お伝えしたいことは「運命は改善できる」ということです。
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03/27
父とのお風呂の事
             NAOKO(養成講座9期生)

澤谷先生
お手紙のような文章で失礼いたします。
いつも温かく見守ってくださるのを感じております。
日々シャワーが降り注ぐような変化と気づきにとても戸惑っております。

澤谷先生から「お父さんとお風呂に入ったことを書いてみたら。」とのこと。
何か引っかかりがあって書けなかったのです。
先生、ちゃんと背を正して考えてみました。

父は私にとっては父であり男性であり家族であります。
しかし、私の小さい頃から普通の家族のように同居するも、母から聞いてきた言葉を鵜呑みにし、父を一時悪者扱いしてきました。母を不幸にする父とは口もきかない時期がありました。
途中から私は子供ながらに「父は、浮気やギャンブルをするわけでもない、どうして母は父をあれほど毛嫌いするのだろう。」と疑問が湧いてきたのを覚えています。
母の父や父方の親戚を毛嫌いする理由は多分聞かない日はなかったのではないかと思います。このあたりは私の都合の良いように書いているのかもしれません。

その辺の事情はいいとしても、私のこの肉体は、どう考えても父と母が合体したからこの世に誕生をしたわけなのです。それなのに、私の10代、初潮を迎えた時、母が喜んだようには感じられなかったこと、その後の家の空気から、私の中から男性であり父親である私の父に意識を馳せることはどうやってもできないようになっておりました。

その後、私は親に沢山の事をしてもらっていながらも感謝できてないことがおかしいと感じます。しかし、どうにもこうにもそこから動きません。罪悪感、劣等感、そして愚かにも自分はできる人間との思い込み。気が付いたらいつも自分を守る言動ばかり。こんな人間です。この世に生まれ半世紀以上。もう後がありません。

父は、5年位ほど前に脳内出血で倒れ、その後通院の日々を送ります。

父は、定年退職後、母の勧めで始めた市民農園での野菜作りも止めざるを得ず、家ではどんな生活を送っていたのでしょう。この市民菜園も毎度ひと悶着ありました。実家に行くと母の愚痴を聞くからと私の実家への足は遠のき、そして私はうつ状態になります。私は家から出ることもできなくなります。といっても這うように今の職場には行きました。諦められなかったのです。少しでも稼いで私が求めている答えに出会いたくて。もう鬱状態の後半は文字が読めません。子供の学校の卒業式ことも、受験の話も理解ができないのです。涙ながらに夫に「仕事を休んで私と一緒に学校の話を聞きに行ってほしい。」と頼みます。
頭の中がどうにかなってしまった。壊れてしまった。そんな感じです。

そんな状態でしたので実家には行かれませんでした。

母は老老介護を嘆いておりました。実家では独身の弟が同居しておりますが、長期出張もあります。弟に全部お任せはできません。父は両耳がほとんど聞こえなくなり、母に怒られます。私は、筆談が良いのではと、ある日ホワイトボードを買っていきます。
ホワイトボードでも解決せず。何が、何を解決したかったのでしょう。
私の中の何かが引き寄せます。
同じ状況の繰り返し。両親の不仲。

昨年、秋から澤谷先生のスカイプによる座談会に参加させていただいております。
そこから大きなうねりが始まります。
そして先日、父が再び緊急入院となります。
今回は腸捻転。腸が捻じれて便、ガスが出なくなり、時間がたつと腸壁が腐るので手術になるのだそうです。父は脳内出血の時もそうでしたが、今回も発見が早く大事には至らず手術にはなりませんでした。私は様子をみながら退院後の方が家での生活が大変になるかもと実家にしばらく居る決意をします。職場では今まで私が苦手としていたことに挑戦。
甘えることをしてみました。「あなたは頑張り屋さんだから言っても聞かないかもしれないけれど、仕事は心配しないように。」の言葉を「痛いところをつかれた。」と思いつつ、皆さんにお願いしました。

そして実家生活のスタートです。
あんなに実家にはいられないと思っていたのが、昨年冬から少しずつ状況が変わってきておりました。ここにきて良い状態が加速。
父の入院と時期同じくして、母も体調を崩しました。
父の体調、母の体調をみて通院の付き添い。そして、ドクターの話を聞くこと。また薬の仕分け。しかし父も母も大丈夫なのでした。寝たきりでもなければ、ご飯も作れるし食べられる。私は単なる車を出す人です。人に話をすると「大変ね。あなたが体を壊さないでね。」とご心配いただきますが、様相は全く違うのです。実家ではやることがないから、地震対策のためのいろんな用意なんかもやっちゃいました。

さてタイトルの「父とお風呂」です。私は水着を用意して実家に行きました。最近は母が父の背中を流していると聞いていたので、私がいる間は体調のすぐれない母に代わって、私が父の背中を流そうと思ったわけなのです。母は洋服のままお風呂に入り自分は濡れないように父の背中を流していたようです。慣れていない私は水着を着て正解。自分も濡れますね。私の書きたかったことはここからです。父の男性自身を見ることになります。私は父の髪の毛を洗い、背中、わきの下、両腕、お尻のあたりまで洗いました。いえ、洗わせていただきました。父のそれが見えた時、私は「あ~ここに私の種があったのだ。」と思いました。私が父を否定するならばそれは私自身を否定することになるのだと思いました。父はどんな気持ちで私に背中を流させてくれたのでしょう。

「魂」という言葉を澤谷先生からお聞きしてからというもの、言葉にならない何かを感じます。その魂があるのだとしたら、「私は父の魂と浴室に入った。」そんな気がするのです。

結局、父は毎日の入浴ではなく、また私も自宅に戻りご飯を作ってきたりして遅くなり、父と浴室に入ったのは、今回はそれ一度だけでした。それから実家にいる間、父は排便がない状態が続きます。これはまずいのです。排便がない状態が続くと手術かもしれないとドクターから言われていました。私は父に浣腸するように言います。父の今の状態では、浣腸は一人ではできません。これまでも母が父に浣腸をしていました。今回は私がすることにしました。父の初めて見るお尻はきれいでした。この浣腸も私がいる間は一度だけです。後は病院でお薬を増やしてもらったり、私のお世話になっている整体の先生に往診にきてもらって体を整えてもらいました。このときの浣腸も父の魂との出会いだったのだと思います。

入浴、浣腸。父と私との触れ合いの瞬間は心の中で「させていただきました。ありがとうございました。」でおしまいです。父に頭を下げます。
これらは普段母がしていること。つまり後から新参者の私が出しゃばって、「私があなたの娘よ。」とばかりに、たった一週間一緒に居たからってしゃしゃり出るものでもないのです。そんなに急速にドラマのように距離が縮まるものでもないのでした。今回は学ばせていただきました。

澤谷先生にはまるで「父との距離が縮まりました。嬉しかったです。」とばかりにお話をさせていただきましたが、背筋を伸ばすと見えてくるものは違っていました。父と母、その間に私が入る隙はありませんでした。今回は貴重な体験をあえて両親が私にさせてくれたのです。

母が今日、申しておりました。「いくら良くしようとしても80歳のこの体、60歳にはなれないのよ。」この言葉の後ろに感じたものは「もう私たちにかまわないで自分の事を見つめなさい。依存はこれでおしまいよ。」

澤谷先生、現時点での私の心の状況です。「肉」を書く事には抵抗がありました。きれいごとだけでは済まされませんね。まだ書けないことがありますが、嘘は書いていないと思います。
一度提出させてくださいませ。ありがとうございました。

澤谷 鑛 のカウンセリングは、コチラ…
澤谷 鑛 のセミナー/講演会情報は、コチラ…
コメント

暖かなもの
NAOKOさん、こんばんは。御無沙汰してます。お元氣でしたか? 私は門前の小僧だから。NAOKOさんは先輩ですね!\(^-^)/ 学びをシェアしてくれてありがとうございます。

お父さんに対して。不器用な愛があったんですね。
私も随分、両親と仲が悪かったのですが。仲良くなったのは3年くらい前かもしれません。私も不器用で。NAOKOさんみたいに記事をかいて自分と向き合っていって両親との関係が変わった訳ではなく。ここでの投影の関係のトラブルが。悪いものを根こそぎ浄化してくれて。それで鬱状態になって壊れかけた私を救済してくれるという形で。両親との仲が戻ったという。そんな経緯があります。

よゐこは真似しないでね(*^^*)
有り難いことでしたね。何もかもが。
こうしてみると。

愛情は根底に確実にあるのに。
人間関係って一筋縄にいかないことがありますよね。

お父さんとのお風呂。男性自身。
自分のいのちの半分。肉親。
お父さんの魂と一緒に入った。

複雑な心の描写の奥に。とても暖かいものが伝わってきます。

私も。母が父を悪くいい。父が母を悪くいう狭間にいたときは。自分が壊れそうでしたが。

NAOKOさんが、たった一回のお風呂と浣腸をお父さんにされてみて。お父さんとお母さんの間に、自分が入る隙間はないといわれたこと。

そうなんですよね。私の父と母も、男と女だったんですよね。男と女がひとつになる肉の部分があり。愛憎があるんですよね。

依存はいいから。自分の道を歩いていきなさい。
子どもが幸せでいることが、親の幸せとお母さんは言いたかったのですかね。

初心に立たせてくださるような暖かい記事に触れさせていただいてありがとうございました。
NAOKOさんの幸せをお祈りいたします。
りん [URL] 2016/03/27(日) 01:03 [編集]

りんさんへ
りんさん

いつもコメントありがとうございます。
ご無沙汰しておりますm(__)m

もう今まで生きてきて疑問だらけだったのです。

こんなに分かりにくい文章に、りんさんコメントを書いてくださったのですね。
もう頭が下がります。

この内容を先生にお送りした時は高揚感があったのですが、人さまに読んでいただいて理解していただくようにまとめられてないですね。
ということは自分の中がまだまだ混乱しているからで、また奥歯に何かが挟まって、それが取れないような状況に居るのだと思いました。本当によく読んでくださいました。m(__)m

文章、改めて検証しないと…。

しかし、ここにきてそこを紐解き始めたら見えてきたものがいろいろとその時によって色を変えるのを感じます。

りんさんもご両親が不仲でいらしたのですね。
小さい頃から見てきた両親の仲。
これはかなり強烈ですよね。

言葉では「誰それと仲良くしなさい。」と教えられてきたのに、身近に見てきたものは「不仲」。
でもそこには子供がいるわけですね。
子供ができるということは肉のつながりもあるのですよね。
子供時代にはその矛盾がわからない。
親や学校や世間が教えてくれることの中にある矛盾は言葉ではわからない。
でもきっと生まれた時から知っていたのですね。
それをもう一度学ぶために見せてもらっているのでしょう。

りんさん、苦しかったでしょう?よく生きてこられましたね。私もそう。

学び方は人夫々なのですよね。先輩後輩なんてないです。りんさんのブログでのコメントを読ませていただきますと、人として深い学びをされていらっしゃるのだなと、いつも読ませていただきながら大きく深呼吸したくなるようなそんな気持ちになるのです。

深く学ぶということは自分の深い部分に触れるのだと考えると痛みもそれだけ感じるのではないですか?
そこにりんさんの真剣さを感じていました。

私ね、虐待、いじめ、などニュースになるようなことが起きているとそこには問題が起こると思っていたのです。
他はみな幸せなはずだと、頭の中で信じようとしてきたのです。
澤谷先生のお言葉を拝借すると、1+1は2、のように安直に考えようとしてきました。

この形とこの形だから幸せ。
この形とこの形が合体すると不幸せ。
ということは、私は前者だから幸せなはずなのに、よ~く考えてみると幸せではない、むしろ幸せになることはいけないことだと思っていた。そして世の中安直じゃないから苦しかった。
それなら学んでみようと思って世の中を見てみるととても複雑。
正しい答えってあるのかな。間違えってあるのかな。
まだ学びの入り口をウロウロしています。

りんさんがコメントで学びを深めてこられたとのこと。投影をされて浄化されてきたのですね。りんさんの中にはもうすでに大きな答えがあるのを感じます。私も自分に向き合うべく何をしたらいいのか、一つずつやってみます。ここにきて、なんだかりんさんに拍手を送りたくなりました♡
お互いがお互いの道を歩めますようにm(__)m。
NAOKO [URL] 2016/03/27(日) 09:48 [編集]

ありがとう
NAOKOさん、返信ほんとにありがとうございます。
受けとめてくださることが有り難い限りです。

真剣さということですが。これは。他人を批判することがこれだけ批判され、自分を傷つけるSNSの常識を知らなかった無鉄砲さと未熟さの責任をみずからとる形で。そうならざるを得ないいまなんですよね。

私が過去に記事をかいているとき。両親から。「あなたはいったい自分たちのことを、どう書いているのか。あなたの一方的な視点で自分たちが悪く書かれるというのは。不快極まりない。」そういわれたことがあります。

その人が感じる世界というのは。その人独自の世界であり。他人は関係ない。そういう視点で他者を理解しゆるし受け入れもするけれど。同時に。自分の狭い視点で自由に表現することが、他者を傷つけもする。

自分の幸せというのは。周りにいる他者の幸せなくして有り得ないと感じます。そういう意味で。投影の関係というのは。学びの場に、相手がいることで。そこに向き合わざるを得ないこと。

これって。物凄い最高な環境だと思うんですよ。
ぴっかぴかに磨かれる砥石のなかで学んでいるんですよね(*^^*) 感謝しないとですね!


わかりにくい記事というけど。
全然そんなこと感じないですよ!


まとめ過ぎてしまうと。生の感情の部分が削られてしまうこともあると思います。

体験をそのまま書いてくださるというのは。
伝わるものもきっと大きいんじゃないかなと思いました。

性はいのちの根源で。

陰と陽の結び、まぐわいによって。
新しい命が生まれるんですよね。

そのぬくもりや愛やあたたかさを。
自分のいのちが芽生えた瞬間の記憶から。
たぶん、みんな知っていて。
それを人生のなかで思い出していくのですかね。

私の両親は、いまはすっかり仲良くなってしまって。あの何十年は何だっただろう? 振り回した時間を返して!(笑) と思うけれど。

すれ違う時間があっての、乗り越えてきたふたりの今なんですよね。両親が仲がいいのをみるのが私は幸せです。

NAOKOさん、ありがとうございます。
みんな素晴らしい今を生かされているんだなと。
嬉しくなりました。

相手も真剣だからこそ。痛い部分があり。深く自分に向き合っている今なんですよね。自分を尊重し大事にして。相手もまた尊重して大事にできる自分を。信頼して見守ってあげようと思えた。

ありがとう。ほんとにありがとう。



りん [URL] 2016/03/27(日) 18:38 [編集]

りんさん

 親、自分、子供、そして、性、人間。

こんな風に考えたことなかった。

りんさんが仰るように、相手がいるから自分が見えるのですよね。

自分の存在が大事であることをしっかりと強く味わいたい。

それは、親のことも子供の事をも大事にすることに繋がるから。

私はまだ学びの途中であり、痛い思いをしています。

それが客観的にみられるようになったことが進歩かな。

これも素晴らしい今なのですね。

りんさんからの新しい言葉が新鮮です。

こちらこそありがとうございます。
NAOKO [URL] 2016/03/27(日) 22:19 [編集]

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