お伝えしたいことは「運命は改善できる」ということです。
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04/05
咲くも花 散るも花
               澤谷 鑛

 桜の花が咲きはじめました。
 桜の花の咲き出す後先は、百花繚乱、ですね。新しい出発のときです。可能性が花開く希望の季節です。つまずいても、また起き上がる力をもらえる花の季節のように思います。希望と絶望をつらぬいてひとつなのがいのちの展開なのかも知れません。

 いつのことだったか……。4月のはじめに満開の桜を見ました。その頃、連続的に北海道の講演会に行きました。
 5月初旬に函館に行きました。満開の桜が私を迎えてくれました。
 5月の半ばには、帯広に行きました。満開の桜でした。この時期、桜と水仙とつつじが一緒に咲くことに驚きました。ところが、満開の桜咲く上に真っ白な雪が積もりました。満開の桜に雪という風情は、私をよろこばせました。次の日、あれほど積もった雪もきれいに消えていきました。デトックスだ、と思いました。
 6月はじめ、根室と釧路で講演会をしました。釧路空港から根室までの2時間の道のりは、春爛漫桜満開の街道でした。極めつけは、根室の清隆寺でした。様々な種類の桜があり、美事に満開でした。桜前線の日本最後は、この根室だと聞きました。桜前線は、それから十勝岳に登るのですが……。私は清隆寺で漢字ばかりの字余りで季重ねの俳句を作りました。

 春爛漫 桜満開 夢遍歴

 人生は、将に夢遍歴なのかもしれません。

 人は、不完全な影なるものを嫌悪します。不完全を完全にしようとします。しかし、不完全を不完全のままに諦めたとしても、不完全がわかるということは、完全を知っているからです。だからこそ、完全なるものを思惟し、求めることが出来るのです。
 完全なるものは、完全であるがゆえに何も欠乏していません。何も欠乏していないということは満ち足りているから、何も意欲しないことになります。何も意欲しなければ何もつくりません。何かを意欲するということは、完全でない証でもあるといえます。
 人が生きる人生は、神が生きるのでも、仏が生きるのでもありません。神や仏が生きるのであれば、完全なるものですから、何の意欲もなく、何もつくらないでしょう。
 意欲は欠乏の感じであり、人生もまた欠乏からの意欲によってつくられるものなのでしょう。だから、夢遍歴と表現できるのかもしれません。
 それを知るためには、思惟と思考の違いを知らなければなりません。

数学者の藤原正彦さんが「人間にとって最も重要なことの多くが、論理的に説明できない」と言い、「論理は世界をカバーしない」と言って、1931年にオーストリアの数学者クルト・ゲーデルが「不完全性定理」というものを証明したことを書かれているところがあります。

【不完全性定理というのは、大ざっぱに言うと、どんな立派な公理系があっても、その中に、正しいか正しくないかを論理的に判定出来ない命題が存在する、ということです。正しいか誤りかを論理的に判定できないことが、完全無欠と思われていた数学においてさえある、とゲーデルは証明したのです。】
【この不完全性定理が証明されるまで、古今東西の数学者は、こと数学に限れば、どんな命題も正しいか誤りかのどちらか一つであり、どちらであるかいつかは判定できる、と信じ切っていた。ところがゲーデルはその前提を覆したのです。人間の頭が悪いから判定できないのではない。論理に頼っていては永久に判定できない、ということがある。それを証明してしまったのです。】
【論理的というだけなら、良い理由も悪い理由もいくらでもある。人を殺していけないのは、「駄目だから駄目」ということに尽きます。「以上、終わり」です。論理ではありません。このように、もっとも明らかのように見えることですら、論理的には説明できないのです。】

 ある養成講座生と話しながら、こんな句が心に浮かびました。

 散る桜 残る桜も 散る桜

 良寛の辞世の句ですね。

 散る桜 残る桜も 散る桜

 等しくやがては死を迎える運命を秘めている、という趣旨だと言います。これは満開に咲き誇っている桜の中にも、やがて散りゆく定めをみる。その生命と死の対比を情景の中に感じ取ることにより、よりいっそう生命の輝きを強く感じることが出来るという趣旨だと言います。
 散る桜も、残る桜も、生き切るのですね。お亡くなりになった方も、今、のびのびと楽しい人生を過ごす方も、厳しい人生に耐える方も、生き切っているのです。

 咲くも花 散るも花 なのですね。

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コメント

散る桜
人は不完全な影なるものを嫌悪する。
不完全を完全にしようとする。

他者の総和の中でみると。
自分が不完全とみている人はそのままでよくて変える必要がない。他者が私を不完全とみているそれは、私はそのままでよくて変える必要がない。

それは。その人その人の内側の欠乏から完全に向かおうと意欲するものが、その人の内に備わっており。答えはその人にしかわからないものだから。

福祉の現場で。危険なときは止めます。手を出します。また、心が不安定なときもサポートしますよね? ベテランと新人の違いは。ここまでは大丈夫と待てる、信頼できる許容力にあるのでしょうね。

支援も新人の頃は、失敗しながら利用者さんから学ばせていただきますよね。プロというのは。利用者さんへの支援の失敗と試行錯誤の集積でなれるものと。先輩から言われました。

支援しようと試行錯誤した経験があり。
過去の支援の試行錯誤を振り返ったとき。

無駄な手出しをしてなかったか。
利用者さんの自己決定を大事にしていたか。
そうやって要らないものを削ぎ落とすことなのでしょうね。

そうして。福祉の現場の場合。利用者さんには寄り添えても、職員、同僚に厳しくなりすぎるところも。往々にしてあるのかもしれません。

プロとして立つ以上は。甘えは断つことだと思いますが。新人に伝えるにしても。利用者さんに何か伝えるにしても。

伝える相手にわかる言葉。
伝える相手にわかるタイミング。

は、こちらが磨いていくことなのでしょうね。

「変えなくていい」それは正解なんだけど。
人に伝えようとするとき。サポートしたいとき。
つまりは相手を変えたいとき。何をどう伝えるのか。何をどう関わるのかは。

関わって相手の反応をみながら自己を調整するときに、一番、磨かれるものと思うから。

「変えようとしてみていい。」と。
前回のコメントに書かせていただきました。
関わってみることで。「変えなくていい。」の納得が出てくることは。素晴らしい体験なのですよね。

福岡は満開だった桜が散りはじめました。
散る桜、残る桜も、散る桜。
なんですね。


りん [URL] 2016/04/05(火) 00:48 [編集]

りんさん。

「人は不完全な影なるものを嫌悪する。不完全を完全にしようとする。」
と最初に書いておられますが、何故でしょう。
 それは、不完全を完全にしようとするのは、もともと人間は完全ということを知っているし、何故知っているかというと、人間がもともと完全たからです。人間はもともと完全であるから、すばらしいから、大きな希望も抱き、すばらしい者になろうとします。
ここだけでも大変ですね。

澤谷 鑛 [URL] 2016/04/05(火) 16:58 [編集]

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