お伝えしたいことは「運命は改善できる」ということです。
04 * 2017/05 * 06
S M T W T F S
- 1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31 - - -
--/--
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
06/12
恕(じょ)
       NAOKO(養成講座9期生)

澤谷先生のお話の中には、いつも大きなテーマを感じます。
それは、「恕の心」です。

私は、恥ずかしながらこの言葉を知りませんでした。
「スカイプ座談会」でこれまで何度も教えていただいた言葉ですが、復習の為もう一度調べます。

【恕】
漢字の成り立ちから。
「女・口・心」の3つの文字から成り立っています。
これは、女性が両手をついて、素直に人の話を聞く様であり、心は心臓を象徴するのだそうです。つまり思いやりの心で相手の話を聞くこと。相手を受容する事なのだそうです。
音読みは「ジョ」
訓読みは「ゆる(す)」
初めてこの漢字を見た時の感想ですが、何かおどろおどろしい、或いは怖いイメージでした。そう言えば、「怒」に似てますね。【怒】は「口」の部分が「又」これは、調べますと長くなりますので割愛いたしますが、誤解が生じそうですのでこれだけ記載させてください。
「又」は「股」の意味ではなさそうだと書かれていました。

本題に戻ります。「恕の心」について。
調べますと、中国の孔子(紀元前551年~紀元前479年)の教えを弟子が纏めた論語の中に記載されている一節のようです。
ネットで調べました。コピーさせていただきます。

【子貢(しこう)は聞いた。
「先生、たった一語で、一生それを守っておれば間違いのない人生が送れる、
そういう言葉がありますか」
孔子は、「それは、恕(じょ)かな(其恕可)」と答える。
孔子が「恕なり(其恕也)」と断定せず、「恕か」と曖昧(あいまい)に答えたところに、なんとも味わい深い孔子の人柄を感じる、と平澤さん(元京都大学総長の故平澤興氏)。

自分がされたくないことは人にはしてはならない、それが恕だ、と孔子は説いた。
つまりは思いやりということである。
他を受け容れ、認め、許し、その気持を思いやる。
自分のことと同じように人のことを考える。
そのことこそ、人生で一番大切なことだと孔子は教えたのである。
『小さな人生論 2』致知出版】

今日の感想では何が書きたかったのかというと、いつも、澤谷先生の仰る「恕の心」についてです。
「恕の心」を簡単に検索してしまうと、分かりやすく書いてくださっています。
しかし、その意味は人間の永遠のテーマではないでしょうか。
文字に表せられない抽象的な深みを感じます。

澤谷先生は、亡くなられた方の気持ちをどう読み解くのか、そこまで想いを馳せておられるのです。「恕の心」を考えた場合、一般的には生きている人間の気持ちを、また、人間関係をどうするのかと考えがちではないでしょうか。そして、そこに留まり、亡くなられた方々へは、命日供養、様々な法事をすればいいものだと考えがちではないでしょうか。
しかし、人の人生の中では現実の人間関係と併せて大事な人との別れを経験せざるを得ない事も待ち受けています。
例えば、家族の死です。
我が家に折角生まれてきてくれた子供の突然の死。
また早くに別れる事になった親や兄弟。
亡くなられた方は、生きている私たちに何を言いたいでしょうか。敢えてそこにフォーカスする事が、自分の人生で起こってきた事やご縁とどう繋がっていくのでしょうか。まるで絡まっていた太い糸が解けていくようです。其れは現実の問題について遠回りをしているように見えて、今苦しいと感じがちの人間関係や親子関係を覆す術であり近道のように感じます。
今、かつてない大きなテーマが私の前に横たわっているのを感ずるのです。

今日もありがとうございました。
澤谷先生、よろしくお願い致します。

澤谷 鑛 のカウンセリングは、コチラ…
澤谷 鑛 のセミナー/講演会情報は、コチラ…
コメント

その時のその人に、対する気持ちを大切に思うんだよねぇ(((^_^;)
生きてる限り、未熟なもので、
何度もやり直ししてます。。。。。。ね🙇
アスナロウです‼
くるみ 景崎 [URL] 2016/06/12(日) 15:58 [編集]

NAOKOさんへ

こんにちは(^^)
記事、拝読させていただきました(^人^)

『恕』(じょ)
実は私も先生に教えていただくまで意味も読み方も、この字の存在すら知りませんでした。
そして、孔子が説いたって、今知りました…。^^;(笑)

ありがとうございます(^人^)

亡くなられた方に恕の心で寄り添うのは、本当に勇気がいることだと思います。私は二人の父と祖父母でしたけど、死人に口なしなので生き辛さを亡くなった人のせいにしていれば自分はいい人ぶってるまんまで楽なわけですからね。
でも亡くなられたからこそ、その念い・想いを知らなけばいけないと思いました。その念い・想いの中には必ず深くてあったかい不器用な愛情があるんだと信じて…。

死人に口なし。
これを裏返せば、とっても大切で有り難い宿題を出してくれたのかもしれませんね。

これからも、どんな時も恕の心を大切にしていきたいなと思いました。

ありがとうございます(^人^)
はちみつ [URL] 2016/06/12(日) 15:59 [編集]

目の前にいる人さえ、自分とは関係ないと心や、感受性を閉じてしまうことがあります。満員電車など、その最たるものです。(笑)
 
まして、今、目の前にいない人、この世を去ってしまった人は、ついつい理解しようとする対象から外してしまい勝ちなもの。
 
でも、本当はみなひとつながりなのですね。
だからこそ、目の前におられなくても、亡くなられていても、お心を思いやって理解することが可能ですし、逆に無視をしていると、顕在意識では忘れていても、潜在意識からは、ちくちくと、「忘れてるよ!」というメッセージが放たれるのでは、と、記事を拝見して感じました。
 
Naokoさんが書かれているように、澤谷先生がご説明くださる「恕」の意味は、検索では出てきませんね。
なのでいつも、セッションの度に、丁寧に説明させて頂いています。復習になり、ますます深く味わう良い機会になり、嬉しいです。
 
共に、恕を学ぶ仲間としてNaokoさんとご縁を頂いていることに、心から感謝致します。
桜 美穂 [URL] 2016/06/12(日) 21:23 [編集]

くるみ景崎様

コメントをありがとうございます。

「生きている限り未熟者で…」それでいいのですね。

「アスナロウ」はわかりまへんでした(^-^;
Naoko [URL] 2016/06/13(月) 12:59 [編集]

くるみ景崎様

コメントをありがとうございます。「生きている限り未熟者」本当にそうですね。未熟者なのに未熟者である事を認めたくないから苦しかったんだわ。参考になります。m(_ _)m
Naoko [URL] 2016/06/13(月) 13:06 [編集]

はちみつさん

こちらへのコメントもありがとうございます。

「亡くなった方の不器用な愛情」という表現。感銘しました。生きている自分がまさしくそうです。出せないんですね。不器用で。深い所にはあるのでしょうけれど。

Naoko [URL] 2016/06/13(月) 13:18 [編集]

桜さん

いつもありがとうございます。今回も暖かいコメント恐れ入ります。
未だ、桜さんの仰る、「みんな1つ」は理解できません。目の前の方、家族とすらブツブツ切り離して考えているのが自分ではわかります。学び始めて一気に上昇って訳には行かず順番が有りそうだと感じる今日此の頃です。冷たい自分ではなく、血の通った人間である自覚ができたらなと思います。
これからも宜しくお願い致します。
Naoko [URL] 2016/06/13(月) 13:23 [編集]

管理者にだけ表示を許可する
 

トラックバック
トラックバック URL

Copyright © 2017 絆の法則 ~ 澤谷 鑛 オフィシャルブログ ~.
all rights reserved.
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。