お伝えしたいことは「運命は改善できる」ということです。
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06/07
どっちの自分で行く?
       乕澤美香(養成講座8期・9期)

先日、ある方のお姿をふと思い出して、その姿とともに「ときめき」という文字が躍っていた。
自分の意志ではないような感じで、促されるように書き始めたその文章を読んで、「返歌」のように(笑)嬉しいお返事を頂いた。

・・・・・・・・・・

昨日、私について書かれたみかっちの投稿にビックリ!

もし私が自分のことを「ありのまま」書くとしたら、こういう風には恥ずかしくて書けない。自己否定のエネルギーを止められず鬱々としていたから。

でも、みかっちが書いてくれた「私ありのまま」と、私が書くであろう「私のありのまま」。……やっぱり前者の方が、読んでいて心地よい。

心地よい方に真実がある。不快な方に真実はない。「私の書いたあなたを信じなさい」。みかっちから、そう言われているような気がした。

それにしても、みかっちの表現は素晴らしい。簡潔さとキメ細かさ、さりげなさと慎重さ、ホットとクール、それぞれが絶妙に共存している。

なおかつ「全部を言い尽くさないこと」によって読者のイメージを深め、かえって取材対象の核心部分に素早く誘い込む。オリジナルな離れ業だ。

エターナルメッセンジャーみかっちは、書かれる人と読む人が「本当の自分」を読み取るための記事を、これからも取材・執筆してゆくのだろう。

・・・・・・・・・・

「どちらの自分を選択するか」
「どちらの気分を選択するか」

どんなに有名で、そして成功している人でも、選択しているのは常にこの「選択」。

いや、成功している人ほどに、この小さな小さな「選択」が何十年後にどんだけ遠くに自分を連れて行ってくれるかをよーく知っている。

このTさんが書いてくれた「私」は(ほめすぎだけど!)まさに、私が目指す私自身だった。

みんな、自分のことは否定的なのに、いざ人が困っていたりすると、これまで落ち込んでいた心はなぜか燦々と輝いて目の前の人を照らしたりする。

だから私たちみんな「鏡」であり、だからこそ、目の前の人とのご縁がある。生きてくる。

こうやって、穴に入りたくなるような恥ずかしい表現をしてくださるTさんの中の素敵な「私」を、私も選択します!!
6月はこの「私」に舵を切ります♡
Tさん、本当に本当にこちらこそありがとう♪

澤谷 鑛 のカウンセリングは、コチラ…
澤谷 鑛 のセミナー/講演会情報は、コチラ…
コメント

拝む
真理というのは、どんな人のどんな感情にも。
どんな人のどんな姿にも、その奥底に神なるその人の姿を観じられる眼を養うことで。

その一番、最初が。

心地よくない自分の姿を、
神仏を拝むような慈悲深い心で。

拝んであげることなのかなぁと。
最近、思います。

ありのままというのはほんとは。
人の見えるものを超えたところにあって。

みえないけれど、拝むことで。
それを現実に引き出してきたときに。

人が人をみて。
ありのままが美しいというのかなと。
思いました。

ありがとうございます。
りん [URL] 2016/06/07(火) 07:12 [編集]

鏡と天国の箸のあたたかさ
良いところにしろ、悪いところにしろ
それが、鏡に映った自分の姿であるとわかっていようが
気付くことができなかろうが、どちらにしても

自分のことはよくわからず
他人のことはよくわかるものですね。


評価はできるのに
自分の評価は受け入れがたい。
これも、よくあることですね。

自意識がはずれると
とたんに澄んだ水が流れるように直感が働き
直感を働かせている自分も
それを受ける相手も共に、
一瞬で生き生きし始める鮮やかさは素晴らしい。

枯れた花が水を得て甦るようですね。


鏡を見なければ己が姿がわからないというのは
一人では、自分のことすらわからない、という
不完全さの表れのように、ずっと感じてきましたが

今は、そうではなくむしろ、
神さまの愛に満ちた配慮なのかもしれないと
思うようになりました。


みなが長い箸を持たされて
他人に食べさせているという天国の在り方。
神さまはそのように
人々が、お互いを愛し、思いやり
あたたかな空間を生きる事を願われている。

鏡を通さないと自分がわからないことは
実は天国の箸と同じで
それを、不完全なことのように思うのではなく
相手とつながり、愛し合い
ひとつながりの世界の豊かさを楽しむための
素敵な素敵なきっかけにすればいい。

そんなふうに思われるのです。


美香さんも、鏡を通されてご友人と
素敵な関係を生きておられる。
そのあたたかさに、拝見しながら心が温かくなりました。

美香さんが、あたたかな絆を生きておられることが嬉しい。
あたたかい。
ますます、人生は素敵だなと感じされられました。

ありがとうございました。
桜 美穂 [URL] 2016/06/08(水) 16:37 [編集]

桜さんと澤谷先生へ
命懸けで伝えたいことを伝えてきたこと。
不完全であろうが執着であろうが。

根本にあるものは暖かい心。

桜さんが私にしてきたことは。
残念ながら。

破壊的な念の毒だしでした。

桜さんはおそらく。
愛じゃないように見えたものが不完全ではあっても、暖かい心だということにだんだんときづき。

私は。向けられた心というのは。

無視と排除と毒だしでした。
それは澤谷先生にしてもそう。

桜さんと澤谷先生ふたりの。
抑圧感情、抑圧人格の浄化を。
数年にわたりしてました。

だから。先生がなぜ病気になったかも。
桜さんがなぜ、病気になったかもわかり。

なぜ、良くなってきたかも手に取るようにわかります。

浄化してもらった方は楽になってます。
浄化した方は。

なぜ? その思いが残りますね。

そして。本人には自覚がなく。
悪気も罪悪感も無いですよね。

そういう自我意識を放ったところを。
みれたらいいですね。





りん [URL] 2016/06/09(木) 02:36 [編集]

澤谷先生
澤谷先生はそれでも。顕在意識は。
私に対する愛情を感じてましたから。

信頼して待ってくれ。
コメントにも誠実に返信を書いてくださっていて感謝してます。

先生は先生で、なのになぜ?
そういうふうに思うだろうなと思いました。

クライアントさんひとりでも向き合いは大変なのに。これだけの人の闇と向き合えば。

浄化できる容量は、人間ひとりでは限界があるのに。心を整えてしまうから。身体が休みなさいと教えてくれていて。

だけど。そんな果てしない念の浄化の肩代わりをし続ける人生なんか。私は望んでないから。

へその緒をバッサリ切ろうと思います。

表面的なところしか見えず。
私だけが問題児扱いされるのも。

いい加減にしてもらいたい。

綺麗事じゃなくて。身を切るような思いをして。お互いが支えあっていて。

ほんとにそれがわかって言葉を使っているとは思えない。

そうして。そういうものを。
全部、無にされる思いを。

昇華しようとしているいまです。

りん [URL] 2016/06/09(木) 02:56 [編集]

そうして。
そうして。

近くにいるだけで、近くにいる人の毒を勝手に自分の心と身体を使って浄化してしまう人が有り難いかというと。

そうではないこともわかってきたので。

心の整理を一日も速くつけて。
皆さまの幸せを願い。
感謝してお別れして。

別々の場所でそれぞれが幸せになれたら。
それが一番、お互いのため。

寂しいといえば寂しいけれど。
もう、それで納得しようと思います。

りん [URL] 2016/06/09(木) 03:14 [編集]

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