お伝えしたいことは「運命は改善できる」ということです。
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05/05
無限の可能性
           澤谷 鑛

「無限の可能性」について考えました。
 それは、どうも時空間に表現としてはあるのですが、時空間そのものが限定された世界ですから、表現としての「無限の可能性」はあるかもしれませんが、その本来の源流を辿らなければならないのでしょう。

「無限の可能性」とは、『へそ道』(サンマーク出版)の著者・入江富美子氏のいう魂=「たま」「しい」の「たま」=「みたま・御霊」にあるもので、天であり、すべてのもとのこと、と入江氏はいわれています。
「しい」は、うれしい・かなしい・欲しい・惜しい・悔しい・楽しい、などのこころや感情をあらわすもののこと、といいます。
 そして私たちには、「みたま」と同じものがあり、それを「分けみたま」といい、これら両方が「たま」なのだ、と入江氏はいいます。
 私たちのうちにある「みたま」は植物でいう種と同じことだ、ともいいます。
 一昨年12月15日(月)に入江富美子氏と対談をさせていただいたとき、道元の『正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)』にある「仏向上(ぶっこうじょう)」と「仏向上心」が、自然と思い浮かび、説得されたのではなく、納得しました。入江氏のいわれることが私の心の中にあり、共鳴したのです。

 道元の「仏向上」を説明するとき、
「完成されたものが完成されたままに拡大向上をとげている」
 と私はいいます。まさに「無限の可能性」の世界です。
 入江氏は「みたま」は植物の種と比喩的に説明されます。
 そういえば、養成講座で学ぶ山口 悟(カウンセラー)さんが、六粒の朝顔の種を植えたら、176個の種が出来たそうです。次の年は、興味のある数人の友人に種を分けて、植えてもらいましたが、どれほどの種が出来たのか、とても数える気もしなかったといいます。
 また、彼は「ウォーキングツリー」の話を、私とのコラボセミナーでしていました。年間90cm歩く木もあるそうです。ジャングルの密林の中で、太陽の光を感じて、その方向に根を張り、反対のほうの根はみずからが枯らすのだそうです。そのことで「ウォーキングツリー」となるのだそうです。その根は、支柱根といって土の中に根を張るのではなく、地上にある幹や枝から出て地中に入り、支柱のような形態になった根のことをいうのだそうです。
 山口さんの話は、「いのち」の話ですが、「たま」や「仏向上」の世界を彷彿とさせてくれます。

 宇宙を解説するとき、ブラックホールとホワイトホールの説明をするとおもしろいですね。仮説なのでしょうが……。ブラックホールは宇宙が吸い込まれてなくなっていくわけです。ホワイトホールは宇宙が押し出されて新しく創られていくわけです。

 こんなことを考えさせてくれるのは、入江富美子さんのご著書『へそ道』(サンマーク出版)を拝読し、対談をさせていただき、去る4月26日には、ジョイント講演会を開催させていただいたからだと思います。
 昨年の秋に初めてお会いしてから、「たま」の世界を表現されるのに、「なんとなく」の世界であらわされる入江さんの心=「しい」を読んでいると、「光を聴き 風を観る」という言葉が浮かび、これを講演会の私の講演のタイトルにしました。
 講演は、「縁(えにし)の糸をむすぶ愛と信頼の絆」を話、こんな話を展開しました。

【大学三年、四年、そして大学院時代に、詩人の浅野 晃(あきら)先生に学びました。
 先生は、1963年8月、詩集『寒色(かんじき)』を出版され、1964年に第十五回読売文学賞を受賞されました。
 1965年、浅野先生は詩集『天と海 英霊に捧げる七十二章』を出版されます。すると、1967年、「天と海」は三島由紀夫の朗読、山本直純の音楽という組み合わせでレコード化されます。

 浅野 晃 先生が講演会に行かれるというので、車が迎えに来ました。しかし、あいにく雨が降っていました。私は先生がぬれないように傘をさしかけました。すると先生は、冗談めかした表情で、
「澤谷さん、僕は濡れないよ」
 と言われました。学生は「君」づけですが、院生は「さん」づけなのです。
 私はハッとして、
「スーツがぬれます」
 と言いますと、
「僕のスーツがね。僕の手がね。僕の顔がね。でも僕の持ち物であるスーツや手や顔がぬれるのであって僕がぬれるわけではない。顔や手だって“僕の”がついている限り、僕じゃない。僕の所有物にすぎない。じゃ僕はどこにいるのか? ということですね」
 と言われました。私は怪訝(けげん)な顔をしたのでしょう。先生は笑いながら、
「今度、教えよう」
 と言われて、車に乗られました。】

 この話は、二転三転する展開で「光を聴き 風を観る」に迫ったつもりです。

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コメント

無限の可能性
澤谷先生、おはようございます。
清々しい朝ですね\(^o^)/

いま私たちが生きている時空間というのは、
限定されたものだから、無限の可能性を探るには、
その源流をさぐることなんですよね。

1年に90㎝動く木は、いのちの話ですが、無限の可能性を彷彿とさせますね。

セキュアベースの引っ越しをしてます。
というよりも本来の在り方に還っていってます。

両親や家族、職場、趣味の仲間、高校大学の友人。
心の世界や法則の話をほとんどしない人たちです。

その人たちの中で安心するようになり。
(青い鳥をみつけられたのは、ここでのご縁のお陰です。)

引っ越し先から、ここに戻ると。
自分がかつていた場所。
自信をなくし精神のバランスを失った場所。

でも、そんな自分はもう、どこにもいない。

同じように、無限の可能性の源流からみると。
問題はなにも起こっていなくて、いまここにいながら。自由になっていいということ。

浅野晃先生のお話が、繰り返し出てくるように、




僕は濡れてないんだよ。




ということ。わかったようでわかってなくて。
もとに戻ったりしますが、やっぱり、




僕は濡れてないんだよ。




ということ。
澤谷先生、いつもありがとうございます。


りん [URL] 2016/05/05(木) 08:29 [編集]

りんさん。

「無限の可能性」は、無限である源流で理解すべきなのでしょう。
しかし勿論、時空間での展開は、「無限の可能性」が展開された表現なのですね。
りんさん。学びを深めておられますね。
澤谷 鑛 [URL] 2016/05/05(木) 10:24 [編集]

いつも勉強になります。ありがとうございます。

このところ、今こうしてパソコンのキーを打っていると聞こえてくる近くの道の車やバイクの音もそうですが、光や風が起きていることと自分も一体のように感じ、光や風が呼吸をしているように聞こえ、観えるように感覚があります。

「しい」に生きれば、分別性・偏計所執性な視点、思考、感情を生み、「たま」に生きれば円成実性、仏向上、一つの全体であり全体の部分「分けみたま」「仏向上心」であることに至るでしょうか。そして、つながっていること・依他起性を「しい」から観ているか、「たま」から観ているか。「たま」から観れることが悟りの境地でしょうか。
森 信仁 [URL] 2016/05/05(木) 10:49 [編集]

森 信仁さん。

光を聴き 風を観る 世界を味われたのです。思考から思惟の世界に移行されたのですね。
澤谷 鑛 [URL] 2016/05/05(木) 13:53 [編集]

「しい」の世界から「たま」の世界へ
「たま」の世界から、「しい」でもとりわけ、

悔しい、寂しい、悲しい、そういうネガティブな感情はデトックスして流し去ればいいということなんですよね。

「たま」の世界に生きていれば、「しい」の世界しかみてない人を責め裁くことなく。ただ、

いま、この人はここにいるんだなと。

その人の最善の時期に、氣づくことを信じられますし。氣づかなかったとしても、それはその人の学びだと思えてゆるせるのですよね。

「しい」の世界から「たま」の世界に移行するん過程の人は。他人のデトックスした感情にいろいろ引っ掛かるのですが。それもまた。

その人その人が、デトックスされるべき感情が浮き上がって表面化しただけで。起こるべきことが起こっただけなんですよね。

そういうものが、綺麗にデトックスされていくと。
「たま」の世界から人・事・ものを、暖かく柔らかくみれるのだと思いました。

ありがとうございます。

りん [URL] 2016/05/05(木) 19:53 [編集]

光と闇
大変な人を澤谷先生が、辛抱強くご指導されているということは。確かにそうなんですよ。間違いではないのですが。では、なぜ、そうなるか。

自分で氣づくのを信頼して待つ。

これは大事なことですよね。

ただそこに。育成しているカウンセラーさんの人格が統合されてないということがあり。そのカウンセラーさんが自分を扱うように。自己防衛でクライアントさんの人格を傷つけて壊したら。

その被害にあったクライアントさんは。
自分の責任であり澤谷先生は責任をとらない。

ということになっているんです。

それくらい起こったことが全部、自分の責任というのを貫く立場を先生はとられてます。

だからこそ、わかったことがあり感謝してます。

ただ、当時の私は。それに疑問をもち。先生の育成されるカウンセラーさんが、誰かの心を壊すようなことは。何がなんでも未然に防ごうとしたんです。

それによって。心を壊される役を自分が引きました。けれど。そのお陰で。どんなに壊しても壊れないものというのを、知ることができました。

魂が望んで引き寄せた経験でした。

そうして。育成されているカウンセラーさんが、私の知らないところで、誰かの心を壊すような事態は防ぐことができたと思ってます。

そういういろんな経緯あってのことであり。

誰かひとりの問題というのではなく。
集団の絡みがひとりの問題として顕れてきた。

ひとりのカウンセラーさんの育成に。
澤谷先生が光の役割をし。私が闇の役割をしてきたこと。

澤谷先生のこともまた。尊敬するカウンセラーさんではありながら。父親の投影でもあり。人間的な部分もいっぱい葛藤して溶かしこんできた中での先生への信頼であり。

私が問題のある人という認識を。
悲しく思いました。

けれどそれも。自分が自分をそう扱う内側が、外側に顕れてきただけであり。すべては自分の心の展開です。

こういうことひとつひとつ。全部、有り難い学びですよね。ありがとうございます。




りん [URL] 2016/05/05(木) 21:15 [編集]

そして
これまでの私の姿というのは、大半が、
憑依人格を、主の人格に統合するための立役者(破壊と創造を司るトリックスター)の姿です。

トリックスターは。役割が終われば。
殺されるか、姿を消すかするそうですよ。

本来の私の姿に還れるということかもしれません。
主人格の方も、心が凪いできたようですね(笑)

ここまで来れて本当に良かった。
ありがとうございます。
りん [URL] 2016/05/05(木) 21:55 [編集]

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