お伝えしたいことは「運命は改善できる」ということです。
07 * 2017/08 * 09
S M T W T F S
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -
--/--
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
06/09
先の一手ではなく、永遠なるものを見据える。
       入江富美子

こんにちは。入江富美子です^^

「あなたがたのうちに働きかけて、その願いを起こさせ、
かつ実現に至らせるのは神であって、それは神のよしとされるところだからである」
(ピリピ2・13)

「<万事相働きて益となる>これは私の好きな言葉なんです」

25年前、私に今の基本の生き方のベースに気づかせてくれる師に出会いました。
その先生が、野口整体の先生でした。
教えるのではなく、観点をくれる感じでした。
この教えを聞いた時は、衝撃と感動と、この生き方に賭けるという気持ちでいっぱいでした。それは、
「あてずっぽうに(価値判断なく)相手の命の満ちているところに(へそ)一世一代の恋(今の一瞬に込める)をするように触れること」

その10年後、もう一人私に大事なことを教えてくださったのが、牧師先生であり、トータルカウンセリングスクールの講師である田中信生先生で、
「どんな時も大丈夫」
と大丈夫スピリットを教えていただきました。
「いいとか、悪いとか、価値判断せず、そのままの自分でどんな時も大丈夫を生きること」
と言えますが、染み渡るように私の中に入ってきました。

そして、最後に、中山靖雄先生が、みたまの世界を解いてくださったのです。
そこから今までの学びは、一貫して「すべて大丈夫」の一元スピリットなのですが、それが、全部、今につながっていますし、映画のベースになっています。
映画を見終えた感覚が、それに近いと思いますし、それを映画で表現したかったのだと思います。
とても私の口では伝わりにくいものだったし、当時は周囲の人に、理解してもらえるような表現もできずだったので必死でした。

しかし、20年前の講師時代は、「全部もう、これでわかった♡」と思い込んでいて、「わかっていないことがわからない」からこそ、張り切って先生をしていました(笑)。
今は、どこまで言っても生きている限り、わからない世界だとわかってやってるだけ成長したかも……と思いますが^^;
これまで出逢ったどの先生方も、この学びは、こつこつ、かつ、こつこつだよ! といつもおしゃっていましたが、今、やっとその意味がわかります。
「わかる」というのには、終わりがなく、25年経ってみて、わからないってことがわかって、あらためてそのことの深みを感じています。

そんな私ですが、尊敬する田中先生から先日お電話をいただけ、幸せをかみしめています。
中山先生の時と同じ、このなんとも言えない世界の実態を生きておられる方の言葉を私がご紹介することで何かが伝わったらうれしいと思い、シェアさせていただきます。

先生は、「へそ道」の本をみなさんにご紹介くださっています。
そして、中山靖雄先生のことも「あの方は、天の人だよ」とおっしゃってくださいました。
先生は、
「あなたのお父さん(中山先生)にはなれないかもしれないけれど、お兄さんくらいにはなれるかもしれないからね。お父さんから、頼んだよ、って言われている気がして電話しました。将棋でも、<先の一手>を読んだものが、勝負を制すでしょ? 天を中心にあなたは生きようとしているでしょ。それは、<先の一手>ではなく、天という、<永遠なるもの>を見据えて生きようとしているんですよ。だから、いろんなことがあるけれど、すべて大丈夫ですよ」
と、メッセージくださいました。
そういうことなんですね。先の一手ではなく、永遠なるものを見据える。

澤谷 鑛 のカウンセリングは、コチラ…
澤谷 鑛 のセミナー/講演会情報は、コチラ…
コメント

どんなときも大丈夫

ひたすら神さまを求め。
ひたすたすら神さまの手に抱かれます。


ひたすら神さまに恋をして。
ひたすら神さまに満たされます。


どんなときもきっと。
大丈夫。


ありがとうございます。


りん [URL] 2016/06/09(木) 01:53 [編集]

何を見て生きるのか。何に命をかけるのか。
「あなたがたのうちに働きかけて、その願いを起こさせ、かつ実現に至らせるのは神であって、それは神のよしとされるところだからである」(ピリピ2・13)

キリストは、弟子のひとり、ユダにより売られて、処刑されます。
最後の晩餐でキリストは、ユダに
「行って、あなたのするべきことをするがよい」と言いました。
自分を売ろうとしていると知って行かせたのは
自分が、命を捨てなければ
人類すべてを救う、という預言が成就されないと知っていたからだと言います。

<万事相働きて益となる>、
これは、目に見えないことを確信する信仰の言葉であり
命がけの言葉なのですね。
「どんな時も大丈夫」も、まったく同じ意味ですね。



すべて、心が展開するのであって
物質や目に見える事象が先行しているのではないという考え方は
引き寄せの法則がブレイクして以来
広く信じられるようになってきたと感じます。

書店に行けば、望みをかなえ、欲しいものを手に入れるために
法則を使う本がたくさん並んでいます。

それももちろん素敵なのですが
その本質は、入江さんが書かれている通り
「天という、<永遠なるもの>を見据えて生き」ること。
<万事相働きて益となる>、「どんな時も大丈夫」を
生きることなのでしょう。

生きるということは、それだけで命がけであるということ。
「命がけで!」と力もうが力むまいがどちらにしても
<万事相働きて益となる>、「どんな時も大丈夫」を生きると決めたときから
私たちは
「天という、<永遠なるもの>を見据えて生き」ることに
命をかけることになるのでしょう。

そこまで進化するように、人類は促されている。
引き寄せの法則の大ブレイクは、その始まりだったのかもしれない。
そんな気がしてきます。



「あてずっぽうに(価値判断なく)相手の命の満ちているところに(へそ)一世一代の恋(今の一瞬に込める)をするように触れること」
振り返れば、どの師匠もまっすぐに、そのように私に触れてくださる方々ばかり。まっすぐに、そこを教えてくださる方ばかりでした。
なんというしあわせなことだったかと思います。

自分が、そのところを捉えたとは思いませんが
捉えようと、全神経、全身全霊を打ち込むことの
なんというしあわせかと思います。

相手の命の満ちているところに触れられる瞬間の
電気に撃たれるような感覚
余計なものを取り払い、そのお命がどくどくとごうごうと
音を立てんばかりに流れ始めるときの、震えるような感動。
そこには、目には見えなくても間違いなく
脈々と流れる命があると感じます。


その命を、理屈で言葉でとらえようとしてはいけないのですね。
「どこまで言っても生きている限り、わからない世界だと」
わからないままに、その命に出会おうとし続け、
その命を生きようとし続け、
その命を喜び続けることで、表し出して行くのですね。
時に、肉に邪魔されたり、引き裂かれて苦しむことがあっても、それすらも素晴らしく、味わい深く、人として生まれて存在させられていることのしあわせなのですね。

思考や理屈の、なんと小さいことでしょう。
溢れる命のなんと、大きいことでしょう。
嬉しくなります。
相手が大きいので、自動的に幼子に戻ってしまい
小さな子どものように喜びたくなります。^^


本当に忙しくて、なかなか先生のブログを拝見できませんが
たまにこうして朝いちばんに訪問させて頂くと
こちらの求めに応じて世界が開けるように
信じられないほど豊かな気付きが降ってくる。
ここからもまた、大きな大きな学びを頂いたのだと思います。

本当に感謝です。
ありがとうございました。
桜 美穂 [URL] 2016/06/09(木) 09:00 [編集]

管理者にだけ表示を許可する
 

トラックバック
トラックバック URL

Copyright © 2017 絆の法則 ~ 澤谷 鑛 オフィシャルブログ ~.
all rights reserved.
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。