お伝えしたいことは「運命は改善できる」ということです。
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03/06
足るを知る
           澤谷 鑛

「3.11の震災以降、風が変わってきていますね。」
 メールの最後に、私は付け加えるように書きました。
 すると野口嘉則さんからは、
「そうですね。“足るを知る”的な生き方に魅力を感じる人が増えているのかもしれませんね。」
 と、返信がありました。

“足るを知る”について考えてみました。

知人者智    人を知る者は智
自知者明    自ら知る者は明
勝人者力    人に勝つ者は力有り
自勝者強    自ら勝つ者は強
知足者富    足るを知る者は富む
強行者志有   強(つと)めて行う者は志有り
不失其所者久  其の所を失わざる者は久し
死而不亡者寿  死して亡びざる者は寿(いのちながし)

 これは、老子の「道徳経」の言葉ですが、

人を知る者は智者と言える。
自らを知る者は明、即ち、物事を見分ける力がある。
人に勝つ者は力がある者であるが、自分に勝つ者は強い者である。
何事においても、足るを知る者は常に豊かであり、志有る者は努力する。 
それぞれのその本性を失わないものは、長くとどまる。 
死んでもなお亡(ほろ)びないものこそ、いのちは長い。

 書き下すとこのようになります。
 不平不満は、足るを知らないところより生じ、その想いより生じるものは、大きな禍を生じずとも、人の心を貧しいものにしていきます。「知足者富」というのは、足るを知る者、つまり、満たされない想いが無い人こそ豊かな人、真の「富者」である、ということになります。
「足るを知る」価値を知り、「志をもって努力する」価値を知るならば、死んでもなお亡びないいのちを響かせることになるのでしょう。
《老子の思想は、往々にして弱者を擁護し、敗北者を慰める趣旨と考えられている。しかし、それはまったくの誤解であって、むしろ強者、あるいは強者たらんとする人に対する訓戒を第一義とするものである》『老子入門』(楠山春樹著 講談社学術文庫)
 という考え方は、研究者の間では常識といわれていることなのだそうです。
 極端ですが、震災に遭われて苦悩されている方に「足るを知る」ことをいうのは、確かに誰も納得しないでしょう。

 また、老子は、「識っている」ということは、「知っている」とは限らない、というようなことも言っています。「足るを知る」と言うことこそ「足るを知らない」ということでもあるのですが、自分で満足するわけでもなく、それを人に押しつけるわけでもないのです。その場、その時空間との対峙の中で追求することで、その中で過分な欲を捨てるということを言っているのでしょう。否、この解答もこの時空間でのものであり、永久不変なものではなく、一時的なものなのかもしれません。

道可道、非常道。名可名、非常名。無名、天地之始、有名、萬物之母。
故常無欲、以観其妙、常有欲、以観其徼。

道の道と可きは、常の道に非ず。名の名と可きは、常の名に非ず。
名無きは、天地の始めにして、名有るは、万物の母なり。
故(まこと)に常に欲無きもの、以(もっ)て其の妙(みょう)を観(み)、
常に欲有るもの、以て其の徼(きょう)を観る。

“足るを知る”ということでは、老子のいうように「其の妙を観」るということなのでしょう。

“足るを知る”は、禅の「吾唯足知(われただたるをしる)」にも語源があります。

澤谷 鑛 のカウンセリングは、コチラ…
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コメント

自分との調和 人との調和 周りとの調和
自分がして欲しかった愛情や情熱を人に向け、その価値を理解して欲しかったり、本当は感謝が欲しかったり、ごめんなさいが欲しかったり。

そんな感じのところを体験して。
それを手放すという学びをしてます。

相手の感じ、場の感じが、その時その時の時空間とするなら。

本当はこうしてくれたら嬉しいんだけどなぁ。
これが、足るを知らない部分であり。

でも、自分はいま、こういう言葉をかけられたいんだなぁ。こういうふうに謝って欲しくて、こういうふうに感謝してもらいたいんだなぁ。

と、自分の氣もちを自分で感じていくと。
満たされてくるんだなぁという体験をしてます。

自分は自分のままでよくて。
人は人のままでよくて。

自分のエネルギーはこういう流れ方をするんだな。
人のエネルギーはこういう流れ方をするんだな。

こうして欲しかったなという思いはまた、
あの人が自分にこうして欲しかったんだなという氣づきになり。

自分はそうはしたくないと、振りほどいてしまったままの状態になってるなとわかり。

その人の氣もちを、じっと感じて。
心の中で調和させていくことをしてます。

思うようにいかないことは学びであり。
周りの人の幸せと自分の幸せがどういうふうに調和していくのかを模索してます。

ありがとうございます。
りん [URL] 2016/03/06(日) 07:14 [編集]

足るを知るとは、
深い言葉が記されていると感じたので
ノートを取り出し控えさせてもらいました。

きっと、真意は汲み取れていないでしょう。
でも、書き記すことで振り返ってみたときに
同じ文章を読んだときに
私がどう理解するのかが楽しみでもあります。

一番心に残った言葉は
『「足るを知る」と言うことこそ
 「足るを知らない」と言うことでもある。』でした。

この言葉の意味を心のなかに
留めておける人であり続けたい。
そう感じました。


澤谷鑛先生
足るを知るの深いお話
ありがとうございます
よし [URL] 2016/03/06(日) 14:23 [編集]

りんさん。

足るを知る、というのは、「自分との調和」、「人との調和」、「周りとの調和」という、和するということですね。同ずるのではなく……。そういう結論、いいですね。
澤谷 鑛 [URL] 2016/03/06(日) 15:17 [編集]

よしさん。

【また、老子は、「識っている」ということは、「知っている」とは限らない、というようなことも言っています。「足るを知る」と言うことこそ「足るを知らない」ということでもあるのですが、自分で満足するわけでもなく、それを人に押しつけるわけでもないのです。その場、その時空間との対峙の中で追求することで、その中で過分な欲を捨てるということを言っているのでしょう。否、この解答もこの時空間でのものであり、永久不変なものではなく、一時的なものなのかもしれません。】
もう一度、読み直してみました。

澤谷 鑛 [URL] 2016/03/06(日) 15:21 [編集]

微妙
澤谷先生、非常に微妙~~~~(・・;)ですね。
自分の氣もちも大事、相手の氣もちも大事、周りの氣もちも大事ですからねっ(((・・;)

調和が顕れてくるといいですねf(^^;
りん [URL] 2016/03/06(日) 15:48 [編集]

もう一度がこんなに早く(笑)
自分が書き留めた文章を
読み返したときと思っていましたが

先生の粋な計らいに
思わず笑みがこぼれてしまいました。

ですが、きっとこの流れが
そして、この箇所が今この時になのでしょう。

ニスを塗って光沢を出すように
二度拝見することで深く染みいるのだと思います。


澤谷鑛先生
粋な計らい
ありがとうございます
よし [URL] 2016/03/06(日) 15:53 [編集]

過分な欲 本質
過分な欲、本質でないものは、壊れていけばいいですね。過分な欲は、同じながら絡み合い削りあい、だんだん本質が顕れてくるのかもしれないですね。

本質は、調和、愛、明るさ、朗らかさ、楽しさ。

過分な欲は、苦しさ、悲しさ、虚しさ、不調和。
明るみに出せば、本来、無いものは無いのでしょうね(^_^)

カウンセリングはみるものと心屋先生が仰います。本当にそうなのでしょうね。

ありがとうございます。

りん [URL] 2016/03/06(日) 17:06 [編集]

難しいですが、どの状況にいても学びはあるということでしょうか。

私もついつい、不平不満がでてきてしまうのですが、でもよくよく考えれば、不平不満がでるほど恵まれているのだなあと自分を反省しました。

不平不満をいわせてくださる甘えられる、信頼できる人間関係もあるのだなあと、つい最近感じたところです。

喜んでいきること、感謝していきること、本当に大切なことだなあと感じます。



「足るを知る」価値を知り、「志をもって努力する」価値を知るならば、死んでもなお亡びないいのちを響かせることになるのでしょう。


この御文章がとても心に残りました。
ありがとうございました。
エンジェル [URL] 2016/03/06(日) 20:27 [編集]

エンジェルさん。

コメントは、ほんとうにお久しぶりですね。

「どの状況にいても学びはあるということ」と書かれていますが、その通りですね。コメントしてもしなくても、学びはあるのですね。しかし、コメントする方がひろがりが出てくるのですね。学びに……。出会い、つながり、愛と信頼の絆でしょうか。
澤谷 鑛 [URL] 2016/03/06(日) 21:12 [編集]

澤谷先生 エンジェルさん
エンジェルさんの仰ること、まさにその通りなんですよね。はちみつさんにも言われましたが。
りんちゃんは、澤谷先生と桜さんに甘えているんだと(((・・;)

エンジェルさん。経緯は全部、書き尽くしましたが。法則や学びが腑に落ちてないときは。

澤谷先生よりも、私が絶対に絶対に絶対に。
正しいんだと思ってましたし。いまもどこかではそう思っているところがあり。

先生すら対極の価値観に触れながら、仏向上されていて。先生の先生はきっと、養成講座の皆さんであり縁を結ぶ人全員なんだろうと。本当は思ってます。

先生は真正面から少々体当たりしても大丈夫だと思うからこその信頼はあります。

私の仕事でもそうですが。職員どうしがお互い思ったことが言えない職場は結束が弱いです。ああでもない、こうでもないといいながら。

だんだん良い実践が他者の総和、場の総和でつくられていくので。この場でそれを実現しようと思ってます。

ありがとうございます。
りん [URL] 2016/03/07(月) 07:08 [編集]

エンジェルさんへ
不平不満が出る、不平不満をいわせていただける信頼関係ということですが。すみません。私に宛てられたものとして話をしますね。

桜さんも同じように「人を責め裁くのをゆるされている。自分がゆるしていると思う方がゆるされている。」と書かれてます。そして。「自分は人を責め裁くことができなくなりました。」とあるのだけど。

「人を責め裁いている」とみるのか。
「いろんな思いを感じながらも、治療者として致命的なことをした自分を、相手が丸ごとゆるそうとしてくれている」とみるのかは。

その人の人格や器の問題と感じます。

もちろん。すべてが自分の問題ですから。
自分がスッと立って、相手をひとり相撲の形に持ち込むのもその人の自由であり。その人の人格であり表現なんだと思います。

ただ、桜さんがやってしまった相手が。
影響力があり地位のある人なら。目に見えないエネルギーの話でも、すぐに謝罪しすぐに文章に自らと向き合う内容を書くと思うんです。

相手が甘えているという位置に置き。
自分がゆるしているという位置に立ちたい。

だと思うんですよね。

ということが、言える信頼関係というよりは。
ここは、澤谷先生の懐の深さだと思います。

私がどうしたいかというと。
本質でないものは、自分も相手も場も全部、根こそぎ外したい。ということです。

自分も相手も周りも、削られるものが全部、削られていけばいいと思ってます。

すみません。ありがとうございます。
りん [URL] 2016/03/07(月) 12:53 [編集]

エンジェルさんへ
批評は己を語る訳ですから。
私自身も相手と鏡の関係にあると思ってます。

桜さんも私も。カウンセラーマインドから人をみているのかもしれませんね。カウンセラーマインドというのは。ある意味、上から目線でもあり。

それぞれが自分がカウンセラーであり相手がクライアントと勝手に思っている妙な関係ですよね。

駆け出しの頃というのは。ペーペーですから。営業さんでいえば、お客さんの方が経験があったり。職員であれば、親御さんの方が子育ての先輩であったりしますよね。

プロと呼ばれる立場で失敗があれば。
責められながら生長していくのでしょうね。
治るまで言われ続けることは。私は。思いやりと思って有り難く受けることを心がけてます。
りん [URL] 2016/03/07(月) 16:50 [編集]

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