お伝えしたいことは「運命は改善できる」ということです。
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06/17
億万長者「マリア・シャラポワの誕生秘話」(ロシアのテニス選手)
       大熊良樹

マリア・シャラポワは、ロシア・ニャガン市出身の女子プロテニス選手です。
ニックネームは「ロシアの妖精」。
両親はチェルノブイリ原発事故の時に、チェルノブイリ原発から130キロ離れたベラルーシ・ゴメリに住んでいました。
1986年チェルノブイリ原発事故発生。
その時シャラポアの母エレナは、「シャラポア」を妊娠していたのでした。
風の方角からベラルーシ・ゴメリは最悪の事態に。

奇形児が生まれると言う風評もあったが両親は、強い信念で、当時お腹の中にいた赤ちゃん「シャラポア」を中絶せず、両親は「赤ちゃん」を守るために1300キロ離れた酷寒の地、ロシア・西シベリアにあるニャガンへ移住。(理由はできるだけ愛する赤ちゃんを原発から離すためでした。)
エンジニアの父ユーリは、妻とお腹の子を守るために安定した収入を捨てて極寒の地で油田の炭鉱夫に。
そして……母エレナは、「シャラポア」を出産したのです。
極貧の中で母エレナとシャラポア、3人で生活。
幼稚園にも行かせる事のできない生活の中でせめての救いは父とのテニス。

4歳のときからシャラポアがテニスを始めた理由は、「貧困」であったのです。
テニススクールにも通えないシャラポアは、6歳の時モスクワで、テニスの名選手「マルチナ ナブラチロバ」に「米国への留学」を勧められた。
父ユーリは、働きに働き、親戚に借金をしてやっと「渡米」。
妻を残してわずか900ドルを持ってシャラポアと共に米国へ渡りました。
6歳のシャラポアは、入学の条件である7歳未満で渡米したために「入学」を許可されず、父とともに一時は苦悩した。
何より入学金も生活費もない。帰るお金さえもない。
しかし、幸いなことにシャラポアの才能を認めたカレッジは、奨学金を出してくれることになったのである。
なんとか助かったものの才能を羨むいじめなどもあった。
だが、シャラポアは、テニスに打ち込むことと父母の喜ぶ顔を心に描いて克服した。
ビザとお金の問題のため、父、シャラポアが、母と一緒に生活が出来始めたのも2年後であったという。

ロシアには帰れない父と母と一家の運命が両肩に掛かっていた若きテニスプレイヤー。
シャラポア。
「おおおおおおお…………………っ!!」
奇声が論議を呼んだが。
貧しい生活の中でテニスに打ち込み、ニックボロテリーテニスアカデミーでテニスはめきめき上達した。4大大会優勝
ウィンブルドン:1勝(2004年)
全米オープン:1勝(2006年)
(全豪オープン準優勝1度:2007年)
ついに「そのアイドル性」「美貌」が買われてテレビなどでCM契約。
現在年収25億円と言われる億万長者となった。
シャラポアが叫ぶ気合の「奇声」は、そのような家族を守るいのちがけの雄叫びだったのだ。

考えてください。
あのシャラポアのように、全ての赤ちゃんには無限の可能性があるのです。
生かす者は必ず、生かされるのです。
「いのちは素晴らしい。」
それを教えてくれるような感動的事実であります。

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