お伝えしたいことは「運命は改善できる」ということです。
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05/10
生きること 死ぬこと ~この寂しさは何処から~(上)
         澤谷 鑛

 ☆若輩ものと旬☆
 一世を風靡した「世界のX」の創業者であるA氏の個人的な個別の指導を頼まれたのは、御本人がお亡くなりになる十日前だった。
「X・J」の社長夫人であるB氏からの電話での依頼だった。B氏とは、女性ばかりを集めたセミナーでお互いが講師として顔を合わせたことがある。
「A顧問が“先生に直接御指導いただきたい”と申しております。☆☆までお越しいただけないでしょうか? それも出来る限り早くお願いしたいのです」
 B氏からの電話だけでも驚きだったが、当時、顧問であったA氏を指導する、と思っただけでもたじろいだ。当時の私は43歳の若輩ものである。
「15分ほど時間を下さい。日程を調整してみます」
 すぐに人生問題解決の私の師匠に電話をした。
「Aさんじゃ、仕方ないだろう。セミナーは何とかするから……」
 その頃の私は、月に1日~2日しか休みがとれなかった。
「17日は、1日いないことになりますが、よろしいでしょうか?」
「いいですよ。ところで、Aさんは君を知っているのかね?」
「中学二年生のときから高校卒業するまで、私は☆☆の隣の○○に住んでいまして、今も実家には母が住んでいます。Aさんと母は仲がよかったものですから……」
「そうかね。それにしてもAさんに呼ばれるとは、たいしたものだな」
 取って返し、B氏に電話を入れた。

 1993年4月17日(土)、京都発9時47分の「ひかり84号」に乗車し、☆☆に向った。当時、上り下りとも1日2本、☆☆に停車する「ひかり」があった。駅には「X・J」の社長夫人が待っていた。車で向かった先は、少し離れた温泉病院だった。

「A顧問は、なぜまた私のような若輩ものに白羽の矢をあてられたのでしょうか? ベテランのカウンセラーはたくさんいます」
 B氏に疑問を投げかけてみた。
「勢いがあるからですよ、先生に。旬な、新鮮な勢いですね。顧問は見逃しません」
 その頃のデータを見ると、平成2年(1990)に3,955名だったのが、平成3年(1991)8,099名、平成4年(1992)9,981名、平成5年(1993)のその年には12,262名の人々に私の講演を聞いてもらっている。

 A氏は、私が病室に入るとベッドから車椅子に移った。介護には東南アジアから来た三人の若い女性がかいがいしくお世話をしていた。日本語は片言だが、熱狂的なA氏を慕うXの社員なのだそうだ。三人のはちきれんばかりの笑顔は「A氏のそばにいるだけでしあわせだ」と言っているように思えた。A氏が日本のXは勿論、世界中のXの社員教育に力を入れていたことは知っていた。現地に飛んで研修をしたのだ。三人の女性はその精華の象徴のようにも思えた。

 ☆不来の相にして来る☆
 病室での三時間の大半は、二人っきりで話した。
「寂しい」という言葉がA氏の口を衝いて出たのは、二時間も経ったころだった。
 A氏の目からポロッと涙がこぼれた。
「今死んでも悔いはない、覚悟は出来ています。しかし、生きてきた86年を振り返ると寂しくなります」
 私は少し慌てた。
「現代人には、鎌倉時代のどこかのなま女房ほどにも“無常”ということがわかっていない。それは“常”なるものを見失ったからである。と小林秀雄はいいましたが、Aさんは“無常”ということがよくおわかりになっている。それは“現象”という千変万化し移り変わる“無常”の本質をよくおわかりになっているということです。だから“寂しい”のです。それは永遠・久遠・不易の“常”なるものを実によくわかっておられるから、“無常”がおわかりになるのです。“常”なるものをよくよく味わっておられるからです。“常”なるもの、永遠なるもの、久遠なるものがベースにあるから、“無常”ということを示現する“現象”をしみじみと感ずることができると言えます」
「……」
「神や仏が生きる“神生”や“仏生”でしたら光のみでしょうが、人が生きる“人生”は光と影の交錯するところです。光が見えるというのは“常”なるものがみえるということであり、影が見えるというのは“無常”なるものがみえるということです。影はある実体に光があたってできるものですが、実体は人であり、光は“常”なるもの、影は“無常”なるものと理解されるとよろしいかと思います。実体は人と言いましたが、人の心といった方がより正確にも思います。『維摩経』に“不来の相にして来る”というのがありますが、私たちは人生に来たらずして来るということです。Aさんは、その“寂しさ”をなんとかしようとするのではなく、そう感ずることが実は“感謝”されていることだと私には思えるのです」(つづく)

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コメント

無常
澤谷先生、こんばんは。

不来の相にして来るのですね。
私たちは、この世に。

鎌倉時代の生女房が無常をわかり、常なるものをわかるのは。戦乱の世にあって。戦でいつ夫が死ぬかわからない。病気や飢饉でいつ子どもが死ぬかわからない。自分が明日、生きていられるかもわからないときもある。

死は常に隣にあったんですよね。
そうして。夫が子どもが親が自分が。
死んだらどこに行くのだろう。

人はどこから来て、どこに帰るのだろう。

真理が私のような者でも学べる時代ではないから。
よりうっそう、無常をしみじみと感じた時代だったのでしょう。

影がみえるということは。無常がわかることであり。光がみえるということは。常なるものがわかるということなのですね。



寂しかったんですよ。。。



でも、その寂しさは。
消えていきました。




いまはただ。穏やかさに包まれてます。




感謝致します。
ありがとうございます。




りん [URL] 2016/05/11(水) 00:59 [編集]

誤字
よりいっそう。ですね。すみません。
りん [URL] 2016/05/11(水) 01:00 [編集]

りんさん。

無常をわかり、常なるものをわかるのは、どういう時代だからという時代背景にあるわけではないのですね。常成るものとであっているから無常なるものもわかる。いついかなる時代でも、ほんものとであうかどうかから、始まりますね。
澤谷 鑛 [URL] 2016/05/12(木) 08:48 [編集]

ありがとう
ありがとう
サンクス [URL] 2016/05/13(金) 19:52 [編集]

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