お伝えしたいことは「運命は改善できる」ということです。
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05/12
生きること 死ぬこと ~この寂しさは何処から~(下)
       澤谷 鑛

 ☆御主人とともに見たかった☆
 A氏の“寂しい”という発言に、こんなコメントをした人がいた。
「Aさんの“寂しさ”は私にはよくわかります。Aさんは20年前に亡くなった御主人とともに世界に拡がるXを見たかったのです。それが残念で“寂しい”のです」
 コメントした隅田敬司氏は、若き頃に縄の帯をしめ、一燈園の無一物の生活を体験され、生涯独身で過ごそうとしていた。ところが、ある尊敬する人の講演で結婚しようと思った、という。それは、この言葉だった。
「結婚はたましいの完成であります。半身と半身で一つの完成を遂げるのであります」
 その講演を同じ会場でたまたま聴いていた女性がいた。この女性も結婚などせずに自らの特性を発揮しよう、と思っていたが、隅田氏と同じ言葉に雷に打たれたように衝撃が走った、といいます。
 その後、縁あって二人は結婚しました。喧嘩ひとつしない仲の良い御夫婦で事業も繁栄し、息子さんも学者になって社会に貢献しています。
 隅田氏にとって生涯のテーマは“夫婦”なのです。だから“寂しさ”は“夫婦”の問題に帰結されるのです。

 ☆青年は誤解する?☆
 A氏のことを青年向けの雑誌に「生きること 死ぬこと」と題して書かせてもらったことがある。大泉英雄氏からお電話をいただいた。
「ある青年が《A氏ともあろう方が“寂しい”なんてガッカリしました》という感想を述べました。私はその“寂しさ”は私なりにわかりますが、若い人たちはどうでしょうか? 誤解すると思いますよ」
「それは私の表現が下手ということで、如何ともしがたいところですが、私の表現の下手さ加減とは別に、若い人たちも考えていい問題だとは思いますが……」
「それはそうですけれども……」

 ☆微妙で奥深い☆
 御主人が総合病院を経営する塚本寿美子氏と、講演会で講師として御一緒したことがある。
 講演会が終了し、それぞれに帰途につくべく準備をしていると塚本氏が話しかけてこられた。
「もうお別れですが、お別れするのは寂しいですね。昨日、こちらに来るときも家で孫とも別れてきました。その時も寂しかったですね」
「Xの最高顧問であるA氏とお亡くなりになる十日前にお話したのですが、“寂しい”と言われました。私にはよくわからないところがあります」
「先生は、なんといってもお若いから……。私のようにこの歳になると“寂しい”と感じますね。これは勿論、永遠なる世界のことではないのかもしれませんが、単純に現実の世界のことをいっているとも言えません。先生もお歳を召せばおわかりになりますよ。今を生きる、ということは、こんなところでも微妙に奥深いと感じられますね」
「塚本先生、資料をお送りしますからコメントをお願いします」
 後日、塚本寿美子氏から長いお手紙をいただいた。私は、あふれる涙をぬぐいながら拝読したのを覚えている。
 その塚本寿美子氏も今は亡き人である。

 ☆春休みのようなもの☆
 横浜に講演会に行ったときのことである。その会の主宰者である安西義晴氏から「閉会の言葉」があった。
「今、お話の中でAさんが“寂しい”と言われた、と先生は話されました。私は、Aさんのたましいは霊界に移行することを知っていた、と思うのです。次の世界に行くとき、例えば小学校を卒業して中学校に行くときに、春休みがありますね。小学校に戻りたいと言っても帰れない。でも、春休みですから未だ中学校には行っていない。中学校への希望や夢、それに不安もありますね。何も先生はむつかしいことを言っている訳ではありません。春休みの感覚を言っているのです」

 ☆その歳その歳で違ってくる☆
 岡山での講演会は、午前中に1時間半を私が話し、午後からは発展を続ける企業家の講演が組まれていた。
その会を主宰する樋田明雄氏と午後から講演する社長と三人で昼食をともにした。そのとき樋田氏は、このようにコメントした。
「先生、Aさんの“寂しい”という問題ですがね。これは永遠のテーマだと思いますよ。先生が50歳になったとき、60歳になったとき、70歳になったとき、80歳になったとき、そして86歳になったとき、それぞれにお話されると、その年代、その年代で、この答えは変わってくるのではないでしょうか? もしかしたら、Aさんの“寂しさ”は、Aさんだけにしかわからないのかも知れないですね。この問題を考える人がその人だけの答えを出すのかも知れません。人それぞれに、ですが、一人でも様々に、ということですね」
 昼食後、A氏に想いを馳せながら、夜の講演会の会場である島根に向った。(おわり)

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コメント

その人のことはその人にしかわからない
Aさんの寂しさはAさんにしかわからない。
周りの人は、自分の心を投影してAさんのことをみているだけなのでしょうね。

自分の心や状況が変われば、過去に読んだ同じ記事も感じ方が変わってきますね。

ありがとうございます。
りん [URL] 2016/05/12(木) 05:50 [編集]

りんさん。

人生の多角性を教えてくれていますね。
澤谷 鑛 [URL] 2016/05/12(木) 08:53 [編集]

寂しさは
澤谷先生、3日にわたる記事の掲載に感謝致します。「寂しい」ということを。よくよく味わう機会をいただき感謝です。

職場では。 両方の実家を含めた家族では。
また、趣味の仲間の中では私は全く寂しくありません。むしろとっても幸せです。

ここにいる自分が、寂しかったんですよね。
自分は理解されないという、一番、奥底の感情というか信念がデトックスされてなかったんですね。

連載の最初の記事の先生の返信への返信(笑)
になりますが。

ほんものと出会ってなかったということだったんじゃないかな。と思います。

常なるものに出会ってなかったということ。
自分との絆をうまく結べてなかったということ。


自分との絆がうまく結べてないから。
人との絆がうまく結べてなかったということ。


それが浮かび上がってくる場が。
耐えられなかったということ。







A氏の寂しいも。死を目前にされて。
常なるものに対峙させられるからこそ。
寂しいという思いが突き上げてきたのではないかな。

だから。先生の話に。
きっと、何かを感じた筈だと私は思います。

そういう私の感想もまた。
私の心がみている世界なんですよね。



面白いですよね。



先生。



ありがとうございます。


りん [URL] 2016/05/12(木) 18:30 [編集]

生きていた自分



A氏は、死を目前に。



先生を鏡に生きていた自分を、
眼に焼き付けておきたかったんじゃないか。



この世に生きていた自分を。
先生のなかに確かに感じて。



この世という小学校から。
次の課程の中学校へ。



小学校2年生の教育実習に、
入ったことがあります。



子どもの輝きというのは。
鮮烈で旬な輝きであり。


その魅力は、渦中にいる本人には。
わからないものかもしれませんね。


A氏の心はA氏にしかわからないけれど。
確かに。生きていた自分を感じて。



生命の源へと還られたのかもしれません。



りん [URL] 2016/05/12(木) 19:31 [編集]

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