味など分かっていませんでした。
それどころか、深く知りたい欲求も湧いていませんでした。
ですが、今回、知ることができました。
これがきっと、私のタイミングだったのでしょう。
ですから、NAOKOさんには感謝です。

自分は切っても切れない絆で結ばれている。
そして、自分を含めて、九代にわたり影響している。
そう考えると、自分一代としての人生を考えるよりも
身を正される思いが出てきます。

と同時に、自分は何をするべきか
自分はどうあるべきかを今までよりも
深く見つめるきっかけになりそうです。


NAOKOさん
深く学ばれている姿を
そして、学びのシェアを
ありがとうございます
よし [URL] 2016/02/24(水) 10:54 [編集]

供養
今回、一番、響いた言葉は、
供養は生きている子孫、すなわち自分の心が救われて。その救われた波動が御先祖さままで広がっていくということでした。

自分の心を自分でちゃんとみてあげる。
自分の心をまず愛で満たしてあげる。

これを意識していますが。
自分でも子どもでも、御先祖さまでも、親でも夫でも、今世でご縁を結んだ師でも仲間でも友達でも。

みんなみんなみんな。ちゃんと氣もちを受け止められ、愛され癒されたとき。自分も価値ある存在だと思えたときに救われていくのでしょうね。

自我意識を超えていくと。自分の都合から相手や物事をみるのではなく。相手の立場や氣もちに思いを馳せられるようになり。
場を照らすことができるようになり。

その愛の波動が、時空間を越えて伝播していくのでしょうね。

本来の自分の本質というのは。
そうなんだと確信して。

いまの自分の不完全をみて。
外していけるといいなと思いました。

ありがとうございます。
りん [URL] 2016/02/24(水) 19:04 [編集]

同じような思いです。
よし様

いつも、暖かく、またこちらに新たな気づきをくださるコメントをありがとうございます。
座談会での感想を書いてはみるものの、毎回理解出来ていない事が明確になるだけで、よしさんの仰る自分が知るタイミングがあるのだろうなと、痛感しております。「神様、早く全部教えてよ。」と気の短い私は、時に焦るのですが、神様はニンマリ笑って、「のんびり行こうや」とはぐらかされます。
しかし、知りたいと思う気持ちが何処かにあれば、いつかそれは自分に訪れてくれるのだろうと今は確信しております。

よしさんは、どんな時に「絆」を感じますか?
私は、本当にまだまだ「絆」が感じられるには時間がかかりそうです。でもきっとベストなタイミングで神さまが教えてくださると思っております。

よしさんの、毎回のコメントには頭が下がります。ありがとうございました。
NAOKO [URL] 2016/02/25(木) 07:00 [編集]

供養
りん様

いつも貴重なコメント恐れいります。
今回は、先ず《供養は生きている子孫、すなわち自分の心が救われて。その救われた波動が御先祖さままで広がっていくということでした。 》の文面に心奪われました。毎回分からないことを感想として文字にさせていただくのですが、それでも深まるのは遅いのです。りんさんのコメントの一文で、供養と波動の言葉が繋がりました。
私は家にお仏壇があるのですが、お仏壇の掃除も御墓参りもルーティンワークのようになりがちなのを感じていたのです。それでも、お掃除、仏様に手をあわせることが供養だと思ってやっておりました。よ〜く考えてみると、生きている私達が明るく幸せでいる姿であることが先に亡くなられた方々が彼方の世界でホッとして見ていられることになるのですよね。頭の固い私は、仏様の為に幸せになろうとするとも考えがちですが、これは本末転倒ですね。

今、両親の体調不良で実家に来ているのですが、亡くなった方への気持ちもさることながら、生きている間に親、自分、今の家族との絆を太くしたいしなやかにしたいと思いながら、りんさんの書いてくださった「自我意識」の言葉そのもので動いてイライラしている自分を見ていて、明るくなれずにおりました。私にとっては、「目を覚ませよ」と言われているようなコメントでした。有り難かったです。m(_ _)m

NAOKO [URL] 2016/02/25(木) 07:53 [編集]

利他行
私が浄土の門では「一子出家すれば九族天に生ず」といいます。

出家とは何か?
仏に帰依するかの利他行ではないでしょうか。

仏力、大光を演べて、あまねく無際の土を照らし、三垢の冥を消除して、広くもろもろの厄難を済はん。
かの智慧の眼を開きて、この昏盲の闇を滅し、もろもろの悪道を閉塞して、善趣の門を通達せん。

功祚、成満足して、威曜十方に朗らかならん。
日月、重暉を戢めて、天の光も隠れて現ぜじ。
衆のために法蔵を開きて、広く功徳の宝を施せん。
つねに大衆のなかにして、法を説きて獅子吼せん。
一切の仏を供養したてまつりて、もろもろの徳本を具足し、願と慧ことごとく成満して、三界の雄たることを得ん。
天成 光 [URL] 2016/02/25(木) 18:29 [編集]

絆を感じる時
NAOKOさん
コメントありがとうございます。
読んでいて嬉しい気持ちになりました。

文章を読ませいただいた上に
コメントまでいただけるなんて
なんて贅沢なのでしょうか。
ありがたい限りです。

NAOKOさんより
どんな時に「絆」を感じるかという
投げかけがありましたので
今の私の感じるところを書かせていただきます。

正直申し上げますと、明確にお答えできません。
きっと、まだよく分かっていないのでしょう。

もう少し掘り下げてみると
「有の無知」から「有の知」の状態になったところです。
絆があることを知らない状態から、絆があることを知った状態に。
しかも、体験で知ったのではなく、頭で知った状態。
そのようなところなのではないかと、感じています。

でも、こうも感じています。
誰とでも、何とでも絆があるのではないかと。
もしかしたら、縁のことを言っているのかもしれませんが
私の中では、一応、絆と捉えています。
それはどういうことかと申しますと
NAOKOさんとは、直接お会いしてはいませんが
何かのご縁で知り合うことができました。
今言えることは、心の周波数が合っているからこそ
知り合うことができたのだと感じています。
心の周波数が、今のタイミングで会うまでには
今のNAOKOさんでいるために関わった人たち
影響を与えてきた人たち、または、ものごとがあったはずです。
そして、今の私でいるためにも同じようにあったはずです。
それらがなければ、お会いできなかったわけですから
直接、やり取りをしている人だけに絆があるのではないと
感じるのです。

静かな状態は、音がしないとも言えますが
無音の音とも捉えることができます。

極端に言うと、縁のない・絆がないは
縁の見えない縁・絆が見えない絆とも言えるのかなと。
頭を通さずに、思いつきで書いていて
つじつまが合わないところがいっぱいあるかもしれません。
でも、今、このようなコメントが出てきました。




よし [URL] 2016/02/25(木) 21:48 [編集]

NAOKOさま
NAOKOさま。返信ありがとうございます。
よしさんの返信をみて感じるものがあり、返信を書いてみますね。

「記事を読ませていただいたうえに返信まで」

丁寧に記事に向き合われて。丁寧に相手に心遣いしながらコメント書かれているのでしょうね。

この言葉が出てくるから。
皆様の共感を呼ぶのでしょうね。

仏壇供養のこと。私もルーティンワーク的になりがちなんですよね。

そうして。供養の意味が響いたのは。
ここで友達が変容していくのをみてきているからかもしれません。

私自身でいえば。両親のことや過去の感情がどうのこうの言わず。いまを精一杯、いのちを輝かせて生きることなんでしょうね。

澤谷先生にいわれたことがあり。

「あなたの周りは、あなたがいることで良くなるのだけど。あなた自身がなかなかねぇ(笑)」

自分のなかの小さな光を。
みつめるというか探すというか。

癖は、人に認められて社会化できたとき。
個性になるそうなんですが。

「あなたの場合、なかなか、なかなか(笑)」

なんだそうです(・・;)

「人に変わってほしいことがある。」
と言わせるものなんですよね。

響くものを見いだしていただき感謝です。
記事の誠実さと、コメントの優しさ。
心に響きます。ありがとうございます。

りん [URL] 2016/02/26(金) 20:15 [編集]

コメントいただきましてありがとうございました。
ご返信が遅くなりまして失礼いたしました。

ごめんなさい。自分の書いた記事ですらまだ喉元におります。
天成様のコメントは私には難しゅうございます。

頭が悪く理解が困難でございました。
いただきました文章を中学1年生の英語の授業を受けているように、意味を調べさせていただきました。


下記のような記事を見つけました。 〈利他行〉についてです。

⇒自らの生きがいは自らのやりたい事のなかには存在しません。他を利(り)して人さまに利益や感動を与える態度・行動の中にこそ輝く人生の生きがいが存在するのです。自らの光り輝く人生の具現化は、周りの環境をよくして周りを幸せにしてゆく行動の延長線上にあります。やさしく・親切・丁寧な言霊(ことだま)を発して利他行に徹してみましょう。新たなる目標・清浄なる目標が必ずあなたの前に現れます。いのち輝かせ、こころ光らせて周りの人さまに奉仕しましょう。素晴らしい人生の幕開けです。 仏教の行には自利行と利他行があります。

ここまで転記させていただきました。

また、以下の訳は別の記事からです。言葉がわからず注釈をいれさせていただきました。

仏力、大光を演べて、あまねく無際の土を照らし、三垢の冥を消除して、広くもろもろの厄難を済はん。
訳 >不思議な力で大光をなし、普く(あまねく)全ての世界を照らし、三垢(さんく)(〘仏〙 人間の心身をけがす三つの煩悩(ぼんのう)。貪欲(とんよく)・瞋恚(しんい)・愚痴。三毒。)のくらさを消し除いて、広く生きとし生けるものを救いましょう。
※瞋恚とは腹立ちの意

かの智慧の眼を開きて、この昏盲の闇を滅し、もろもろの悪道を閉塞して、善趣の門を通達せん。
訳>彼の智慧の眼を開き、このくらやみを滅して、もろもろの悪の道を閉塞し、善門を通り善に達しましょう。


功祚、成満足して、威曜十方に朗らかならん。
日月、重暉を戢めて、天の光も隠れて現ぜじ。
訳>仏と成り満足し、威容はあまねくほがらかに、日月の光も、天界の光も、見劣りするものといたしましょう。

衆のために法蔵を開きて、広く功徳の宝を施せん。
つねに大衆のなかにして、法を説きて獅子吼せん。
訳>生きとし生けるものの本性を開き、広く功徳の宝を施して、常に多くの中で、獅子が吼えるように説法をしましょう。

一切の仏を供養したてまつりて、もろもろの徳本を具足し、願と慧ことごとく成満して、三界の雄たることを得ん。
訳>すべての仏を供養して、もろもろの徳の本とともに、この願いと思いでことごとく満たし、全ての世界で通じるものとなりましょう。

ここまでコピーさせていただきました。まず全体を読み解くのが難しいです。日本語ですので文節、単語から意味をポツリポツリと感じることはできますが、腹の中には落ちてきませんでした。身内の法事では何度も何度もお経を聞いているのにも関わらず、何をしていたのでしょう。

ボランティアではなく、他者を助けることを理解できますか?みずからを救うことが他者を救うことになるのですよ。
愚痴を言わず明るく生活をしましょう。との解釈まででした。今の私の頭の中ではこちらで精いっぱいです。

「奉仕」。人の為と思って今までしてきたことが、実は自分の不安や恐怖からやっていたことだとやっと気づきました。では、どうしたら本物の利他行を積むことができるのでしょうか。課題を頂戴しました。ありがとうございました。
NAOKO [URL] 2016/03/02(水) 09:34 [編集]

天成 光様
天成 光様
 
 過日はコメントをいただきましたのに、ご返事が遅くなりまして申し訳ありませんでした。

一つ前のコメント欄に、わからないながら拙文を載せさせていただきましたが、なんと、お名前欄を間違えて送信してしまいました。澤谷先生にお願いしまして、自分の名前の欄は直していただきました。

宛名を改めて 天成 光様 とさせてくださいませ。

大変失礼をいたしました。
NAOKO [URL] 2016/03/02(水) 10:48 [編集]

地蔵菩薩は出家僧のモデル
NAOKOさん、律儀な返信をありがとうございました。
あなたは、とても誠実な印象で感激しました。

仰るように、仏教は難しいですね。
この前コメントさせて頂いた「出家」に纏わること、
せっかくですので少し噛み砕いてお答えしましょう。


私は浄土真宗の僧で、一般にいう「坊さん」なのですが、
じつは頭を丸めていません。
意外かもしれませんが、浄土真宗のお坊さんは
殆んどの僧が髪を剃らずにいます。

これは、親鸞上人が俗世の僧侶であったことからの慣わしといわれますが、
浄土真宗の僧侶が仏事に専職していながら髪を剃らないスタイルは、
世間からは「葬式仏教」などと屈辱的ないわれ方もして来ました。

そういう境遇にある僧として、私にとって
「出家とは何か?」
「九族までもが天に生ずる功徳とは?」
これは、長年の自問であったのです。


ある時、真言宗の年配の御僧にご縁があり、かの自問にこう答えて頂きました。


「清水の舞台から、身命を惜しまずに飛び降りる気概が、あなたにはありますか。それが出家というものです。地蔵菩薩に倣いなさい」


地蔵菩薩とは、誰しも知っているお地蔵様です。

地蔵菩薩は、人界、修羅界 、畜生界、餓鬼界 、地獄界へと
自ら下りていって、諸々の苦しむ魂を供養し、浄土に導くとされています。

「一子出家すれば九族天に生ず」

ぞくにいう「出家」とは、「僧侶」に成ることを差しますが、
その「僧侶」のモデルといわれるのが「お地蔵様」なのですな。

そして人間の魂を救う利他行は、NAOKOさんもご自分で仰っていらっしゃるように、己が先ず仏に成ることからが始まりです。


私は坊さんですので、カウンセリングの世界とは見識見解に違いがあるかもしれませんが、参考にしていただければ何よりです。


あなた様の人生が、弥陀の光に護られ耀くことを、お念じいたします。


地蔵菩薩
http://www.butuzo.jp/wp-content/themes/cms/img/colection2012112000028.jpg
天成 光 [URL] 2016/03/03(木) 12:06 [編集]

ご法話恐れ入ります。
天成 光様

 時間がたってしまっておりましたのに貴重なコメント頂戴しましたこと 恐れ入ります。


いろんなカウンセラーさんがいらっしゃるなか、何故、言葉が難しい澤谷先生に惹かれてしまうのだろうと思っておりました。

外国語の横文字も漢文もお経もどれも私には難解です。

どれも理解ができないのに惹かれるものがあるということは
「自分の中にある知りたい本物」をキャッチさせてくださる何かを感じているからお近づきになりたい。
今初めてはっきりしました。

そのご縁で、私にもそしてこちらを読まれている方々にも、このような貴重なご法話を頂戴できるなんて、なんて幸せなのでしょう。

天成様は 浄土真宗の御坊様でいらっしゃるのですね。頭髪の事を書いてくださりはっとしました。

私事ですが、嫁ぎ先では義父母は病気がちでした。
ご自分のお体がわかっていらした義母は自分で買った墓地に、私が嫁いで一年も経たずして入られました。そしてその2年後には義父。
語弊が生まれるかもしれませんが、それはそれは、親戚を呼んでのあわただしい位の法事を近年までしてまいりました。もう亡くなられた方への気持ちを横において、働きながらみなさんをお呼びするその忙しさ、子育てもあり忙殺されておりました。

お世話になっているお寺さんは浄土真宗です。
そちらの御坊様も頭髪は、天成様が仰る通りです。
御坊さまが髪を剃らないことには
現代だからこそと勝手に解釈しておりました。
頭髪には、親鸞聖人が俗世のお坊さんだったからとのいわれがあるのですね。
もう長いことお世話になっているのにも関わらず存じ上げませんでした。

世間から屈辱的なことをいわれてきた、古い歴史も存知あげませんでした。

「出家」とは「僧侶」になること。「僧侶」のモデルは「お地蔵さま」。
自らが仏となり、過去も未来にも光を投じる。苦しんできた魂をお花畑へ。
それはみずからがおのずからに成る瞬間。

閉ざしていた心の扉が開き始めたら、こんな素敵なご縁が待っていてくれました。

思わず自分の身内の事を書かせていただいてしまいましたが、義父母の死を早すぎると思っておりました。
安心してあちらの世界に行かれたのだと考えられるようになりましたが、私たちに伝えたいことは沢山あったのだろうと感じます。

こちらの記事をシェアさせてくださいませ。
何度眼を通させていただきましても、自分の体に入ってくるのには時間がかかりそうです。貴重なお話をありがとうござました。
合掌させていただきます。
NAOKO [URL] 2016/03/03(木) 14:59 [編集]

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