お伝えしたいことは「運命は改善できる」ということです。
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06/14
身心脱落、脱落身心
       澤谷 鑛

 貞応二年(1223年)二月二十二日、道元は中国で禅を学ぶため、京都を出て博多に向かいます。師の明全と一緒です。三月下旬、二人は商船に乗り、博多湾を出航します。
 四月初めに到着後、明全はすぐに上陸しますが、道元は三カ月も船にとどまっています。七月に船を下り、天童山に入っています。

 道元は、天童山におよそ1年いましたが、求める師が得られず、正師を求めて中国の諸山を巡りました。そんなとき、道元は如浄(1163年~1228年)の名声を聴きます。
 ところが、道元が天童山を去った直後に、如浄は天童山徳禅寺に入りました。道元はふたたび天童山に戻ってきました。
『正法眼蔵』面授の巻には、大宋の宝慶元年(1225年)五月一日に、道元ははじめて如浄に会ったことが書かれています。

 道元は如浄禅師についてひたむきな坐禅修行を続けます。
 夏安居(げあんご)の最中、大勢の僧が早朝に坐禅をしていました。すると一人の雲水が坐禅中に居眠りをしました。如浄は、大きな声で叱りつけ、居眠りする僧に警策(きょうさく:禅宗で、座禅中の僧の眠けや心のゆるみ、姿勢の乱れなどを戒めるため、肩などを打つ木製の棒)を加えました。
「坐禅の修行をすることは、心塵(しんじん)脱落のためなのに、おまえはひたすら居眠りばかりをしているではないか。そんなことで参禅の目的である、おまえの本質をあらわすことができるのか」
 と如浄禅師は言ったのです。
 その如浄の言葉で道元は悟りを開いた、と言われています。
 如浄は“心塵脱落なるべし”と語ったのですが、道元は“身心脱落なるべし”と聴いたというのです。
「坐禅とは心の塵を払うこと」と言った如浄に、道元は「坐禅とは身も心も超えて真実の存在に出会うこと」と聴いたのです。聞き違いなのですが、それで悟りが開けたのです。

 道元は如浄の部屋におもむき、焼香礼拝しました。
「なんのための焼香か?」
 と如浄が問います。
「身心脱落し来(きた)る」
 と道元が答えます。
「身心脱落、脱落身心」
 と師の如浄は言い、弟子の道元の悟りを認めました。
 しかし、道元はこのように言います。
「師よ。これはほんの少しの間(暫時)の手並み(伎倆:ぎりょう)です。私をみだりに認め(印可)ないでください」
「わしはみだりに印可したりはしない」
「では、そのみだりに印可しないところのものは、何なのですか?」
「脱落、脱落」
 如浄は、そのように道元の大いなる悟りを認めました。

 居眠りする僧には「心塵脱落」といい、道元には「身心脱落」という如浄禅師は、一体どこをみていたのでしょうか。

 弟子の道元は26歳、師の如浄は63歳の夏のことです。

 その2年後の安貞元年(1227年)、道元は日本に帰って来ました。五年ぶりの帰国です。道元は一人で帰ってきました。出発のとき一緒であった明全は、中国の地で亡くなりました。
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