お伝えしたいことは「運命は改善できる」ということです。
03 * 2017/04 * 05
S M T W T F S
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 - - - - - -
--/--
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
04/02
カルマという事
                     澤谷 鑛

 カルマとは、業ということだが、業には善業と悪業がある。だからカルマというと、「悪いもの」というのは、全貌が把握されていない論である。
善業は、入江富美子さんの「へそ道」でいう「みたま」の世界に溶かし込まれ、完成されたものが完成されたままに拡大向上を遂げる世界、道元のいう「仏向上(ぶっこうじょう)」の世界、まっさらさらのいのちの世界に積まれていく。そこには、悪いものというイメージなど微塵もない。
 翻って、悪業は、意識の中に、とりわけ潜在意識の中には、前世とか前々世とか、過去世の「口で言った言葉・心で思った思い・実際に行った行為」が積まれている。
 と仏教ではいう。三業ともいう。
 また、「似たカルマを持っていたからこそ、あなたと出会えた」とよくいいますが、これは波動や波長の共鳴の話であって、もちろん間違いではありませんが、業そのものの論とは別のものです。
「親の因果が子に報い」ということは、ないのであり、波動・波長は似ていますが、親には親の業、子には子の業があるだけです。池川 明先生が「子どもは親を選んで生まれてくる」といわれるのは、波動・波長が似ているということです。親子それぞれのカルマは似て非なるものです。

「カルマを、いたずらに怖がることなんかない。神さまからもらったみたいなもの」という人もいますが、「神さまからもらったもの」ではないことは確かです。
 実は、神様からもらったものではなく、過去世のおのずからの、或いは、みずからの心がつくったものなのですね。心は、澄んだ心からドロドロの心まで、グラデーションであるのが現実ですからね。
入江富美子さんの「へそ道」では、業の苦縛から脱する道は、業は三業の口業(くごう)・意業(いごう)・身業(しんごう)であり、口で言う言葉、心で思う言葉、目は口ほどにものを言うといわれるように態度・行為も言葉なのですね。それで業の苦縛から脱する道は、「しい」の“心”の世界から、「たま」の“みたま”の世界、自己内在の「みたま」に出会い、知り、悟ることでいっさいの業が贖われます。
カルマ=業は、神とか仏とかみたまとかに与えられたものではなく、私たちの心に念(おもい)の種を蒔きつつ、心に蒔いた種は、必ず実現するので、いつかは刈り取らねばならないことになります。
釈迦も仏となって法を説くまでは、たびたび生まれ変わって業を浄化したことが『過去現在因果経』には説かれています。釈迦は何度も生まれ変わって、心のデトックスを実践しているのですね。
業は、恐れる必要はありませんが、人生は、業を浄(きよ)めつつ、業を積んでいっているのですね。悪業を消し、善業を積むことで心の縛りから解けていき、「ほどけ」は「ほとけ」で、釈迦のように仏そのものを響かせる、という人生になるのでしょう。

澤谷 鑛 のカウンセリングは、コチラ…
澤谷 鑛 のセミナー/講演会情報は、コチラ…
コメント

日々あらたに、魂を磨く場なんでしょうねエ😅
くるみ 景崎 [URL] 2016/04/02(土) 11:47 [編集]

くるみ 景崎さん。

人生って、そうなのでしょうね。
澤谷 鑛 [URL] 2016/04/02(土) 11:48 [編集]

澤谷先生、おはようございます!

いつもありがとうございます(^人^)

私はまだこの前世・前々世とか過去世のところが今一落とし込めないんですが、潜在意識の中に身口意が積まれてやってきたんだと自分を客観的に観ると、この波乱に満ちた今生をあれま〜そうなのねとビックリします(笑)
でもなんだかそう考えると神秘的というか、どんな前世や前々世だったんだろうなんてもっともっと知りたくなります。
でも自分で選んで生まれて生きているのならば、誰かのせいにする事もできないので受け入れて知り悟る事をできる限りして行きたいですね(^^)

そう考えると、子には子の宇宙があって、子は子で今生を生きているという事だから親が線路にならなくていいんだなって事にもなりますね。

精進します(笑)

ありがとうございます(^人^)
はちみつ [URL] 2016/04/02(土) 11:50 [編集]

はちみつさん。

カルマということを考えると、人生の今までみえてこなかったものが、みえてきますね。親子も、夫婦も、家族も、友人・知人も……。しかし、完成されたものが完成されたままに拡大・向上をとげているのが人生での私たちですからね。
澤谷 鑛 [URL] 2016/04/02(土) 11:52 [編集]

バームクーヘンの真ん中と業を消すドラマ
うまく言えないのですが、起こったことは。
全部、自分が前世からの業を浄化するために。

自作自演で事を引き起こし。
自作自演で人を役者に割り当てて。
自分自身もその役者のひとりになっていただけ。

残っている業があると。
せっかく一度、バームクーヘンの真ん中に行けていても。また、自作自演のドラマに戻ってしまいますね(^_^;) 自分の蒔いた種を、友達が刈り取らせてくれたなと感謝です。

ありがとうございます。
りん [URL] 2016/04/02(土) 12:21 [編集]

りんさん。

カルマのことを考えるとそのようなことがみえてくるのですね。光を聴き 風をみるように。
澤谷 鑛 [URL] 2016/04/02(土) 14:43 [編集]

そうか。そのまま、そのままですね。
無理に変えようとしなくていいんですね、磨いていけば。
はちみつ [URL] 2016/04/02(土) 14:45 [編集]

はちみつさん。

七月に出版する二冊の絵本のうちの一冊は、「そのまんまのゴーヤ」というタイトルです。そのまんまって、大事です。
澤谷 鑛 [URL] 2016/04/02(土) 14:47 [編集]

お孫さんのゴーヤのお話が絵本になったんですね。
お孫さんも嬉しいでしょうね。
子供はそのまんまの師匠ですね(^^)

ありがとうございます(^人^)
はちみつ [URL] 2016/04/02(土) 14:49 [編集]

澤谷先生、ありがとうございます。

誤った「カルマ」の理解によって「怖れ」を抱きくことで「みたま」から離れた新たなカルマをもってしまう繰り返しも、この世では繰り返し繰り返し起こされているように思います。そろそろ人間はそこからは抜け出してほしいものと思います。ありがとうございます。
森 信仁 [URL] 2016/04/02(土) 14:52 [編集]

森 信仁さん。

カルマのことを深く学ばれているのですね。
澤谷 鑛 [URL] 2016/04/02(土) 14:53 [編集]

中庸
澤谷先生、先日の友達とのやり取りから思うことを。少しだけ話させてください。

自我のカプセルの思考の無限ループが、あなたはこういうふうに動いているんだと。そして、ある瞬間に、「そう、それよ。そういうことを伝えたいの。」と。来た瞬間にわだかまりが解けました。

「変えていい。関わっていい。」を、自分に許可したうえで。「変えなくてもいい。」が選べる。

この人に対して、何が最善なんだろう?

「変えていい。関わっていい。」けど。ちょっと待ってみる。「変えなくても大丈夫かも。」→「ああ、大丈夫なんだ。」を磨く。

「磨けばいい。」に、そんなことを感じました。
すみません。ありがとうございます。
りん [URL] 2016/04/03(日) 07:11 [編集]

りんさん。

中庸とは、
1.かたよることなく、常に変わらないこと。過不足がなく調和がとれていること。また、そのさま。「―を得た意見」「―な(の)精神」
2.アリストテレスの倫理学で、徳の中心になる概念。過大と過小の両極端を悪徳とし、徳は正しい中間(中庸)を発見してこれを選ぶことにあるとした
と、ある辞書にはありますが、どうも、妥協ではなく、もっと先の価値を示しているように思います。
人間がすばらしくなろうとするのは、もともとすばらしいからなのでしょう。

澤谷 鑛 [URL] 2016/04/03(日) 09:43 [編集]

整合性
福祉の現場で働いている私としては。
「変えなくていい。」だけではなく、関わった方がいいと思うところがどうしてもあります。

それは。利用者さんに関しても。新卒の新人さんに対しても。また、上司からみた自分に関してもです。他人から指摘、指導されてわかることはあるので。

精神世界の人の中だけで生きていくなら。「変えなくていい。」で生きていけると思うのですよ。

そこの整合性が、自分のなかで取れないというか。
澤谷先生の返信を受け止めるなら。もっと表面的な現象の奥をみないといけないのかな?

と感じます。ひとつわかったら、また、わからないことが出てきます。いつもありがとうございます。
りん [URL] 2016/04/03(日) 16:53 [編集]

完全をみて言葉にする
「変えなくていい。」は、その人が自分で氣づくためのサポートはしていい。その人を変えないといけないダメな人、可哀想な人と思うのではなく。

もともとは、自分で氣づける人。自分でわかる人。
という信頼があっての、何か感じる部分があるから伝えるは。その人を変えようとすることではなくて。

もともとある、その人の完全をみて。
それを言葉にするということ。

澤谷先生。はちみつさんは。
私を変えようとした訳ではないのでは?
と感じます。「磨けばいい。」は。
どういう意味なんでしょうね。



りん [URL] 2016/04/03(日) 17:26 [編集]

管理者にだけ表示を許可する
 

トラックバック
トラックバック URL

Copyright © 2017 絆の法則 ~ 澤谷 鑛 オフィシャルブログ ~.
all rights reserved.
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。