お伝えしたいことは「運命は改善できる」ということです。
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04/26
苦行
         桜 美穂(養成講座8期・9期)

カウンセリングをしていると、するすると立ち直って行かれる方と何年も何年も同じところをぐるぐる回られる方がおられることに気付かされます。

なかなか癒しや回復が起きない、その原因はどこにあるのでしょうか。

多くの場合、なかなか癒しが回復が起きない時は、クライアントさんご自身が、なんらかの理由で、苦しみを自ら握っておられるものです。
お金を払ってカウンセリングを申し込んでこられるのですから、もちろんご本人は真剣なのですが、潜在意識では、固く苦しみを握られて、お離しにならないということがあるのです。

その裏には、誰かを許せない思いがあったり、そのことや他のことに関しての罪悪感があったり、といろんな理由が潜んでいるものなのですが、共通して、自分を罰したいという衝動があるようです。

つまりは、自分を傷付けたり、ふしあわせな状態に置いて、自分の中にある、自己を責め咎める思いをなだめることで罪悪感を消そう、償おうという衝動なのです。

しかし、そのような衝動に従って行動しても、必ずしも、心が晴れるとは限りません。
賢明に行わなければ、むしろ、ますます罪悪感を強めてしまうことの方が多い。
自己処罰にはまり込むことで、本来のデトックスの目的を、見失ってしまうからなのだと思います。

体というものは、長く患った状態を続けていると、本来の勢いで、そこを治すことよりも、その人の肉体的、また、精神的な毒素を集積して見える形で表れてきたその症状を温存させることで、その人の全体的な健康と命を守ろうとする性質がある。
それが「慢性病」なのだと言います。

心もそれと同じようにデトックスし続ける、という状態のまま安定してしまい、慢性的に苦しむ状態にはまり込んでしまう、ということがあるのかもしれません。

さて、仏教でもキリスト教でもその他の宗教でも、よく「苦行」ということが行われます。
でもそれを、苦しむために行っているとしたら、それはきわどいことだなと感じます。
確かに、苦しみは人を謙虚にしたり、他人の痛みを理解できる、愛深い心を培います。
しかし、ひとつ間違えば、自分を痛めつけることが何か、偉いことのように思い違えたり、肉体や様々な肉の欲を汚いものであるかのように見なして、排除しようという心に陥りかねません。
それは、いかにも自分を浄めているように思えるかもしれませんし、他の人からも、賞賛される生き方に見えるかもしれません。

しかし、肉を敵視するところで、もう二元性に落ちてしまっている。
肉を否定することで、実はますます肉を意識して、ますます肉に力を与えてしまう。
だからこそ、ますます肉を痛めつけて黙らせねばならない。

もし、宗教家の苦行がそんな悪循環に陥っているならば、それは、迷い以外のなにものでもない。
そんな迷いに捕われながら、他人に真理を示すことが本当にできるのかどうか、疑わしく感じます。

肉を否定するのではなく、肉の働きを意図的に抑え、空じる。
それが本当の苦行の意味ではないのでしょうか。
それは罰でも償いでもなく、体を貶めたり否定するためでもない。

空じるのは、ただ嬉しいから。
狂喜して飛び上がり、踊りまくりたくなるほどに嬉しいから。
その喜びがあまりに大きいから、じゃまなものをみな、かなぐり捨てたくなる。
ただ、それだけのことなのですね。

「こんなに空じられる自分はエラい」というようなことでもない。
他人の評価など関係ないのです。
大切なのはただ、私と本当の自分、私と天との間の応答、やり取りが愛であるかどうかということ。

空じて初めて、空になったところに初めて、入ってくるものがある。
空じて初めて、流れ込んでくる光が、愛がある。
だから、空じて空じて、じゃまなもの一切を捨てたくなる。

アシジの聖フランシスコは、大富豪の跡取り息子として生まれ育ちましたが、ある時、恐らくはそのことに目覚めたのでしょう。
持ち物のすべてを狂喜して投げ捨てて貧者に施し、「あなたからもらったものは、すべてお返しします」と、父親にすべてを残して、自分は裸同然で野山に出ていきました。
彼が天の神さまの無限の愛について語ると、野山の動物たちや小鳥までもが彼の側に集まってきて、その話を聞いたのだと言います。
彼の人生のどこに、犠牲や苦行の影があるでしょうか。違う。彼はすべてを得たかった。永遠に変わらぬもの。ちっぽけな自分など押し流してしまうほどの圧倒的な無限の愛、無限の豊かさに真底魅了され、魂を奪われて、どんなに小さな障害も、自分と天との間に置きたくなかった。彼は、すべてを空じてすべてを捨てることで、すべてを得ることを知っていたのです。

たとえ、表面的には苦行にしか見えなくても、それは、苦行を目的に行われている苦行とは、全く質が異なるのですね。

空じて初めて得られるものがある。
空じる度合いに従って。
だから、夢中になるのです。
追い求めさせられるのです。
思考の世界ではない。
命の話なのですね。

その世界こそは、永遠につながるところ。

ごうごうと音を立てているかと思うほど、激しく流れているその命を信頼して、その流れに、自分を丸ごと投げ込んで行きます。
おやすみなさい。(^_^)

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コメント

対話の糸口
未完了な思いがあるとき。その未完了な思いをそのまま再現する人や状況を自分で引き寄せて、その因縁を超越しようとする。

人には、そういう心の働きがあるのですね。
何度も何度も同じところを、ぐるぐる回ってしまうのは。その状況において。

相手や周りの状況の中で。相手の状況や氣もちや立場、自分の氣もちや状況や立場、周りの氣もちや状況や立場。そういうものを、総合的にみていくことをせず。自分の氣もちをわかって欲しいという執着が抜けないから。

人と人というのは。ひとつ糸口がみつかれば。縺れをほどいていくことができるものだと思います。

桜さんの言葉で。私とのトラブル「いつまでも抜けないのは、自分が我が儘だったからだった。」「認めれば抜けていく。」と書いてありました。

直接、言ってくれたら嬉しかったけれど。そこを糸口に縺れをほどいていきましょうね。

最初から私は。桜さんがそこの折り合いをつけて、私と対話しようとしてくれるのを。信頼してずっと待っていたんですよね。

もう、五年近くも経つかな。「無視すればいい。」そこには。折り合いをつける心は皆無ですよね。

無視すればいいというのは。折り合いをつけようとする相手の力を封じ。排除して。自分の価値観の世界を貫いていくための方法であり。或いは。コントロールしてくる相手の力を削ぎ、相手のエネルギーを消費させ力を削ぐための方法であり処世術ですよね。

私にとっては。それを否定しないということ。
それが、対話の糸口となると思うんです。


りん [URL] 2016/04/26(火) 03:07 [編集]

あったこと
駆け出しの頃の桜さんに対して、私は、意見することがたまたまあり。そのときに、私は桜さんが、私の言い分をいったんちゃんと聴いてくれて。そこから、自分はどうしたいのかを話してくれたなら良かったのだけれど。

我が儘というよりも。脳と心と身体と人格とが、全部バラバラになってしまっていて。自分の都合の悪いことが全く耳に入らず。本人は自覚してないから仕方ないけれど。破壊的な念を相手に植え付けて封じようとすることをしていてね。

「いや、そうじゃなくてね。」と、話そうとすると。フラッシュバック起こしていたんだよね。そうして。その怒りを、ブログに書いて拡散するということをしてた。

そうして。あなたの状態知らない人は。あなたの歪んだ状態の脳が認識したこと。信じてしまうよね? それって、された方、傷つくんだよね。

自分と同じいちクライアントさんなら。離れたらいい関係なんだけど。これ、放っておいたら。誰かの人格を壊してしまうよって思ったから。

全力で、それに氣がついてくれるようにって。関わってきていたんだよ。自分が傷つくとか、自分が損するとか。考えなかったんだよね。

見てしまった自分が。止めてあげないといけない。そういう使命感みたいなもので動いてきて。

あなたは。自分のやっていることに氣づいて来ました。病気も良くなって来ました。幸せになってきました。良くなってきて、愛されるようになりました。

私は。どこかで。あなたがちゃんと自分のしていることがわかったら。私がどういう氣もちであなたに関わってきたのかがわかったら。

あなたが真っ先に。私を護ってくれると信頼していたんだよね。でも、そういうふうにはならずに。あなたは、自分だけ幸せになったらそれで良くて。

私のことは。排除しようとしかしなかったから。
それが、残念だったんだよね。
りん [URL] 2016/04/26(火) 03:27 [編集]

いま
ひとつ話すことが伝わるのには。これまでも数年の歳月が必要なことは、私はわかっているから。

いま話すことが、いま伝わるとは思ってないから大丈夫だよ。でもね。前と違って。伝える内容が、脳がはじいてしまうことなく。

心に真っ直ぐ、刺さるようになってきているよね。
それは、すごく良くなったんだと思ってみてました。

私は私で。だんだんと怒らずに、ちゃんと内容を伝えられるようになってきました。それは、私にとって物凄い成長だなと自分を褒めてあげたいです。

最初の頃のあなたを振り返ると。

相手がちょっとでも腹をたてていたりあなたを否定していたりすると。内容が聴こえず「相手が我を振り回している」という認識をしてた。

「あなたは何をそんなに怒っているのですか?」「それは、あなたの問題なのですね。」って言うから。人が怒っていたんだよね。私だけじゃなくて。そういうあなたの状態、周りわかっていて。見守ってくれていたんだけど。

こういうことやってるよ。
とあなたに伝え続けてきたのが。私。

自分が自分を虐待しているよ。
ちゃんと認識して治さないと。自分も他人も傷つけてしまうよ。

そういうのを。スルーできない私がいました。
けど、それは。ただ、ひたすら。あなたに良くなってもらいたいという氣もちがあり。

そこにはまた。伝わらない悔しさや虚しさや。怒りや。やりきれなさや絶望や。いろんな感情もいりまじっていたから。

愛だけではなかったことは認めます。

そういうものを、ひとつひとつ削ぎ落としていく過程の中で。純粋に伝えたかったものが、純粋に伝わっていくという今なんだと思うんです。
りん [URL] 2016/04/26(火) 03:47 [編集]

いま
私は私で。法則の視点は全く無かったし。むしろ。法則の視点でしかものを見れなくなることを、頑なに拒んでいたので。

あなたとのトラブルがあったからこその。
こういう自己コントロールができるようになったのであり。法則の視点を使えるようになったのであり。

法則を学びたいとか。カウセリングを学びたいとか。私にはそういう要求は皆無でしたが。

自分が大事だと思うことを伝えたいという。
ただ、それだけの情熱のために。いつのまにか、あなたや澤谷先生から、たくさんのことを知らず知らずに学んできたようなもので。

それは。自分ひとりではなく。相手あっての賜物であり。あなたにも澤谷先生にも感謝してます。

私は。思ったことをすぐ言ってしまいます。
陰口も嫌だから、真っ直ぐ本人に伝えます。

相手が受け取れる言葉、相手が受け取れるタイミングをはかり。言わないで信頼して待ってあげるということ。

そういうことが、私に一番、足りないどこかであり。そういう意味では、その忍耐を培ってくれた一番の先生は、あなただと思って感謝してます。

現場で利用者さんたちに日々、私は関わっています。自傷行為、他傷行為、パニック。そういうものを日常的に目の当たりにしてます。

カウンセラーさんと違うのは。その人たちを自分の一部として。生活を丸抱えにして共に。その自傷行為、他傷行為、パニック。そういうものが、どうしたら、その人の願いに沿う形でエネルギーを流していくことができるのかを考えること。

一般の人には。この感覚はなかなか伝わるのが難しいことを感じます。

たくさん話をさせていただいて、ありがとうございます。デトックスとまっさらさらの命を。歓喜して生きていきたいものですね。
りん [URL] 2016/04/26(火) 04:12 [編集]

すいません。桜さんの文章って、ここでの聖フランチェスコのこともそうですが、断定しますよね。どうして断定できるのですか。
森 信仁 [URL] 2016/04/26(火) 09:13 [編集]

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