お伝えしたいことは「運命は改善できる」ということです。
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03/10
家系のデトックス(2)~父母のこと~
              真木野 貴子

先ず、父についてです。
父は幼いころから、父親が病床に伏しており、沢山の兄弟姉妹の長男として、厳しい生活を支えて来ました。希望の大学には進学したものの、アルバイトばかりの生活で学校は中退を余儀なくされました。きっとその頃は毎日が心配だらけだったのではないでしょうか? そして、家族のために一家の大黒柱となるのですが、兄弟仲は悪く、これは後々、私の母だけでなく私自身に対する不快な態度となり、今でも叔父、叔母、従兄弟とは疎遠です。
母は私が子供のころ、父の親戚に対する愚痴を言うので、私は父の親戚、曳いては父のせいで不愉快な思いをさせられた、と思ってきました。しかし、改めて考えてみると、父にも悪いところはあったのかもしれないけれど、家族のために働いてきた代償としては、あまりにもひどいものだ、と思いました。そのうえ私までもが父のせいで不愉快な思いをしたと思い込んでいるのは、とても可哀そうなことだと初めて気づきました。

子供のころから、父は感情的に怒ることがあり、怖い存在でした。家族団欒の楽しいひと時、みたいなものは全くありませんでした。外出や旅行も母と2人のことが多かったですし、運動会などの学校行事に参加してくれたことも記憶にありません。父のことはとっつきにくく、苦手で、家の中が窮屈なのは父のせいと思っていました。友人のお父さんにとても優しそうな方がいらっしゃり、羨ましく思っていました。しかし、考えてみると、父自身、家庭的な環境で育っていないので、両親の愛情があったのかどうかわかりませんし、あったとしても感じている余裕もなかったのかもしれません。そんな経験のなさで、自分の家庭を持ったのですから、絵に書いたような理想の団欒なんて無理だったのだ、と思うようになりました。
私は、父のことを話のわからない人と敬遠していたので、大学進学のこと、就職のこと、結婚のこと、今の仕事をはじめること、いつも父の反対を聞き流し、進んできました。ただ、すべてが思うままではなく、いくらなんでも父に反対されるので無理だろうと思って、黙って諦めた望みもありました。なぜ黙って諦めたかというと、「父を思って」というより、父のことが怖くて説得するのが無理だと思ったからです。自分の判断で、「絶対許してもらえないこと」、「反対されても進める範囲のもの」という取捨選択をして、前者のことは言いだすことさえしませんでした。そのことで、自分は黙って父の犠牲になったのに、何もかも反対する嫌な人という気持ちを持っていました。

いつも自分の進むべき道を、父に相談せずに決めてきたということについて、澤谷先生にもお話しましたが、先生は、
「お父さんは相談されなくて寂しかったでしょうね。」
「寂しいから反対したのではないですか?」
と言われ、確かにそうかもしれないと思いました。

思い返してみると、私は大学時代、父から、家庭教師以外のアルバイトは禁止されていました。当時は、うるさい親としか思っていませんでしたが、実は自分のように学業が疎かになってはいけないという親心だったのでしょう。
今更ですが、有難いことに、今まで経済的な心配はなく暮らして来られました。経済的な理由で、「買えない」とか「してはいけない」と言われた記憶はあまりありません。したい習い事はさせてもらえましたし、贅沢ではないにしても不自由なく暮らしてきました。
家族が安心して生活できるということが、父の望みだったのかもしれない、そして私はその恩恵を被っていたのに、わかっていたはずなのに、意識せず過ごしてきたことに気付き、今まで疎ましく思っていた父に、感謝することができました。

母についてです。
母も、口うるさく、時にはヒステリックで、自己中心的な人、自分さえ良ければ構わないと思っている人という印象を持っていて、大人になるにつれ、好きにはなれませんでした。ですから、一緒に住んでいても鬱陶しく、口げんかが絶えませんでした。
しかし、母も不遇な子供時代を過ごしています。
生後間もないときに、父親が急死してしまったので、父親の顔は全く知りません。
10歳以上年上の姉と兄がいて、末っ子でした。
母の母は非常に病弱な人でした。
幸い父親はある程度の財産を残してくれたので、なんとか母が高校を卒業するまでは、糊口を凌いでいたそうです。時には親戚から借金をしたりもして、不安定な生活だったそうです。父親が生きていたら、死んでしまっても戦争さえなかったら財産の目減りはなく、お金の苦労はせずにすんだという持論で、「世が世だったら……」と自分の身を嘆くことが多かったです。大学進学の夢は諦めたと言っていました。ですから、私には、絶対大学に行かなくてはならないと言い続けていて、窮屈に感じたこともあります。

母に対しての最大の不信感は、結婚を反対されたときの理由です。主人の家の格式がどうこうということだったので、母は、“打算的な人間なんだなあ”と悲しくなり、人間的に好きになれない人……と気持ちのうえでは、距離を置いてきました。
しかし、これも、今回、自分が婚家で苦労したため、私のことを心配していたのかなあと思いました。かなり、押しつけがきつく、理不尽なことが多く、不満は一杯ありましたが、幼少期から母子家庭で育ったコンプレックスが強く、少し歪んではいますが、私には苦労させたくないという思いがあったのかなあ、と気づきました。(つづく)

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コメント

命が甦り始める
真木野さんが、今までのご両親に対する思い込みをはずされて
その奥にどんな心があったのか、
ご自身を反省されながら、ひとつひとつ丹念に感じられているご様子を拝見しながら
乾いたところに、再び水が流れ出して、甦っていくような
気持ちよさと感動を感じました。

どんなに配慮や愛情を受けていても
こちらに受け取る用意がなければ、全部捨ててしまうのだなということも
改めて気付かされました。
 
人から、天からあふれるくらい与えらているのに
当たり前みたいな顔をして、感謝をおろそかにしていたことを
改めて反省して
もっともっと深く感謝して受け取る時が来ているのだと感じました。

ありがとうございます。
桜 美穂 [URL] 2016/03/10(木) 09:39 [編集]

思うこと
真木野さん、こんばんは。

伝わってくるお父様の感じや、お母様の感じを。ひとつひとつ想像しながら読ませていただいてました。

自分が誰かに必死で愛情を伝えているのに。それを全部捨てられ続ける体験を数年にわたりしました。ありとあらゆるネガティブな念を向けられましたが。なぜ、こんな思いをさせられたかというと。

私自身がそうやって母の差し出す愛情を、当たり前と思い感謝せず利用していて。それに身をもって氣づきなさいのメッセージでした。

母からの言葉ですが。

「私はあなたを理解はできないかもしれないけど。私はあなたを思っているのよ。それに感謝すればいいだけでしょう?なんでわからないの?」

同じ言葉を、繰り返し繰り返し。
私も人に向けましたが。

自分が振りほどいているときは。
相手の痛みはわからないこと。

同じ痛みを体験してみて。
ああ、悪かったなと思うことができたこと。

そうして。自分も人に対しての表現は。
怒りや支配コントロールの形をとることが多かったです。自分の心配や怖れからの言葉は。そういう感情を帯びて伝わってしまうので。拒絶されやすいと思いました。

カウンセラーの対応や言葉は。他人であるが故の冷静さや余裕がありますが。家族や同僚だと。余裕のない表現というのは。日常茶飯事にさらされるところがあるなと思います。

表現の奥のその人の真意がどこにあるのか。
相手の不安や性格傾向も丸ごと受け入れながら。
話の内容を聞き取ることを心がけてます。

お父様の愛、お母様の愛に。
これから出会っていかれるのだなと感じました。
ありがとうございます。
りん [URL] 2016/03/10(木) 23:50 [編集]

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