お伝えしたいことは「運命は改善できる」ということです。
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05/23
すべての人が光
             らむ

「私はちょっとおかしいのではないか?」
と感じた、子どもの頃の忘れられない記憶の一つが、10歳の時のことです。

それは、殺人事件のニュースを見た時……。

ニュースでは、犯人はよってたかって批判されているわけです。
家庭環境がこうだったから、こうなったのだとか。死刑だとか。

いや、もちろん、してしまったことは悪いのですが……。
でも、ニュースを見て、犯人の中に私はまばゆいばかりの光を感じたんです。

この人、輝いているのに、どうしてこんなに批判されているんだろう?
人を殺したところにはこの人の本質はないのに、どうしてわからないんだろう??
と思った記憶があります。
子どもだったので、誰にも言えず、うまく言葉にすることもできず……。

ただ、ニュースでのひどい取り上げられ方を見ていて、
「あぁ、私の感覚の方がおかしいんだな。特殊なんだな。私の感じていることは、人に言わないほうがいいんだな。」
と感じたのです。

今でも、私の直感・感じていることは人には受け入れられないだろうなという思いはあります。受け入れられないというか、私はおかしいんだという思い……。
その思いは、子どもの頃から私を蝕んできました。

私は発言してはいけない。
私は受け入れてもらえない。
私の感覚はおかしい……
私はおかしい……

この思いは10歳よりも前から感じていましたが、このニュースを見たときに改めて強烈に自分を封印した記憶があります。

でも、自分の中では犯人への興味はどんどん膨らんでいくので、高校生の頃は、親にも内緒で、犯罪心理の本を買って読んだりしていました。

私の見た光の意味・理由を知りたかったのだと思います。
そして、それがわかれば、自分を否定しなくてすむんじゃないか。
犯人を否定しない論理的な説明ができれば、犯人も自分も救われるのではないか。
そんな思いだったように思います。

大学生になっても、犯罪心理関係の文献をたくさん読み、たどりついた結論の一つが、
「犯人にとって、人を殺すということは、自分を見てもらいたい、愛してもらいたい、存在を認めてもらいたい。」
という愛情表現の方法だったのだということでした。

私が見た光は、愛を求める純粋な思いや自分の存在すべてを使って自分を表現していることの輝き、そんなものだったのかなと思いました。
愛を求める心はすべての人が共通してもっている思いであり、表面的にはどんな言動をしていても、その奥にあるものはすべて愛であったということ。

そこにたどりついたときは、やっと少し自分の封印を解くことができるような気持ちになりました。
そして、その光を私が感じ、それをどうしても突き詰めたかったのは、私の中にも、「自分を見てもらいたい、愛してもらいたい、存在を認めてもらいたい。」という強い思いがあったからでした。

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コメント

澤谷先生、らむちゃん、おはようございます!

らむちゃんは10歳の時にすでに犯罪を犯してしまった人の心の闇の中に光を見抜けたのね。
さすがらむちゃん!凄いな〜(≧∇≦)

たしかに澤谷先生が教えてくれました。
「犯した罪は裁くことはできても、人を裁くことはできないんですよ」って。

犯罪の低年齢化や凶悪化が進む中、やっぱり家族の絆の希薄さがこんな事件を増やしてしまうのかなって思うと、ニュースで扱われるたびに母親世代の私には胸が締め付けられる思いです。

犯人にとって罪を犯してしまうということ…。

表面的にこれでもかというくらい裁いてしまうのは恕の心がなさすぎるよね。
もっともっと家族や人の本質を見つめ直さないといけませんね。

とっても勉強になりました。

ありがとうございます(^人^)
はちみつ [URL] 2016/05/23(月) 10:02 [編集]

犯罪…。昨日、行った池川明先生の講演で、未成年者の犯罪が増えた時期と、産院での母子別室(新生児室)が普及した時期が一致しているそうです。また、同じ頃に母子手帳には、子供の自立を阻むという理由で「赤ちゃんを抱っこしてはいけない」と書かれていたそうです。

生まれてすぐに大好きな母親から引き離され、愛してもらえていない、存在を無視されていると勘違いしてしまったのでしょうね。

本当はこんなにも愛されている。その真実に気がつけたらいいですね。悲しいことになる前に。
蒲生智衣 [URL] 2016/05/23(月) 10:04 [編集]

身近な隣の人に
無かったことにされた人に居場所を
http://kizunanohousoku.blog34.fc2.com/blog-entry-4126.html

佐原幹春さんの記事を。らむちゃんの記事を読んで一番に思い出した。

要はどれだけ。犯罪を犯す人の心を自他一体のものとしてみれるかということなのかな。

そうして。中学生のときに思ったこと。
荒れて反抗していた彼らが。一番、純粋が故に。
また、自分の思いに真っ直ぐが故に。

自分たちの言えないことを言ってくれて。
矢面に立っていたんだということ。

そうして。犯罪に関わった少年たちの更正に関わる人というのは。自分で立ち直るのを待ち信じつつも。自分を裸にして嘘いつわりなく。

彼らに学びみずからの形を変えながら。
彼らを教師としながら己を見つめていける人じゃないかな。

子どもに関わる仕事していると。
そういうハートを持てる大人でいたいと切に思うよ。

メディアも。彼らが立ち直るために。
大衆のひとりひとりがどういう心を持てばいいか。彼らが報道をみて、立ち直ろうと思える社会になり大衆になれたらいいよね。

立ち直ろうと思えたときに。身近な隣の人に自分がなれるかどうか。そういうことを思うよ。

らむちゃんには、こういうことを話せる。
いつもありがとう。
りん [URL] 2016/05/23(月) 19:05 [編集]

祈り
子どもの心が開くとき
http://h-kishi.sakura.ne.jp/kokoro-184.htm

北海道家庭学校の校長だった谷昌恒先生という人がいて。大学のチャペルで講演を聴きました。

更正に直接、携われない自分は。
せめて。彼らに関わってくださる人に。

心から祈り。

自分の心がせめて。彼らに無関心なところにいないようにと思いました。
りん [URL] 2016/05/23(月) 19:27 [編集]

福祉と精神世界
福祉と精神世界は、ちょっと違うと思っていて。
福祉というのは。彼らをみずからの生活のなかに喜怒哀楽をともにして生きるということ。

精神世界というのは。ちょっと距離感が違うと思っていて。ただ、無かったことにされた人に居場所を。の話に戻ると。

身近な家族或いは、今は離れて暮らす人であっても。彼らのようにならないと済まなかった人。似たような人を。自分が隣人として溶かしこめているのかなという話になる氣がして。

遠くの事件と、身近な家族や仲間は。
相似形であり無関係じゃないと思う。

すみません。どうしても譲れない。
私の宇宙なんですよね。
りん [URL] 2016/05/23(月) 20:21 [編集]

だから
だから。記事を読むときに。
記事を書いた人に共感も必要なんだけど。

記事を書いている人が。
誰かの居場所を無かったことにしてないかな。

誰かを、追い出してないかな。

誰かを追い出していれば。
どこかに、その人の波動に冷たさが残る氣がする。

裁くとかじゃなくてね。

追い出している自分の弱さをみて。
その自分の弱さをゆるしてもらうということ。

そこに氣づくために。
周りの人間関係があってくれるんだと思うよ。
りん [URL] 2016/05/23(月) 20:44 [編集]

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