お伝えしたいことは「運命は改善できる」ということです。
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05/11
生きること 死ぬこと ~この寂しさは何処から~(中)
              澤谷 鑛

 ☆なぜ寂しかったのか?☆
 岐阜で司法書士の事務所を開設している国島次郎氏からA氏の“寂しさ”についてメールが届いた。
 国島氏は国立大学出身の大変優秀な人だが、大学はその専門ではなかった。
 卒業後、父親が亡くなり、その仕事を継ぐために、父親亡き後独学で司法書士になった。
 独身時代にはよく私のセミナーに顔を出していた。もう20年からのつきあいになる。

『……先日は岐阜に御講演に来ていただき、ありがとうございました。久しぶりに先生の御講演を懐かしくも楽しく聴かせていただきました。
 さて、御講演の後にラウンジの席で出たA氏のお話ですが、私なりの意見を一筆書くことにいたしました。
 A氏は、「作仏求めて余物求めず」ではなかったから“寂しかった”のではないでしょうか?
 最近、私は企業の使命ということを考えています。現今は単なる金儲けのみを許す時代ではありません。環境にやさしく人にやさしい企業――誠実で愛深い企業が求められています。
 だから仏教でいう「作仏求めて余物求めず」を掲げたのですが、他の言葉で言えば「神を愛さなかった」から寂しかったのではないでしょうか? 
 キリストは第一の戒めとして、
「汝、心を尽くし精神を尽くし思いを尽くして主なる汝の神を愛すべし。これ大にして第一の戒めなり」
 また、
「これが第一であって、第二もまたこれにひとし」
 とまで言っています。
 また、別の言い方をすれば、今日の社会的問題を考えてみても、いかに多くの人たちが理想を失うことによって、その代償として華麗な邸宅や豊富なる財産、それに色々の高き地位を勝ち得ていることでしょう。しかし、それは早晩くずれてしまう偽物の栄誉でしかないように思うのです。
 A氏もなにか心の中に理想にかなわないところがあったのではないでしょうか?
 これはA氏だけの問題ではなく、企業にかかわり人生にかかわるすべての人々の問題ではないでしょうか。
 やはり完全に使命=理想を生きるということでなかったことが“寂しさ”として表れたのではないでしょうか。A氏の“寂しさ”は“懺悔”であったと思います。
 私は、A氏がわざわざ先生を指名して個人的な個別の指導を受けられた、ということが重要に思います。引導を渡されたのです。
 そのままの人生が感謝と悟ってA氏は逝かれたのではないでしょうか。
 またお会いできる日を楽しみにしております。……』(つづく)

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コメント

作仏求めて余物求めず


作仏求めて余物求めず。



意味がわからなくて調べてました。
禅のお話だったんですね。



じーんときまして。



余物を一生懸命求めていたときは。
わからなかったなと。



仏というのは。



天地一切と調和したところにあり。
親兄弟、周りと調和したところにある。



小さな我を棄ててこそ、
浮かぶ背もあれ。



なんともいえないですね。。。





りん [URL] 2016/05/11(水) 01:15 [編集]

りんさん。

学びを深めておられますね。すばらしい。
澤谷 鑛 [URL] 2016/05/12(木) 08:51 [編集]

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